モンゴルホライズン代表兼業遊牧民のちかぽんです。
コロナ禍で、2020年、本業のエコツアーは稼働ゼロ、収入ゼロでした。
うちうちの筋からの情報ですが、どうも、来年夏まで
国境封鎖・外国人入境制限の方針は継続しそうです。
 
コロナ感染予防対策としての厳戒態勢は
12月31日までの延長が発表されました。
 
国内の市中感染はゼロで、
今、WHOと共有されているモンゴル国の感染者確定数は、
すべて、感染国からの避難帰国者とモンゴル国を拠点とするビジネスマン、
モンゴル人配偶者や親を持つ人達からの輸入症例です。
 
この国内市中感染ゼロ記録と死亡者ゼロの記録更新が
モンゴル国の一つの方針になってしまっています。
 
そのおかげで、市内では比較的穏やかに、呑気に
COVID19感染の恐怖や不安を感じずに日常生活を営むことができています。
 
でもね、やっぱり本業稼働ゼロって精神的ダメージと経営上の資金繰りのダメージは
すさまじいものでした。
 
身体は元気なのに、精神がむしばまれ、
会社もプライベートも、どんどん先が見えなくなって絶望感で
世界が灰色になってくる。
 
今は、周囲の人たちや家族・友人の具体的なサポートもあって
立ち上がることができていますが、
前進するというより、とにかく「立ち上がる」だけでも
大変なエネルギーと気力がいりました。
 
今は、つとめて「新しい流れ」を求めて、
「新しい」ものにチャレンジしています。
 
例えば、私立中高一貫校での日本語教師。
 
非常勤講師なのですが、進路相談やクラブ活動の顧問もまかされています。
 
子どもたちの習熟スピードや達成度はマチマチ。
 
そもそも、ティーンエイジャーのガキどもは、
「大人の話を聴く」という姿勢が身についていなくて驚きます。
 
勉強の仕方がわからないというか、
そもそも「学ぶ」面白さの深度が浅いんですね。
 
私も中学時代は、かなりヤンチャというか、ヤサグレていたので、
教科書ガイドや指導要綱通りの授業をする先生の話なんか、
聴かないよ、っていうタイプで、嫌なガキでした。
 
ただ、教科書ガイドとか指導要綱をちゃっかりどこかから入手して、
先生より先に、授業の予習をして、疑問点と、腑に落とすべき「単元のゴール」を
ゲットしている状態で、授業にのぞんでいました。
先生を困らせるために。
 
嫌なガキです。
 
でも、今の教え子ってそういういけ好かないガキじゃないんですね。
ただただ、言われたことも、やらない・やれない・忘れる、
「そもそも、授業の目的」がわかってない。
 
つまり、N5,N4といった「日本語検定」を受けるという
ゴールがわかりやすい活動には興味を示すけれど、
普段の授業をちゃんとやっていれば、試験対策なんかしなくても
普通に合格できる、って発想がないのです。
 
ある意味、大人が決めたレールの上をダラダラ歩く避難民、みたいな感じ?
 
私は、あまり、宿題も試験勉強もやるタイプじゃなかったのですが、
でも、授業と授業の「狙い」とその先のゴールを見つけるのが得意でした。
 
だから、学校で行うような定期試験の出題は、大抵、山勘だけで、挑めていました。
 
目的意識がないまま、外国語の授業を受けるって
苦痛と退屈以外の何物でもないなって思っちゃう。
 
いろいろ副教材を作ってとか教案で工夫して・・・とか言われても、
私が置かれている状況では、限界があります。
 
授業・補習・クラブ活動。
 
授業で教えるのは、生徒全員に必要最低限、伝えなければいけないこと・理解してもらいたいこと。
退屈だけど、確実に着実に覚えられる、「できるようになる」反復練習をする。
つまり「リピートアフターミー」の繰り返し。
意味・内容をモンゴル語で説明しながら、普通のスピードで読む。
ゆっくりしたスピードで読んで、モンゴル語の翻訳をあとからつける。
 
単語レベルでゆっくり読んで、ヒアリング・リスニングだけしてもらう。
 
それから、「リピートアフターミー」で、区切りながら、一緒に読む。
文ごとにくぎって読む。
 
個別練習をしてもらう。
 
早くできた子から、実際に、会話形式でお披露目。
次の課題だったり、応用のシナリオ課題を提供。
 
「わからない」「つっかえる」箇所を分析する。
 
これが40分の授業でやること。
 
学年やクラスによって、もっと応用をきかせてスキットを実際にやってもらうとか、
課題を個別にあたえて、それぞれ発表させるとか。
スペル読み上げまでかみ砕いて、文字がわからなくても、おいてけぼりにしないようにする
などもあります。
 
そして、宿題。
進研ゼミとかで培った赤ペン先生な採点・解答を赤ボールペンでいれて、返却。
 
 
 
補習では、「何が、どの程度まで理解できているのか?」を見極め、「どこから理解できていないのか?」
「どのあたりが受け止めきれてないのか?」という「わからない」の状況を
生徒自身に把握してもらってから、それぞれの質問に答える、
あるいは、マジョリティな「わからない」にフォーカスして、解説し、
例題を出して練習し、「わかった」を実感してもらう。
 
補習にきても、ギャーギャー騒いでいる猿は放置。
あるいは、遅刻したら補習を受けさせない。
舐めんなよと。
 
でも、わかろう、と努めている生徒や
「わからない」をなくしたい、落ちこぼれになりたくないっていう生徒は、
厳しくしても、ちゃんとついてくるし、
わからないことを、「どうわからないか?」の説明がだんだん上手になってきます。
 
そして、「先生、ここまでできるようになったよ」というお披露目の積極性が出てくるのです。
 
基本、出来が悪かろうが、成績がよかろうが、そういう知能レベルの差異で
依怙贔屓や差別はしない、というのが信条です。
 
中学時代の先生に対する反抗も
ヤンキー系生徒に対して、侮蔑したり、必要以上に虐げたりしているのが
「なめんなよ」だったから。
 
日本語は若干特殊な言語だから、外国人にとっては、難しいところもあります。
そして、日本語なんかできなくても、モンゴル国では楽しく幸せに暮らせます。
世界進出するにせよ、日本語じゃなくてもできます。
 
でも、せっかくなら、日本語もできたら、「かっこいいよね」ってなったらいいな。
 
「わからない」の連続で、あきらめてしまった生徒に
「わからない」があるのは、当たり前で、その「わからない」を分析していくことで、
「わからない」のブロック構造を解読し、解消していく、というのは、
私にとっても面白いのです。
 
自分は歩けるようになるより早く、大人と言葉をつかってコミュニケーションをしていたし、
幼稚園に上がる前から、絵本の文字は読めて、自分で情緒たっぷりに朗読していたくらいで
言語分野の能力は高いほうです。
 
外国語含めて、「新しい言葉」を知る・わかることが「かっこいい」って思っていたタイプ。
 
クラブ活動は「日本語会話クラブ」なるもので常勤先生の負担が大きすぎるってことで
押し付けられた顧問のお役目。
最初は30人くらい申し込んでいたけれど、検定試験に専念したいから、とか
なんかよくわからない理由でドタバタやめて行っちゃったから、今、15人くらい。
 
この人達は、文字がわかる・わからないじゃなくて、
言語コミュニケーションそのものの面白さや
「自分プレゼンテーション」を含む「自己分析」をしながら、
自分らしい自分をみつけるというワークもやっています。
 
自分にとって必要な言葉・単語・表現力は何か?
それに合わせて、自分らしい日本語を紡いでいきます。
 
まずは、スピーチ、発表のような一方通行のプレゼンテーションができるようになる。
 
そこから、対話(ダイアローグ)=質疑応答、インタビュー形式も練習。
 
最終的には、お互いの話をちゃんと傾聴しながら、情報共有して、議論ができるようになるといいなって。
 
アニメのセリフの表現を勉強する、だったり、ジブリ分析やワンピース解析も楽しいけどね。

子どもたちとのやり取りというのは、楽しいことばかりじゃありません。
ムカつくことも多々ある。
でも、支配的になるときもあるけれど、
出来る限り、ファシリテートできたらいいなって。
 
こうした日本語教師としての活動や
日本語をベースとしたモンゴルと日本の異文化体験のお役目のために
ただいま、
モンゴル日本センターで日本語教師養成講座に通っています。
 
20人弱くらいでスタートした講座で、日本語を教えるという共通目的を持つ人たちとの
新たな出会いと、新鮮な知識と体験が楽しいですね。
 
先生として、人にものを教えるからこそ、
色々、自分が「学ぶ」「教わる」という立場で授業を受ける経験が大事です。

また、秋からいくつかのモンゴルNPOの運営に関わるようになり、
全然知らない人、まったく気が合わないなって言動にいちいち、カチンカチンと
きちゃう人とも、「なんとかうまくやっていく」しかなくなっています。
 
私の意見が通らない、ないがしろにされるっていうことに
ムカついたり、がっかりしたりっていうスイッチは、とりあえず、
意識的にオフにしています。
 
通常生活では、自分から、「関わりたいな」って思うタイプじゃない人も
たくさんいるし、そもそも「「縁がない」だろう立場の人たちもいる。
 
だから、面白いなって楽しんでいます。
 
知らない人だから、まずは遠慮しておくし、
まずは尊重しておくしね。
 
「草原のわが家」が稼働していた時は、
家族同然のスタッフや、助っ人の乗馬ガイドなど
旧知の仲の人たちのワールドで、
いかにリーダーシップを発揮するか、でした。
 
でも、「草原のわが家」の危機と休眠状態により、
私自身の生き残りも含め、人脈を広げていかなければいけません。
また、従来の思考回路を脇において、
新たな人脈・新たな思考傾向の人たちを観察することを楽しみます。
 
私自身が、コロナ禍の休業中に学んだことの一つに
「ファシリテーター」というお役目があります。
 
コーチングのスキルを子育てや子どもの教育などに携わる人に
伝授する養成講座の講師・ファシリテーターです。
 
あとは、元々やっていた「よろずコーディネーター」のお役目の復興。
 
とにかく、今、モンゴルと日本を自由に行き来できないので
日本からのリモートでのモンゴルでの事業や活動のサポート業務も
私がやることの意義があるんじゃないかなって。
 
気持ちが「活動するぞ」となってくると、
いろんなお仕事や遊びのお声がけもいただけるようになります。
 
なかなか、収入の手ごたえのあるビジネスの再構築には
いたってはおりませんが、
とにかく、ちかぽん「立ち上がったね!」ってお分かりいただけるかと思います。
 
立ち上がって、今は、あれやらこれやら、
ベクトルを伸ばしながら、前進・進歩をしていきます。

自分が、真摯に立ち直ること、新しいことに挑戦することで、
私や草原のわが家をサポートして下さる方々にも、
「がんばろ!」とか「生きるって楽しいよね」っていう
生きる力をシェアできるといいな。
 
コメントとかいいねとかシェアとかいただけると、励みになります。
 
とにかく、今、私は生きてます!
 
 
 
 

 

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