モンゴルぶらぶら見聞録 -7ページ目

総集編 キャラバン

思い返す あのころ


2006年の初秋、ホブド県をぶらぶらしていたら 遊牧民の移動に出会いました。


ラクダには折畳んだゲル一式と 家裁道具が積んでありました。


家畜がいませんね・・・

尋ねてみると 家畜は 後から お父さんと息子が連れて来ているそうな


その時は気がつかなかったけど

向こうに見える雪山、

今頃はザフチン部族が住んでいるであろう バータルハイルハン山群だ・・・


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そういえば、今年の 8月1日 は 皆既日食が ホブド県で堪能できるはず


モンゴル、ホブド県界隈をぶらぶら してみませんか? 


総集編 素晴らしき宿泊体験第一号

思い返す 初めてのホブド県ドート村


ドート村のセンターから 更に奥へ奥へ もっともっと 奥へ


えっ ・・・ と びっくりするような場所で 彼らは正に生活をしていました。


小さな川と岩だらけの場所。 周りは3000m級の山々

ラクダ二頭以外は おじいさんとおばあさんだけ、

そして、狩りをするためのライフル一丁。


生活するということの様々具体的なことを是非イメージしてみてください。

最近のヒステリックで商業的とも思えてしまうエコや温暖化防止運動も、

アハハとおもいきり笑えてしまうことでしょう・・・


とにかく すごい 


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私たちは老夫婦宅に一晩お世話になりました。


お酒もお肉も乳製品もたくさん御馳走になりました。


どうやら 5km先で 息子夫婦が家畜を世話しているとのことで

ヤクのミルクで造った酒 ヤクのシミンアリヒ は モンゴル一おいしいお酒であるということを知りました。


そして、この日は、モンゴルで知った、いくつかある忘れられない宿泊体験の 第一号でございました。 


総集編 モンゴル少数部族オリャーンハイの芸能文化

思い返すあのころ


モンゴル民族の多数派は ハルハ族。

都会で知り合う若者たちのなかには 自分の出身部族を隠して ハルハと名乗る人も多いのが現実ですが、

ここでは そんな必要はありません。


素晴らしい固有の芸能文化がしっかり残っていました。


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私たちの訪問がきっかけとなり、村の演芸場に人が集まり 

サンバと踊りと ホーミーと このおじいさんの こてこてブルース風音楽を楽しむことができました。


一説によると歌の種類は1000以上に及ぶぞうですが、部族の中で二人しかできる人が居ないそうな・・・


絶滅が危惧される芸能の一つです。


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左から 可愛い踊り子さん オリャーンハイ部族固有の節で奏で歌うお爺ちゃん、ホーミー歌手、PA担当者

ちなみに 

かわいい赤いほっぺは 山岳地帯に好んで住む オリャーンハイ部族の女の子の特徴なそうな


なんとか、引き継ぐ人って居ないものかなぁ

総集編 ホブド県・ドート村サンバライブ

思い返すあのころ


人影少ないと思い込んでいた ホブド県ドート村のセンターに 

日本から あやしげな音楽を奏でる 人たちがやってくるという情報が 伝わっていました・・・


到着して一時間後、

村のセンターに寄宿しながら学問にはげむ遊牧民の子供たちが 続々と集まってきました。


好奇心旺盛な まんまるの瞳は サンバもデジカメもブラジル製楽器にも興味津津 


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何となく 羨ましいですね!

ぎゅっと くっついていて 子供同士のというか 人と人の 距離感が無いでしょ・・・


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目が合うと恥ずかしそうにしながらも 音楽に体を揺らす彼らが とても愛しく感じられました 

総集編 ホブド県のドート村へ

思い返す あのころ 2006年初ホブド県


モンゴル民族の中でも少数部族となる オリャーンハイ部族の村 ドートを初めて訪ねました。


ドート村のセンターはホブドの県庁所在地からジープで約3時間半

標高2400m 村のセンターとしては モンゴル一標高の高い場所にありました。


ひゅーーーーーーー

車を降りたら 西部劇のワンシーンに入り込んだかの様な気分になりました。


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人影少なく 草木も見当たりません。 


何も無い という印象が 強かったことは確かでしたが 

つくづく ここに来て 良かった と思いました。 

総集編 ホブド県へひとっ飛び

思い返すあのころ 

モンゴルではナーダムも終了して、早くも秋の気配を感じているのかなぁ・・・


2006年の初秋、

ウランバートル市から1400km西へ 

その後何度も訪ねる事になるホブド県を初めて訪ねた日の記念すべき画像です。


某旅行雑誌には たった 3ページしか紹介されていないホブド県には

雑誌では語り切れないほどの魅力がびっしりと凝縮されていました。

広い国土を取材しきれないのは理解できますが もっともっとがんばって 素晴らしい場所を

ちゃんと丁寧に紹介してもらいたいものです。


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残雪が見える奥の4000mを超える山々は ツァンバガラウ山群、 

その手前の 左側に集落が見えますが そこは 飛行場もあるホブド県の県庁所在地 


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県庁所在地の街並みを 15分ほど歩くと詩に歌われる 美しきボヤント川


川沿いのゲルが 何かの演出?の様にも思えてしまいますが そこは 現実の世界でございました。 


総集編 音楽家たちとの交流の始まり

思い返すあのころ


2006年の初夏、眠っていた何かが目覚めたかのように 

モンゴル建国800周年を祝うイベントが目白押しとなって、様々な文化に触れる機会を得ました。


知人の紹介で ツェツェグマーさんという 金の民族衣装を身に纏い 

世界中を演奏して歩いた ホーチル奏者と知り合い、 

また、そのツェツェグマーさんの紹介から、モンゴル伝統音楽家の方々と様々交流を交わすことができました。

とても幸運な事。 思えば、この音楽会があった日からでした。 


この日 国立ドラマ劇場には 爺ちゃんばあちゃん、とうちゃんかあちゃん、お孫さんなど わんさか集まり

歌手と観客が一体となった賑やかな大合唱が繰り広げられました。  


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ズラリと並んだ 伝統楽器のオーケストラも 本当に素晴らしかった。


でも、

モンゴル国内で 音楽演奏だけで暮らしていくことは大変なこと。


旅行者の方にも こんなモンゴル伝統音楽を楽しむ機会を ぜひ見つけて戴きたいものです。 

総集編 あっさりむき出しアイスくりん

アイスと云えば 当時200tgで購入できた コレ

ちょっと前までは 100tgだったらしいが 今はいくらになったのでしょう


モンゴルに住み始めて間もないころ・・・

アイスクリームのショーケースに包装されないまま、つまりこのままで売っている事に

びっくり仰天。


正直、不衛生な感じもしましたが、その後大好物となり、お腹を壊すこともありませんでした。


人にとって ある程度のバイ菌を受け入れて 免疫力をつけることは

生きていく上で大切なことであると思います。


除菌や、無菌に病的に夢中な日本社会は、考え直した方が良いような気がしていますが

ヒステリックジャパンは どこまでも行ってしまうのかもしれません・・・ 憂鬱だなぁ


さて、このアイス

茶褐色のチョコタイプの他に 白いバニラタイプがあり、

コレに似ている 別の会社から出ている 同様むき出し製品もありますが、そちらは お勧めできません。 

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実は 一つ曖昧なまま 確認をしないまま モンゴルを去って来てしまいました。


コレって モンゴル製品では無かったのかな? ロシア製?

総集編 My Favorite Players

思い返す あのころ


2006年の初夏、例によって ウランバートル市内を ぶーらぶら していたら 

バス停で演奏している彼らにひきよせられました。


その後、二度演奏を聴く事ができたけれど その都度 違う場所での演奏となっていて

二年間で合計3回しか聴く事ができなかったのが 今となっては悔やまれます。

Bar などで 酒を飲みながら 聞きたかったなぁ


夫婦なのか 単なる演奏上のパートナーなのか? よくわかりませんが

とても息が合った味わい深い演奏を いつもしてくれました。


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マンドリンの音色も アコーディオンの音色も 使い込んで燻したような渋さとまろやかさが感じられて

サンバ奏者に例えると 大好きな カルトーラの歌のようにも 感じられました。


もし、運よく 彼らを見かけることができたなら


ほら、マンドリンのおばさんの左手に ビニール袋があるでしょう

そこに、お金を入れて たっぷり 彼らの音楽を楽しんでくださいね!

総集編 モンゴル美人

思い返す あのころ


人それぞれ 好みの顔というものが あると思うが

決してそうでもないはずなのに この人は そうかもしれないと思ってしまう瞬間がある。


ミスコンテストなどで 賞を獲得する人は そんな人なんだと思う。

この人もそうであった。


威風堂々 それでいて 愛する彼や 愛する我が子に接する時の様な 

身もだえしそうな優しい頬笑みを とても自然に投げかけてくれるのです。 


それが 万人に対してできるのだから あっぱれ。


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見つめられた本人は・・・ 

何故か目をそらし、にやにや照れる アホまるだし状態。 


こりゃ恥ずかしいわい。