言論NPOが実施する第18回日中共同世論調査の結果が先日、発表された。

日中両国民の相手国に対する印象については、依然として最悪の状況が続いている。

 

(2022年調査)

・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、87.3%

・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、62.6%

・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、11.8%

・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、35.2%

 

統計が開示されている2005年から比べると、とりわけ日本世論の悪化が明らかである。

 

(2005年調査)

・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、37.9%

・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、62.9%

・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、15.1%

・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、11.6%

 

日中両国国民の感情は、時の政治的な要因による変動が大きく、実際、2012年尖閣半島(釣魚島)国有化の翌年の調査では、過去最悪を記録した。

 

(2013年調査)

・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、90.1%

・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、92.8%

・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、9.6%

・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、5.2%

 

2022年度調査の結果は、コロナ禍の人的交流の機会減少が与える影響を差し引きしても、大きな政治的な悪化の要因もなく、ニューノーマルな数字として現状認識する必要がある。

 

参照:第18回日中共同世論調査(2022年)結果 / 東京-北京フォーラム / 特定非営利活動法人 言論NPO (genron-npo.net)

 

 

  咱们八零后来说,中日邦交正常化是一个在历史教科书里面的一页而已。

  但是,人与人的交流的机会,很大程度上取决于国与国的关系。

  在邦交正常化实现之前,日本人去中国特别困难。

  当时,日本政府不承认中华人民共和国是在中国的唯一政府。

  现在,日本和中国之间的各种往来,非常活跃。

  咱们八零后,享受着这些很大的恩惠,才能认识到中国。

  和中国朋友一起去卡拉OK唱唱歌;去中国参加中国友人的婚礼;中国朋友前来日本访问我家,都已经成了普通的风景了。

  之所以如此,我们应当感谢前人之努力。

  今后不管发生什么事情,咱们务必维护两国之间的友好关系。

  必须把它向下一代人继承下去!

   80後の私にとって、日中国交正常化は教科書の中の歴史の一頁でしかない。

 しかし、人と人との交流の機会は、国と国との関係に大きく左右される。

 日中国交正常化が行われる前は、中国に渡航することも、非常に困難だった。

 日本政府は、中華人民共和国を正式に国として承認していなかった。

 今や、日本と中国の往来は、非常に活発になっている。

 僕ら80後は、この恩恵を大きく受けて、私たちは中国と出会うことができた。

 当たり前のように、中国人の友だちと、カラオケに行って歌を歌うことができた。

 当たり前のように、中国に渡航して、友達の結婚式に参列することができた。

 当たり前のように、中国人の友だちが、我が家を訪ねてくることができる。

 だから、先人の努力には感謝しなければならない。

 この関係は、何があっても守っていかなければならない。

 次の世代に、受け継いでいかなければならない。



何が正しいことなのか、人間が判断する以上、明らかではありません。


社会(家庭、学校、職場、地域など)では、上の人の言うことや、みんなが同じようにやっていることが正しいとされ、

弱い立場にある人(あるいはそう見える人)がいうことや、人と同じようにできないことには、耳を傾けない・目を向けない、という傾向があるように思います。

 

権力や、同調圧力の前に、個人はとても弱い存在です。

それゆえ、個人の考え方・生き方がそれと異なるとき、矛盾を抱え込むことになります。
これが許容できない社会では、ときに理不尽な思いをすることもあるでしょう。
 

個人の側からこれに抗うことは、とても大変な力が必要です。


理不尽な思いをしている人々に寄り添い、力になること、

 

それが、私のこころざしです。

 

   以上

  弁護士になるきっかけ

 

東日本大震災で派遣切りに遭い、ハローワークで仕事を探すも、足元をみられ、最低賃金以下の給料で深夜まで働きました。新規事業を立ち上げ、せっかく軌道に乗せた途端に、退職に追い込まれました。自分の貯金も、その事業に注ぎ込んでいたので、即座に生活に困窮しました。

泣き寝入り寸前、事のあらましを友人に話しました。すると、逆に「意気地なし」と怒られました。それで、目が覚めました。

 

自分の権利を守るためには、闘わなければならない。

友人、知人の力を借りて、労働審判を申し立てました。
裁判闘争の末、会社とは和解をすることができました。
あれから10年、私は、弁護士になりました。

 

※上記会社は前職とは無関係です


以上