思い出しても腹が立つ、この税制。
現在では、戦後生まれが2/3以上の人口構成だから、

当時の悔しさは、知っている人は少ないだろう。
朝起きると、母親が昨日まで大切にしていたお金で

ご飯を炊いている。
思わず、私は「何押しているのだ」と叫んだが

子供にはわからない、あっさり言われそれなりに
生活は、大きく変わった。

幸いにも、実家が農家だったので食べるものの
苦労した経験はない。

そのころ、都会の人達が立派な着物を持ってきてお米と
交換をしていたことは、今でも覚えている。

戦後10年位してから、そのころの着物をあれば買い取ると
言う客が現れ出した。

母親は、お客から預かった着物を毎年春・秋には虫干しを
していたから、殆んど傷もつかず預かったままだった。

その時に、表れた客は大いに感激し現在では考えられない
お金を置いて引き取って行った。

その方たちから毎年年賀状が来るが、果たしてその人が
どの人か亡くなった母親以外はは不明である。

それでも現在でも、何人かはいまだに年賀状が送ってくる。