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私は一生懸命派!

学校の授業では「一所懸命」と鎌倉幕府時代の男たちの心意気を「むっちゃかっこいい!」と思っていたモンゴルだるま@モンゴルで起業10周年兼業遊牧民です。
鎌倉時代、まだ「武士」が台頭して地位のグレードアップがガンガン進んでいたとはいえ、一般的な庶民派「武士」もいっぱいいて、「いざ、鎌倉」と幕府からの命令があれば、押取り刀で駆けつけて、必死に土地を守る、ということから「一所懸命」ってなったと。

それって、「武士」が「幕府」と「契約」を取り交わした上での契約履行なわけでして。

一箇所にこだわりを持てない私としては、最近は一生懸命のほうを使っています。
昔は、学校で教わったことのこだわりというか学びを尊重して「一所懸命」を使ってたんだけど、ほぼ意味同じだし、こだわってるのは、ライフであって、場所じゃないし、と。

日本の領土の4倍あるモンゴル国。広大な土地のほとんどがかつては放牧地であり、国の「みんなの共有地」であり「誰のものでもない」というおおらかな土地の概念があったわけですが、2003年5月から施行された「土地法」で「居住地」の所有が認められるようになってから10年を経て、モンゴル人の土地概念がガラリと変わり、いろいろとめんどくさいトラブルが生じるようになってきました。

現在のところ、「土地」の分配は、国や地方の行政が最初の権利発行をすることになってます。
都市部の住民はひとりあたり700平米の居住地の所有が認められています。(ひとりあたりって私は聞いていたのですが、その単位は1アイル(1世帯)のような・・・でも国民IDカード1枚あたりで700平米の権利書が発行されているから、やはり1人あたりなのかな?)

農業用耕地も「開拓プロジェクト アタル」シリーズでかなり「個人所有」や「占有」の権利書が発行されました。

鉱山開発も鉱山ライセンスということで、「基礎調査」、「開発調査」、「採掘用鉱山」などなどいろいろな段階ごとのライセンス発行で事実上、30年近くの「占有権」が認められています。

放牧地権も発行されるという話は出ていますが、今のところ、地方行政が任意で5年以上その地元に住んでいる5世帯以上の遊牧民が「ヌフルルル」というパートナーシップ単位を設立し、放牧地および水源地の環境保全活動をすることを前提に占有権を認めるという権利書の発行をやっているところもあるという。
5-6年前に「放牧地権占有」についての法案がまとめられましたが、実際には、法律としてそれが厳密に実施されているわけではないらしいです。
ただ、「環境保全を目的とした水場と草地の占有」については行政からの証明書が発行されています。

でも、居住地・農業用地・鉱山開発に土地の利用が認められておきながら、これまで、国土のほぼ70-80%大半を利用してきた伝統的な遊牧のための土地利用は法的に占有権や所有権が主張できない状況のまま現在にいたっています。

先祖代々、それこそ100年、200年以上もその地で遊牧してきたことを誇りに思っていた南ゴビのおじさんは、世界最大級の石炭鉱脈発見!ということで、政府から、その思い入れがあり、僅かな草しか生えない放牧地を大切に調整して使い続けてきたにもかかわらず、立ち退きを命じられました。

タワントルゴイ鉱山の視察をしたときのことです。
当時、タワントルゴイの開発前にその地元で村長さんをしていた、というその方は、あるえぐれた荒野を通りすぎるときに涙を流しながら、静かにつぶやいたのでした。

「あそこに私の冬営地があったんだ。500頭の羊とヤギと、30頭の馬と40頭のラクダを飼っててね。村の役場の仕事をしながら、家畜の面倒も見ていてね・・・」

「なーんにもない平原がただただ広がっていて、毎朝地平線から登る太陽のあったかい陽を浴びながら、放牧の準備をし、地平線に沈む太陽を見送りながら、家畜を冬営地に戻しに馬で羊を探しに行っていたんだ」

「タワントルゴイの鉱山開発のおかげで地元の村は本当に潤った。経済的に発展もしたし、南ゴビのダランザドガドのも負けないくらい立派な学校や病院やホテルやレストランができた。でも、あの平原は戻ってこないんだね。土地の開発をするときは30年後のことを想像して欲しいんだ。いずれの日にか、炭鉱は採掘を続けるうちに、「なんにも利用価値のある鉱物資源はなくなりました」っていう状態になったそのあと、この土地をどう使うのかってことを。
 私たちのご先祖さまは、私たち子孫のことを考えて、何百年ものあいだ、限られた水と植物しかないこの土地で遊牧をしてきた。この土地で遊牧を続けられるようにと考えて土地を利用してきた。今、鉱山開発をしている人たちは、ほんとにこの地元の100年後を考えてくれているのだろうか?
 そのことを考えると、「発展」「開発」ってなんだろうなって、胸が痛くなるんだよ」

「土地を守る」ってことは、その土地の「所有権」を主張することではなく、「そのあるがままの大地の恵みを守り伝えていくことなんだ」とおじさんの言葉を聞きながら、私も涙がこぼれました。

土地の持つエネルギーとか、いろんな大事なことを伝えてくれるメッセージ的な事象を感じながら、日々の放牧とか家畜の水やりなどをしていると、ほんとに実感できるんですね。
土地っていうのは、その場所にある、というだけでなく、いろんなことのバランスが整ってこそ「価値ある土地」になるのだと。

またとっても身近な経験でいうと、私の兼業遊牧ライフを支えてくれる「草原の我が家」でも最近、いざこざやトラブルがあって、なんとなく落ち着かない、というのを通り越して、不愉快やるせない感じになっています。

昨日、委託遊牧民のオラーナくんとお父さん(2代目委託遊牧民)ローヤおじさんと、そのへん、じっくり話し合いました。

ローヤおじさんの名義で所有権が認められている冬営地に今年は新しい家畜小屋を作ってベースキャンプとして先週、引越しを完了させました。

ところが、そのお隣の谷間で家畜を飼っている「1000頭家畜所有者」の称号である「ミャンガトマルチン」になっているおじさんがいちゃもんをつけてくるのです。

おじさんの言い分だと、「自分が春使うためにストックしようとしていた放牧地に冬営地を勝手に作った」とか「違法伐採で薪を切っている」とか・・・。

「ミャンガトマルチン」というのは単なるたくさんの家畜を持っている人に与えられる称号ではなく、たくさんの家畜を持ち、かつ家畜所有が少ない牧民たちを雇って、生活をやしない、雇われ牧民たちがいずれ独立した生活が送れるようになるのをサポートするという社会貢献も含めての「土地の名士」としての称号なので、地元から尊敬されるべく称号なのです。

だから、こういう人にいちゃもんつけられるというのは、あまり楽しいことではないし、とても不安になってしまったのです。

草原の放牧地の取り合いというのは、そもそもが誰の「所有」も認められていない以上、ご近所さん同士がお互いに譲り合い、尊重しあい、持続的に使わなければいけないのです。

特に、最近、私が今ベースにしているトゥブアイマグのエルデネソムは、モンゴル中央部のソムの経済発展拠点となるためのモデルソムに選ばれており、韓国人資本とかいろんな大きな資本での「集約的農場開発」とか「チャツラガナ果樹園」開発とか、ツーリストキャンプとかいろんなところがざーーっくりと大きな土地に囲いをかけてしまって、放牧地も乗馬トレッキング用のコースもかなり限定的になってしまっている状況。

正直なことを言ってしまえば、今いるところは、確かにウランバートルから車で1時間強で行けるから、気軽に日帰りで乗馬トレッキングやったり、遊牧体験をしたり、ピクニックしたりするのにも最適で便利だけれど、あまりにもご近所さんとのおつきあいの関係が悪くなってるのなら、私は移動しちゃってもいいやと思っています。

大事なことは地元の人たちの経済基盤が遊牧を中心に、自給自足ができることや、楽しく自立経済を営めるサポートとしてのツーリズムの開発なのです。

周りの人たちとのバランスを崩してまで、私は家畜を増やすことに執着もしないし、自分のところだけが乗馬トレッキングのサービスができる場所だ、という形でモノポリーしようとも考えていない。

場所は問題ではない、大事なのは人とやるべきアクティビティに対する地元の理解だと思っています。

でも、その場合、家畜を移動させる場合、委託遊牧をお任せするのは、やはりその移動先の地元の遊牧民ということになります。

できることならば、親子2代で家畜を預かってくれているローヤおじさんとオラーナくんに頑張って欲しいんだけれども、、、周囲のやっかみに対して「いちゃもんつける馬鹿どもが」という高飛車で頑な態度をとり続けられると困る。

いずれにせよ、今年の冬は、今の体制で越冬させるしかないので、「周囲との折り合いがよくないことも含めて、家畜泥棒とかも注意しなければいけないから、とにかく家畜の管理を怠らないようにしてほしい」と念押しをしました。

近くに井戸を掘るって話も土地争いとか権利的な根拠がないにせよ、「ミャンガトマルチン」のおじさんが邪魔して、井戸に毒を入れたりしないとも限らないという気もしたし、馬泥棒の件などでの不信感もないわけではないので、5百万トゥグルグ(40万円くらい)もの資本投下をして井戸建設をするという話は今年は「なし」ということにしました。

そもそも、これから収入はほとんど見込めないから大きな投資ができる余裕はないからこのへんはきっぱりです。

井戸のはなしも周りがもめていないなら、周囲の人たちにも必要だから社会貢献のために作ろうか、と考えたこともあったけれど、これだけいちゃもんつけられていると、ここがベストのベースキャンプかどうか微妙な気もしますしね。

土地、草、水の問題がホントに大変です。
仲が良さそうに見えても、どうもモンゴル人同士、ホントに腹を割って話をしたり、お互いを信頼し、尊敬して助け合いましょうっていう形で連携が取れているわけでもないんだなぁと、しみじみ考えてしまいます。

「この土地、誰のもの」という問題で権利を主張し始めると、人間の欲と妬み・羨望ってキリがないし、もともとがあまり「折り合いを付ける」ことをしない自己チューが全面的に出る人たち同士なので、とてもめんどくさいんだなぁ。

そんな思いもあって、「一所懸命」っていう「( ´゚,_」゚)ヒッシダナ」といった感じのこだわりは、ウンザリって感じ。

だから、私は、いい、わるいじゃないけれど、気持ち的には「一生懸命」がいいや、と思っています。

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