再稼働反対は 脱原発の本丸じゃない | ライブヲタクのアマチュアカメラマン、紋次郎です。

ライブヲタクのアマチュアカメラマン、紋次郎です。

ジャンルにこだわらず、思ったママも事を時たま、、、忘れた頃に書き留めます。
気が向いたら読んでみて下さい。

先月まで、日本の原発は全て停止していた。


でもそれは決して、「これからの日本は原発なしでやっていく」という
何ンらかの意思決定に沿って為された訳ではありません。
この夏の電力需給についても、様々な皮算用が巷に溢れかえってます。
けれど、全停止のプロセス自体は誰かが責任持って見通しや方針を立てて
意思決定した訳ではない。


原発全停止ってのは、定期点検からなし崩しに生じてしまっただけの、
単なる「状況」に過ぎなかったンですよね。


原発についてどういう意見を持っている人でも、先ずこの事実に
もっと注目すべきです。
事実とはつまり、明確な意思決定も将来を見据えた計画性もない。
単なる事実として全停止していたに過ぎないって事です。


で、、、今度は一箇所、大飯原発が再稼働した。


「現時点での」再稼働は、私は至極真っ当な判断だと思います。
ただそれが「至極真っ当な判断」によって為されたのかって言えば、
そこは甚だ疑問。どう見たって、単なる綱引きの結果そういう状況が
また生まれたに過ぎないですよね?


結局は、全停止も再稼働もどっちも同じです。
単なる綱引きの結果生まれた「状況」でしかない。
そこには何ンの計画性もありません。



たとえばの話。
仮に、何らかの理由で「脱・自動車社会」を実現する必要が生じたとします。
この車社会から、自動車を一掃しなければならない。。。


では、車検証の発行を差し止めるなどして期限が来た車から順に片っ端から
「全て停止」させてしまったら、社会はどうなるでしょうか。
そんな風にして、いきなり全部廃車にするなンて乱暴な話はないですよね。
自動車に代わる何ンらかのインフラを整備するとか、車に頼らない
流通・経済・生活のシステムなどを模索しながら、少しずつ計画的に
減らして行こうとするでしょう。


普通に考えれば、ネ。


で、話を原発に戻します。
今の原発の「状況」は、車検の来た順に全ての車を走らなくさせた様な
状態です。車だったら走らなければ事故も起きないでしょうけど、
原発はそうはいかない。既にある危険物は相変わらず危険なママです。


いままで通りにその危険物を増やし続けてはいけません。
でもだからって無計画のママいきなり全停止ってのもムチャな
話じゃあないでしょうかネ。


あえて繰り返しますが、、、
原発の「一部」を今後も「ある程度の期間」運用する事は、
ごく常識的で健全な判断だと思います。


電力需給や経済的な様々な観点から見て、必要性は間違いなくある。
一方、停止したからといって直ぐに危険性がゼロになる訳ではありません。
既にある危険はそのままに、管理費用だけが掛かり続ける事になるンですよね?


確かに原発は危険です。無くしていくべきだと思う。
ただ、その危険性は去年の3月11日に突然生じたのではなく、
それまでもこれからも全く同じ様に危険な訳です。


いくら便利でも危険なモノは使わないようにしよう。なくしていこう。
ゴモットモです。私もそう思います。
でも、それをどうやって実現するのか。
それはきちんと計画的に進めなければなりません。


原発のない社会につながる入口は、ナニが何ンでも再稼働を阻止する事
ではありません。

なし崩しに生まれただけの「状況」を強引に死守するための綱引きなンて、

場当たり的で無計画な「騒動」にすぎない。

そんなお祭り騒ぎにばかり血道を上げるンじゃなくて、脱原発社会の実現

という明確な目標に向けた現実的な道筋を見極め、計画的に事を進める。
それが肝心です。


イワユル反対派?と言われる方々は、残念ながら今は皆ンな目の前の

お祭り騒ぎばかりに盛り上がり、夢中になっています。
そうやって世論をそこに集中して盛り上げ、渦を巻く効果は確かにあります。
全く無意味とまでは言いません。

でも、戦(いくさ)に喩えるなら、戦略的に大した意味のないところに
膨大な戦力をつぎ込んでいる。そんな風に見えて、私にはとてもとても
危なっかしく感じるンですよね、どうしても。


今は「再稼働反対」に寄り道している世論の渦が、
目先の事からもっと遠くを見据えた方向に動き出した時。
そこで初めて脱原発社会への入口が見えてくるンじゃないでしょうか。


再稼働に反対する事は、決して・反原発・脱原発の本丸ではない。

そうは思いませんか?