ブログネタ:携帯って何時間見ないでいられる? 参加中私は1日以内派!
21世紀になってからのモンゴル国内での携帯電話の普及状況はすごい勢いで発展しています。
ウランバートル市のような都会はもちろん、今では、なんと360余りあるソム(村)や主要なリゾート観光地、幹線道路や鉱山区域周辺、定住集落周辺の草原など、相当な地域が携帯電話通話圏内になっています。
携帯電話会社にしても、日本の資本も入っている最大大手・モビコム、韓国資本が入ってるスカイテル、若者向けで後発ながらおしゃれさで売ってるユニテル、地方都市部から販路を拡大していったGモバイルに加え、電電公社的な役割をはたしているテレコムモンゴリアなどが群雄割拠し、同じ携帯会社同士の通話料が安いから、とか通話先との関係などで、一人でいくつもの携帯電話を使いこなしている人たちもいます。
遊牧民に携帯電話が普及したのは、いろんな意味で好都合。
年がら年中ってわけではないけれど、ちょっと交流が途絶えたりするとどこにいるのか完全に音信不通になってしまっていた彼らが携帯電話を持ったことで、「実はモンゴル人はすんごい連絡マメな人たちだ」という新たな民族性の発見ができました。時代の流れなのかなぁ?
口伝えで「誰それによろしくね」って、よく日本でもいいますよね?
モンゴルでもそうなのですが、この類の「時候の挨拶お手紙の口伝え版」はポピュラーでしたが、携帯電話という「コミュニケーションツール」を得たことで、地方に暮らす人たちからのSMSメッセージとかワン切り電話などが増えました。都会ではSMSはローマ字で打つのがメジャーですが、地方ではまだまだローマ字になじみがないので、不思議な表記がいっぱいです。
さらに、まったく覚えのない電話番号から何度もワン切りされるから無視してたら、「ユニット(モンゴル語だとネグジ)を送れ」みたいなSMSがしつこく来る。「あんた、だれ?」状態で結構理不尽な気持ちになるわけですが、そのうち誰かから「ネグジ」をゲットしたのであろうかなり遠い知り合いの知り合いぐらいの顔見知りで名前もしらない地方出身者が電話してくるのです。要件は「ネグジ送ってよ」。
おーい・・・あんた、誰?
個人情報の流出に無頓着なモンゴル人は、相当数が私の携帯電話番号をゲットしている模様。
で、名乗れよーーーー。
電話に出た途端、「お前誰?」ってきくのやめてよー!
こっちから言わせれば「お前こそ、誰?」だよ???
この手の電話、実は県知事さんとか村会議員さんとか村の助役さんだったり、挙句の果ては、どっかの役人の偉い人だったり、大臣とか国会議員とか、日本人的感覚からすると「えらい人」にもありがちなので、うかつに無愛想な対応をするわけにもいかない。
さらに、私の番号は結構、モビコムでの後払いサービスの安いビジネス版が出てきた初期にもらった番号なので、わりと覚えやすい素敵な番号。
こういう「いい番号」を持ってると、「お前の携帯番号、売ってくれ」という変な交渉が持ちかけられたりします。
わけがわからなかったのは「あなたの携帯番号は僕の娘の誕生日と同じなので、ぜひ売ってください。」とかいう全く縁もゆかりもない真っ赤な他人からのSMS。
しかも、「いくらでもいいから売ってくれ」というわりに、その上限が「50,000tg(3000円ちょっと)」という強気の交渉。お前のいくらでもいいってその程度なのかよー!
この程度のモチベーションしかもっとらん赤の他人のあんたの娘の誕生日の番号だから、っていう理由に、会社の携帯電話として10年間使い続けている私がキープすること以上の重要性を感じることはまったくできないんですけど?
9911で始まるモンゴルのビジネス版プレミアムの後払いサービス番号は、今や、すんごい付加価値ついていて、縁起がいい番号とか覚えやすい番号なんかだと、なんと数百万トゥグルグ(十五万円以上のものもあるらしい)もの高値で売買されているのです。
物欲のタガがはずれ、見栄っぱりプライドが青天井に高くなってきている都会のヤッピー君たちの価値観には驚きますわい。
そんなにしょっちゅう携帯電話でおしゃべりしないと困るほどのお友達が少ない私は、別に携帯が使えないなら使えないで、何日でもへっちゃらなのですが・・・一日にそれほどかかってくるわけでもないのに、持ってないとめんどくさいことになるんだよねー。
一時帰国中は、やはり、携帯電話をまったく活用できていない両親から借り受けているわけですが、これも到着後1週間ほどは貸してもらえませんでした。
そもそも「営業」のために日本に戻ってきているはずなのに、コミュニケーションツールの横綱に昇進しているであろう携帯電話を使わせてもらえないって・・・
とかいってたら、友達にぐいぐいとソフトバンクの営業所に連れて行かれ、プリペイド方式でとれる番号をゲットしました。でも携帯端末のほうがどうにも電源が入らず、なんか、めんどくさくなっちゃって、せっかく友達が携帯端末を貸してくれたのにもかかわらず、カイ君お父さんの白さを気にしつつも、使ってません。
日本でも携帯電話なんかなけりゃないでいいや、と思っていましたが、友達から携帯メッセージに連絡したが、返事がないので心配している、とメールをいただくに至り、両親からもお許しがでて、今は懐かしい番号と老眼対応の大きな文字画面しか出ない端末を使っております。
いざ、使うことになり、その番号を、会いたい人たちに教えると、やっぱり携帯電話は便利です。
モンゴルからもかかってくるしね。
このブログネタのアンケートの選択肢には1日以内っていうところまでで、1日以上とか1週間以上、1か月以上とか1年以上っていう選択肢がないということに違和感を覚えましたが、こういうことに違和感を覚えること自体が、携帯電話を使いこなせていない、とりのこされ族であることを物語っております。
自分は携帯電話を持たなくても全然平気なんだけど、会うべき相手とか話したい相手が携帯電話を持ってない、ということになると「なんで持ってないんだろう?不便だなぁ!」って感じている自分に、はっと「ジャイアン症候群」になっているんじゃないか、って心配になります。
モンゴル人のほうが私よりよっぽど携帯電話依存症だけどね。
ガナー君は、どこで無駄づかいしたのか、国際電話のプリペイドカードを入手したらしく、ちょくちょく我が家にかけてきます。うちの母親とも「声見知り」になったのか、母がモンゴル語をわかる、という安心感からか、抵抗感がなくなってきたらしい。
でもその内容が「なんで、電話くれないの?」だったりで、用事がないのに電話なんかかけてる暇、あるものか、と思っている私にとっては、バカバカしかったりする。
「ユーバイン?(なんかある?)」
「ユムグイ (別に)」
会話終了・・・みたいな。
そういうことって日本でもあるんですか?
日本の若者というか自分の身近な友達でも、人とおしゃべりしてても、突然目の前でかちゃかちゃ携帯電話眺めてるって驚くことがあります。
歩きながら、どうして携帯の画面が見られるのか謎?とか思う自分がオバチャンっぽい気がするんだけど、やっぱり不思議です。
しかもおしゃべりしながらですからねー。よく操作できますよね。
歩く・しゃべる・携帯使う
ある意味、脳みその使う範囲が広がってていいのかな?
仕事上、携帯電話があったほうが便利、というのは、情報過密な昨今らしいですね。
さらに、就職活動中の学生さんたちにとっては、ただの携帯電話ではなく、インターネットもできてメールもうてて、さらに携帯電話機能がついてるツールを持ってないと、そもそも就職戦線に出陣もできないらしい、ときいて愕然としました。
そりゃ、自分が就職したい会社との貴重なパイプですから、携帯電話を持たざるを得ないでしょう。
なんだか、無線の携帯電話に繋がれちゃってて気の毒な気もする。
すごく申し訳ない話なのですが、携帯電話を持つようになってから、ちょっぴり待ち合わせがルーズになってしまっています。待ち合わせ場所付近に来たのだが、地理的不案内のため、あともうちょっとがたどり着けない・・・といったとき、昔は必死で探してたけど、今は、ついつい携帯電話をつかって、「迎えに来てくれー」みたいなSOSをすぐに発信しちゃいます。
15年くらい前、テレビの編集作業の手伝いに行く際も、当時は業界では当たり前のように携帯電話度100%だったのに、私は持ってないから、編集所までの道のりで迷子になり、一生懸命公衆電話を見つけて、アシスタントディレクターさんに電話をかけて助けを求めたことがあります。そのとき「月はどっちに出ている?」ってきかれて、きょろきょろしながら、周りに見えるお店や建物の様子を訴えてたのを思い出しました。
あとから知ったのは、当時、岸谷五郎さん主演の「月はどっちに出ている」という映画のもじりだったのでした。
携帯電話の普及は、人間の生活をものすごく便利にしてくれているんだけれど、なんだか窮屈なうざさも時々感じる罰あたりな私。
ブログネタに参加したものの、本音の回答ができず、ちょっと残念。
私が携帯電話を使うのは、迷子になったか待ち合わせの時間に遅れることが確実になりそうな時、そして、携帯電話が鳴った時です。それ以外では、通話料がかかるから、使用が禁じられてます。グスン。
まぁ、こんな節約スローライフな日本滞在なので、モンゴルにいるときに比べると、携帯電話にライフハックされる度合いは低いです。
モンゴルで暮らしている時だったら?
・・・やっぱり、携帯電話、ならない限りはならさない。
携帯電話がすぐどっかに放浪しちゃうため、多分、ガナー君からかかってくる電話の頻度と同じくらい、自宅の固定電話からかけて、呼び出し音を頼りに捜索する時にかける程度かな。
今年はもうちょっとコミュニケーションツールを活用して、積極的な営業戦略とかとってみよっかな、なんてぼんやり考えています。
ウランバートル市のような都会はもちろん、今では、なんと360余りあるソム(村)や主要なリゾート観光地、幹線道路や鉱山区域周辺、定住集落周辺の草原など、相当な地域が携帯電話通話圏内になっています。
携帯電話会社にしても、日本の資本も入っている最大大手・モビコム、韓国資本が入ってるスカイテル、若者向けで後発ながらおしゃれさで売ってるユニテル、地方都市部から販路を拡大していったGモバイルに加え、電電公社的な役割をはたしているテレコムモンゴリアなどが群雄割拠し、同じ携帯会社同士の通話料が安いから、とか通話先との関係などで、一人でいくつもの携帯電話を使いこなしている人たちもいます。
遊牧民に携帯電話が普及したのは、いろんな意味で好都合。
年がら年中ってわけではないけれど、ちょっと交流が途絶えたりするとどこにいるのか完全に音信不通になってしまっていた彼らが携帯電話を持ったことで、「実はモンゴル人はすんごい連絡マメな人たちだ」という新たな民族性の発見ができました。時代の流れなのかなぁ?
口伝えで「誰それによろしくね」って、よく日本でもいいますよね?
モンゴルでもそうなのですが、この類の「時候の挨拶お手紙の口伝え版」はポピュラーでしたが、携帯電話という「コミュニケーションツール」を得たことで、地方に暮らす人たちからのSMSメッセージとかワン切り電話などが増えました。都会ではSMSはローマ字で打つのがメジャーですが、地方ではまだまだローマ字になじみがないので、不思議な表記がいっぱいです。
さらに、まったく覚えのない電話番号から何度もワン切りされるから無視してたら、「ユニット(モンゴル語だとネグジ)を送れ」みたいなSMSがしつこく来る。「あんた、だれ?」状態で結構理不尽な気持ちになるわけですが、そのうち誰かから「ネグジ」をゲットしたのであろうかなり遠い知り合いの知り合いぐらいの顔見知りで名前もしらない地方出身者が電話してくるのです。要件は「ネグジ送ってよ」。
おーい・・・あんた、誰?
個人情報の流出に無頓着なモンゴル人は、相当数が私の携帯電話番号をゲットしている模様。
で、名乗れよーーーー。
電話に出た途端、「お前誰?」ってきくのやめてよー!
こっちから言わせれば「お前こそ、誰?」だよ???
この手の電話、実は県知事さんとか村会議員さんとか村の助役さんだったり、挙句の果ては、どっかの役人の偉い人だったり、大臣とか国会議員とか、日本人的感覚からすると「えらい人」にもありがちなので、うかつに無愛想な対応をするわけにもいかない。
さらに、私の番号は結構、モビコムでの後払いサービスの安いビジネス版が出てきた初期にもらった番号なので、わりと覚えやすい素敵な番号。
こういう「いい番号」を持ってると、「お前の携帯番号、売ってくれ」という変な交渉が持ちかけられたりします。
わけがわからなかったのは「あなたの携帯番号は僕の娘の誕生日と同じなので、ぜひ売ってください。」とかいう全く縁もゆかりもない真っ赤な他人からのSMS。
しかも、「いくらでもいいから売ってくれ」というわりに、その上限が「50,000tg(3000円ちょっと)」という強気の交渉。お前のいくらでもいいってその程度なのかよー!
この程度のモチベーションしかもっとらん赤の他人のあんたの娘の誕生日の番号だから、っていう理由に、会社の携帯電話として10年間使い続けている私がキープすること以上の重要性を感じることはまったくできないんですけど?
9911で始まるモンゴルのビジネス版プレミアムの後払いサービス番号は、今や、すんごい付加価値ついていて、縁起がいい番号とか覚えやすい番号なんかだと、なんと数百万トゥグルグ(十五万円以上のものもあるらしい)もの高値で売買されているのです。
物欲のタガがはずれ、見栄っぱりプライドが青天井に高くなってきている都会のヤッピー君たちの価値観には驚きますわい。
そんなにしょっちゅう携帯電話でおしゃべりしないと困るほどのお友達が少ない私は、別に携帯が使えないなら使えないで、何日でもへっちゃらなのですが・・・一日にそれほどかかってくるわけでもないのに、持ってないとめんどくさいことになるんだよねー。
一時帰国中は、やはり、携帯電話をまったく活用できていない両親から借り受けているわけですが、これも到着後1週間ほどは貸してもらえませんでした。
そもそも「営業」のために日本に戻ってきているはずなのに、コミュニケーションツールの横綱に昇進しているであろう携帯電話を使わせてもらえないって・・・
とかいってたら、友達にぐいぐいとソフトバンクの営業所に連れて行かれ、プリペイド方式でとれる番号をゲットしました。でも携帯端末のほうがどうにも電源が入らず、なんか、めんどくさくなっちゃって、せっかく友達が携帯端末を貸してくれたのにもかかわらず、カイ君お父さんの白さを気にしつつも、使ってません。
日本でも携帯電話なんかなけりゃないでいいや、と思っていましたが、友達から携帯メッセージに連絡したが、返事がないので心配している、とメールをいただくに至り、両親からもお許しがでて、今は懐かしい番号と老眼対応の大きな文字画面しか出ない端末を使っております。
いざ、使うことになり、その番号を、会いたい人たちに教えると、やっぱり携帯電話は便利です。
モンゴルからもかかってくるしね。
このブログネタのアンケートの選択肢には1日以内っていうところまでで、1日以上とか1週間以上、1か月以上とか1年以上っていう選択肢がないということに違和感を覚えましたが、こういうことに違和感を覚えること自体が、携帯電話を使いこなせていない、とりのこされ族であることを物語っております。
自分は携帯電話を持たなくても全然平気なんだけど、会うべき相手とか話したい相手が携帯電話を持ってない、ということになると「なんで持ってないんだろう?不便だなぁ!」って感じている自分に、はっと「ジャイアン症候群」になっているんじゃないか、って心配になります。
モンゴル人のほうが私よりよっぽど携帯電話依存症だけどね。
ガナー君は、どこで無駄づかいしたのか、国際電話のプリペイドカードを入手したらしく、ちょくちょく我が家にかけてきます。うちの母親とも「声見知り」になったのか、母がモンゴル語をわかる、という安心感からか、抵抗感がなくなってきたらしい。
でもその内容が「なんで、電話くれないの?」だったりで、用事がないのに電話なんかかけてる暇、あるものか、と思っている私にとっては、バカバカしかったりする。
「ユーバイン?(なんかある?)」
「ユムグイ (別に)」
会話終了・・・みたいな。
そういうことって日本でもあるんですか?
日本の若者というか自分の身近な友達でも、人とおしゃべりしてても、突然目の前でかちゃかちゃ携帯電話眺めてるって驚くことがあります。
歩きながら、どうして携帯の画面が見られるのか謎?とか思う自分がオバチャンっぽい気がするんだけど、やっぱり不思議です。
しかもおしゃべりしながらですからねー。よく操作できますよね。
歩く・しゃべる・携帯使う
ある意味、脳みその使う範囲が広がってていいのかな?
仕事上、携帯電話があったほうが便利、というのは、情報過密な昨今らしいですね。
さらに、就職活動中の学生さんたちにとっては、ただの携帯電話ではなく、インターネットもできてメールもうてて、さらに携帯電話機能がついてるツールを持ってないと、そもそも就職戦線に出陣もできないらしい、ときいて愕然としました。
そりゃ、自分が就職したい会社との貴重なパイプですから、携帯電話を持たざるを得ないでしょう。
なんだか、無線の携帯電話に繋がれちゃってて気の毒な気もする。
すごく申し訳ない話なのですが、携帯電話を持つようになってから、ちょっぴり待ち合わせがルーズになってしまっています。待ち合わせ場所付近に来たのだが、地理的不案内のため、あともうちょっとがたどり着けない・・・といったとき、昔は必死で探してたけど、今は、ついつい携帯電話をつかって、「迎えに来てくれー」みたいなSOSをすぐに発信しちゃいます。
15年くらい前、テレビの編集作業の手伝いに行く際も、当時は業界では当たり前のように携帯電話度100%だったのに、私は持ってないから、編集所までの道のりで迷子になり、一生懸命公衆電話を見つけて、アシスタントディレクターさんに電話をかけて助けを求めたことがあります。そのとき「月はどっちに出ている?」ってきかれて、きょろきょろしながら、周りに見えるお店や建物の様子を訴えてたのを思い出しました。
あとから知ったのは、当時、岸谷五郎さん主演の「月はどっちに出ている」という映画のもじりだったのでした。
携帯電話の普及は、人間の生活をものすごく便利にしてくれているんだけれど、なんだか窮屈なうざさも時々感じる罰あたりな私。
ブログネタに参加したものの、本音の回答ができず、ちょっと残念。
私が携帯電話を使うのは、迷子になったか待ち合わせの時間に遅れることが確実になりそうな時、そして、携帯電話が鳴った時です。それ以外では、通話料がかかるから、使用が禁じられてます。グスン。
まぁ、こんな節約スローライフな日本滞在なので、モンゴルにいるときに比べると、携帯電話にライフハックされる度合いは低いです。
モンゴルで暮らしている時だったら?
・・・やっぱり、携帯電話、ならない限りはならさない。
携帯電話がすぐどっかに放浪しちゃうため、多分、ガナー君からかかってくる電話の頻度と同じくらい、自宅の固定電話からかけて、呼び出し音を頼りに捜索する時にかける程度かな。
今年はもうちょっとコミュニケーションツールを活用して、積極的な営業戦略とかとってみよっかな、なんてぼんやり考えています。

