時は2023年6月
旦那がレーベル病と診断された。
1.5あった視力が0.01まで急激に下がり中心暗転となり精神的にも仕事に行けなくなった。
視覚障害者にはムリだと思われる現場職人
だが、、旦那は腐ってはいなかったのだ
旦那が視覚障害になってからバリアフリーについて色々考えさせられた。
仕事復活して1ヶ月
新しい仲間たちと仕事をしている。
見えないながら、職人の勘を活かしながら。
仲間たちは旦那の視覚障害を知っている。旦那の仕事に対してのバロメーターも変えながら最大限できることをやっている。
最初のうちはプライドが、、と言っていた旦那も最近はあまりプライド云々を口にしなくなった。
中心暗転のある視覚だから当然目線は見たい場所に向けない。そして感覚を最大限に活かすのだから勘を研ぎ澄ますために顔も作業箇所に向けてない旦那。何も知らない人が見たらとても不思議な光景だろう。そんなことも笑って話せるようになった。
以前はバリアフリーって何なんだよ!って怒ってだ私。だけど、今現在その怒りはない。
旦那が現在苦手としている細かい作業。それを黙って直してくれる人。毎日書かなきゃならない書類を当たり前のように書いてくれる人。
恐らく、旦那が見えないってことを自然と受け入れてくれている。そして見えてるのに道を間違えてしまう人に「違うよ。こっちだよ。見えてないの?笑」って旦那が教えて冗談を飛ばし合っている。
そんなことが日常的に起こっている。
これはバリアフリーなんて固いものじゃない。
以前のブログにも登場したYさんもH・リーさんも
お客さんのMさんも、旦那が若い頃の駆け出しの頃から知っている。疎遠になった時もあったけど旦那が不義理をしてこなかったから以前と同じように付き合えるのかもしれない。
もちろん、皆んな良い人だ。
だけど、誰を取っても福祉やバリアフリーに興味を持つようなタイプじゃない。だけど、私たちが求めていたバリアフリーはこれだ。
持ちつ持たれつの関係。障害があってもなくても対等にできる関係。障害を持つ側はできないことがある分できることを人並み以上に頑張るのは当たり前。障害を持たないものはちょっとした手助けをヒョイとやる。
やってもらう、やってあげるじゃない。
仲間とワイワイやるだけのコミュニケーションじゃきっとこうはならなかったはず。
きっと旦那は若い頃から真摯に仕事仲間と向き合ってきたのだろう。離れてた時期は長かったけどそんな旦那を知ってるから今の関係が築けたのだろう。
人間力、、この言葉に尽きると思う。
メンタルを強く持ち人間力をさらに磨いて障害があっても健常者と同等に働ける証明をしていきたい。
ちょっとした工夫でそれは可能なのだ。
きっと私たちは挫けても絶対に立ち上がる。
今、辛くても目標さえ見失わなければ道は開ける。
人に頼っても頼りっぱなしの甘えではなくどんなに困難でも絶対に自分の足で立ち上がろうと思う。
もうこれは新たな日常なのではないだろうか?
息子達に伝えたい。
人間力を磨きなさいと、、情けは人のためあらず
さてさて
第二章は新たな日常を手に入れたのでそろそろ最終話になりそうな予感かな笑
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