先日、友人に言われた言葉

「なんかさぁ、羨ましいんだけど」

その言葉に血管が切れそうになった私w


この友人は唯一、旦那が視覚障害になったことを話している。

そこそこ長い付き合いで性格も良い。私も話しているものの泣き言も言わないし笑って話してるからいけないのだけど、、


彼女が羨ましいと言う理由は、、

まず、マンションの高額なローンがチャラになった。(旦那の視力と引き換えだけどな)

旦那が今までと同じように稼いでいて安泰だから。(苦悩して苦悩しての結果だけどな)

息子たちがしっかりと自立して将来の不安がないし末っ子もそこそこ良い大学に入ってそこそこに良いホワイト企業に就職するであろうと予測ができるから(その分皆んなが遊び呆けてる時に努力をした結果だけどな)

その他諸々、、、笑


原因があるから結果がある。

この結果になったのはそれなりの原因があったから。


私たちが旦那が視覚障害があるのに、今までと同じような生活基準でいられるのは旦那が見えてる時に仕事に、仕事仲間に、従業員に努力してきたことが花開いている。


息子たちがそこそこに自慢できる息子でいるのも

息子たちに費やした時間と労力とお金が今花開いている。


マンションのローンがなくなったのは旦那が視覚障害一級になって見ることを諦めた生活になったから。


別に今までの努力を認めて欲しいとは思わないけど結果だけを見て羨ましいって言う彼女の浅さにがっかりしたのは事実。


運の良い人生を送りたければ運が舞い込む生き方をしなきゃならない。

だから、私も旦那も視覚障害になった人生を恨んでないしこのタイミングでラッキーだったんじゃないか?って最近は思っている。(時々崩れることはあるけど)


そして、旦那は夜な夜な会社の方向性を10年後、15年後を想定してシュミレーションしている。


今、持っている手札でなりたい自分を想像すれば自然と今やるべきことや人との関わり方が見えてくる

後悔や恨み節からは何も産まれない。と言う旦那

そのなりたい自分が見えていた頃よりかなり小さくなってしまった感は否めないが、、


羨ましいとか良いなぁって言葉に私は傷つく。


視覚障害は予想外の出来事だったし努力しているのだから。


こういう事が度重なると友人と会うのも面倒になってくる私。

私自身、お一人様行動は苦にならないタチだけど

自分の10年後を考えてとりあえず友人は何人かいた方が良いと考えてノリノリでランチしてこよう笑