モンゴルだるま@モンゴル語通訳・翻訳兼業遊牧民です。
10月は結局、モンゴルの首都ウランバートル中心の生活になりました。
今日はモンゴルの首都がここに制定された373周年記念日だそうです。
東京都の場合、都民の日が10月1日で、なぜか「映画1000円デー」になり、都立高校とかお休みになっていたような・・・
自由業みたいになっちゃってて、おまけに都民の日にいたことってめったにないから忘れちゃってるんだけど。
メイン広場となっているウランバートル市内中心のスフバートル広場では、モンゴル史上初、国会議事堂前の旗ポールにウランバートル市旗がはためきましたー、というのがささやかなニュースです。
ニュースの元サイトはモンゴルニュースってサイト:
http://www.news.mn/content/124069.shtml
この市旗は1995年に民主化後、一般市民からの公募デザインで決まったものだそうです。
2012年6月28日の総選挙・地方選挙同時開催だったウランバートル市では、民主党から初の市長が選出され、市議会(日本だったら都議会ってこと)も民主党が圧勝で、いろいろドラスティックな市政改革が進んでおります。
新市長・市議会の意向で、10月29日はこれから、「市民がウランバートル市の発展・開発を考える日」として、市長の政策・市議会・ウランバートル市行政(都庁)の活動や取り組みについて市民からの評価・意見を集めたり、新しいアイディアを市民から募集したり、市の発展に貢献した企業や個人や団体を、市民投票で表彰しましょう、などなどのアイディアが実現化するようです。
ちなみに、渋滞緩和対策として車のナンバープレート規制を試験的に10月27日まで行った結果、確かに20%前後の渋滞緩和効果が認められる、ということになり、今後無期限でこの規制を施行することが決まりました。
この日は、ウランバートル市も公立学校も平日扱いでしたが、今後はどうなるのかなぁ・・・
モンゴル国の祝祭日って、ニューイヤー元旦(1月1日)、ツァガンサル(モンゴル暦の旧正月元旦+2日目まで)、革命勝利記念ナーダム(7月11-13日)、独立記念日(11月26日)+11月4日(多分・チンギスハーン生誕日祭)くらいですからね。
休みにならない記念日はいろいろありますが・・・
とりあえず、ほぼ毎回、大統領が変わるたびに遷都問題が取り上げられ、なし崩し的に消えていきますが、373年もここで国政が中心になってきたってことの意義とか、今後のモンゴル国の発展とかを考えるのは大事なことなのかなぁと思います。

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10月は結局、モンゴルの首都ウランバートル中心の生活になりました。
今日はモンゴルの首都がここに制定された373周年記念日だそうです。
東京都の場合、都民の日が10月1日で、なぜか「映画1000円デー」になり、都立高校とかお休みになっていたような・・・
自由業みたいになっちゃってて、おまけに都民の日にいたことってめったにないから忘れちゃってるんだけど。
メイン広場となっているウランバートル市内中心のスフバートル広場では、モンゴル史上初、国会議事堂前の旗ポールにウランバートル市旗がはためきましたー、というのがささやかなニュースです。
ニュースの元サイトはモンゴルニュースってサイト:
http://www.news.mn/content/124069.shtml
この市旗は1995年に民主化後、一般市民からの公募デザインで決まったものだそうです。
2012年6月28日の総選挙・地方選挙同時開催だったウランバートル市では、民主党から初の市長が選出され、市議会(日本だったら都議会ってこと)も民主党が圧勝で、いろいろドラスティックな市政改革が進んでおります。
新市長・市議会の意向で、10月29日はこれから、「市民がウランバートル市の発展・開発を考える日」として、市長の政策・市議会・ウランバートル市行政(都庁)の活動や取り組みについて市民からの評価・意見を集めたり、新しいアイディアを市民から募集したり、市の発展に貢献した企業や個人や団体を、市民投票で表彰しましょう、などなどのアイディアが実現化するようです。
ちなみに、渋滞緩和対策として車のナンバープレート規制を試験的に10月27日まで行った結果、確かに20%前後の渋滞緩和効果が認められる、ということになり、今後無期限でこの規制を施行することが決まりました。
この日は、ウランバートル市も公立学校も平日扱いでしたが、今後はどうなるのかなぁ・・・
モンゴル国の祝祭日って、ニューイヤー元旦(1月1日)、ツァガンサル(モンゴル暦の旧正月元旦+2日目まで)、革命勝利記念ナーダム(7月11-13日)、独立記念日(11月26日)+11月4日(多分・チンギスハーン生誕日祭)くらいですからね。
休みにならない記念日はいろいろありますが・・・
とりあえず、ほぼ毎回、大統領が変わるたびに遷都問題が取り上げられ、なし崩し的に消えていきますが、373年もここで国政が中心になってきたってことの意義とか、今後のモンゴル国の発展とかを考えるのは大事なことなのかなぁと思います。

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