昨日に続き、韓国プレシアンに掲載されたリ・ミョンオクさんの記事です。

ウリハッキョの現状、大阪の現状が綴られています。

そして娘さんからの手紙も。。。

素晴らしい記事を寄稿、翻訳してくださったリさんに重ね重ね感謝申し上げます。


プレシアン連載企画 「ふたたび朝鮮学校 第5回」

「朝鮮人のくせに何で日本に住んでるんだよ」と言われても-後編-
保護者として朝鮮学校が必要だと思う理由
学父母 リ・ミョンオク



数年前、「高校無償化法」が施行される直前に、極めて政治的な理由で朝鮮学校を無償化制度から除外する動きが政府内で起こった。
続いて大阪では、テレビの力で勢いに乗っていた当時の橋下大阪府知事のアンテナに「朝鮮高校除外問題」がひっかかってしまった。
彼特有の「人々の注目を集めるための話題づくり」に利用されたとしか考えられない。 本当に腹立たしく悔しい思いでいっぱいだ。

大阪は日本で在日同胞が最も多い地域だ。 在日同胞と、そしてこの地域で共に暮らしている日本人の長い間の努力で、十分とは言えないが補助金が支給されてきた。
以前に私学の補助金が減らされる事態があった時、「朝鮮学校の補助金はもともと他よりも少ないので、これ以上減らすと立ち行かなくなります」と声を上げた府議会議員もいたのだ。
ところが、橋下知事が、税金から朝鮮学校に補助金を出すのが妥当かどうか、審査すべきだと言い出した。自らもテレビを引き連れて、大阪朝鮮高級学校を訪問した。
毎年、花園に出場しているラグビー部の生徒たちは、ラグビー経験者だという知事と一緒に円陣を組んで掛け声を上げた。踊りを披露した舞踊部員たちは、早朝に髪形を指定する連絡が回ってきて、その日、知事の訪問がある事を知ったそうだ。友人の娘さんは「オンマ、決戦の日やねん」と言って、念入りに髪を結ったそうだ。
朝高の子どもたちは、自分たちが頑張ればなんとかなる、見たら分かってくれるに違いないと思っていたのだ。
ところが、その頃からテレビでは、今まで朝鮮学校のことも、在日のことも、日本の近現代史や日本の中のマイノリティについても、興味すら抱いたことのないような芸能人まで含めて、朝鮮学校の存在が必要かどうかについて言いたい放題に語るという事態が繰り広げられた。
当時の知事は、その後、様々な妄言を重ねつつ今も自治体の長であり、政党の代表の地位にいる。勢いは少し衰えたが、選挙になると大阪ではたくさんの票をとるのだ。
苛立たしくもあり、どうしても不安にならざるを得ない。

それでも、朝鮮学校の問題を、歴史の精算の問題ととらえ、また、民族的マイノリティの子どもたちに当たり前に保証されるべき、民族教育を受ける権利が侵されている深刻な事態だと考える日本の人々と共に、日本政府と大阪府、大阪市に対する抗議の声を上げながら、なんとか持ちこたえている。

今、高3の娘が中級学校の卒業式の日に、下に写した手紙をくれた。
「大好きで尊敬するアッパとオンマへ」で始まる手紙だ。



「私がこの世に生まれてから、もう15年になります。 この間、特にこの12年間、私をウリハッキョに通わせるために、苦労が多かったと思います。毎日、私の見えない所で私たちのために仕事をしているアッパ、朝早くから美味しいお弁当を作ってくれて、必ず家の外に出て見送ってくれるオンマ、本当に本当に本当にありがとうございます。それから、私をウリハッキョに送ってくれてこと、感謝、感謝の気持ちです。 ウリハッキョで学ぶ時間は、あと残り3年なので、3年間、朝高で思いっきり学び、朝鮮人として立派に生きてゆけるアッパやオンマのような人間に、そして、アッパとオンマの誇りとなるような娘になりたいです。
これからも、よろしくお願いします(笑) 大好きです♡」

15年を日本で暮らすと、「朝鮮人」になるためには「学び」が必要だということを子どもも感じるのだと思う。 保護者として15年を過ごすと、その学びを子どもたちに与えることが容易でなはない現実を知ることになる。

娘の手紙を読むと私は専業主婦のようだが、3人の子どもを朝鮮学校に通わせている家庭に共働きでない家庭はない。 高い学費と寄付金や協力金を学校に払っているが、早朝から夜遅くまで、そして休日もろくに取れないまま働く、朝鮮学校のソンセンニムたちの給料は、おそらく他の人には想像がつかないくらい少ない。 子どもたちが毎日を過ごす校舎も古く、問題はたくさんあるのに少しずつしか手を入れられない、イタチごっこの修理を続けている。
オモニ会やアボジ会といった保護者会、同窓会などが他の事はさて置き、お金集めに奔走せざるを得ないのもそのためだ。学校扱いを受けられないので、学校に寄付したからといって税金の控除を受けることもできない。

朝鮮学校の子どもたちは、もしかしたら日本で最も目につく在日かもしれない。
それゆえに、本気で理解し共感してくれる日本人や、南北の祖国の同胞たちと出会う機会にも恵まれ、同時に、右翼的で排他的な人々の標的にもなりやすい。

子どもたちは、自然な気持ちで祖国の統一を願っているし、自分は南北の橋渡しができる存在になれるのではないかと夢見ている。 そして在特会のような勢力の攻撃を受けても、怖がったり腹を立てることはあっても、「朝鮮人じゃなかったらよかったのに」とは思わない。
私は、この事が、実は朝鮮学校の持つ一番大きな価値なのではないかと思っている。

様々の思いを持ちながら、自分のルーツを知り、受け入れるために頑張っている、民族学校以外の学校に通う同胞の子どもたちにとっても、目に見える存在としての朝鮮学校は必要だと感じている。
大変なことも多いが、とにかく朝鮮学校をあきらめるわけにはいかないのだ。
親や同胞たち、そして先生たちの心配や悩みをよそに、子どもたちは今日も天真爛漫にウリハッキョに通っている。


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http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60130812171211&section=05