無償j化連絡会大阪の藤永先生が韓国のインターネットニュースプレシアンに寄稿した記事です。

モンダンヨンピルHPでも紹介されていますので藤永先生のFBページより原文を転載いたします。

皆様ご一読ください。


朝鮮学校は今なお植民地時代…「同化」と「差別」の歴史

日本政府の朝鮮学校差別正当化の論理:下村文科相の植民地主義的言説を検証する
2013年7月23日 9:52

韓国のインターネット新聞『PRESSian』2013年7月23日付に掲載された「朝鮮学校は今なお日帝時代…「同化」と「差別」の歴史:[再び朝鮮学校](2) 下村長官の植民地主義的言説の検証)」の、日本語オリジナル原稿(一部修正)です。

----------------------------------------------------------------------------



国際人権機関の差別認定と日本政府の反論



国連社会権規約委員会は、さる5月17日付で日本での規約実施状況に関する第3回総括所見を発表し、「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外を明確に「差別」と指摘した。実はこの制度が実施される直前の2010年3月9日にも、国連人種差別撤廃委員会が、「朝鮮学校を排除するべきことを提案をしている何人かの政治家の態度」は「子どもの教育に差別的な効果をもたらす行為」として「懸念を表明」したことがある。国際人権機関が「無償化」制度からの朝鮮学校排除を疑いのない差別と認定したことで、基本的人権を無視する日本政府の政策の不当さが国際社会にも広く示されることになった。


モンダンヨンピルcaffe
▲2013年4月30日、ジュネーブで開催された国連社会権規約委員会での日本政府の不誠実な陳述に抗議し、朝鮮学校のオモニ代表団は会場の国連人権高等弁務官事務所の周辺で座り込み、アピールを行った。

ところがこの社会権規約委員会の所見に対し、下村博文文部科学大臣は、「朝鮮学校に北朝鮮系の生徒が全て行っているわけではなくて、在日の人たちはそれぞれの選択によって……かなり大多数は実際は日本の第1条校[学校教育法第1条で定められた「学校」(=幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校)を指す――引用者]、普通の日本の学校、公立や私立の学校に行っているという事実があるわけでありまして、これは民族差別には全く当たらないというのははっきりしていることだと思います」と反論し、朝鮮学校が「第1条校化すれば済む話」と居直っている(「下村博文文部科学大臣記者会見録(2013年5月24日)」)。



日本政府はすでに4月30日、社会権規約委員会の審査過程において、朝鮮学校の「無償化」不指定は「民族という観点から判断するのではなく、審査基準の観点から制度の対象となる学校を限定するもの」であり、「特定の民族を差別する措置ではない」、また一条校などに在学する在日朝鮮人――本稿では文章の内容に鑑み、韓国籍者も含めた朝鮮半島出身者の総称として「在日朝鮮人」という語を使用する――や韓国系の学校は制度の対象になっていると、下村と同様の主張を展開したという。



こうして見ると日本政府は、在日朝鮮人生徒の大多数が「高校無償化」の適用対象となっているのだから、朝鮮高級学校に対する「無償化」制度からの排除は「民族差別」ではない、という論理で主張を統一しているようだ。



しかしこのようなレトリックこそが、そもそも植民地主義的な発想にもとづく詭弁であることを見誤ってはならない。私はすでにこのサイトで、朝鮮学校に対する「無償化」排除、補助金停止などの一連の措置が、日本社会の底流に根強く存在する植民地主義に由来していると述べたことがある(大阪に「ホンギルトン」が現れた:大阪府補助金停止問題の歴史的背景を考える)」『PRESSian』2012.8.29)。本稿は、旧稿と一部重なる部分もあるが、とくに下村発言に焦点を当て、この発言に代表される民族教育抑圧の論理が、日本国家の植民地主義的発想に基づくものであることを、改めて確認しておきたい。


モンダンヨンピルcaffe
▲大阪市内のある朝鮮初級学校の公開授業にて「日本語」授業の様子。




同化政策と民族教育抑圧



植民地主義(colonialism)とは、辞書的に言えば、軍事力などの強制力によって他民族を従属させ、支配地域=植民地を獲得、拡大、維持しようとする政策・支配の方法、あるいはそれを支える思想を指す。歴史上、植民地支配の思想・方法としては、大きく分けて「同化」と「分離(=差別)」の二つがある。両者は根本的には矛盾する存在なのだが、実際の植民地統治においては、しばしば同化政策と差別政策とが混在しつつ実施されていた。かりに被支配民族が同化政策によって民族文化の放棄を余儀なくされたとしても、支配民族との差別が完全に解消されることはなかったし、一方で同化を拒めば、差別的な措置が強要されたのである。このことは、朝鮮に対する日本の植民地統治政策を思い起こせば、容易に理解できるだろう。



在日朝鮮人の民族教育に関わる歴史を振り返ると、日本国家は一貫して朝鮮人独自の教育機関を抑圧し、子どもたちを日本の学校へ通わせようとする同化政策を方針としてきたと言える。日帝植民地時代、在日朝鮮人は大阪、愛知、兵庫、京都などの府県で1920年代半ばごろから朝鮮語教育を主目的とする教育機関を設立していたが、1930年代半ばまでには強制的に廃校させられ、子どもたちは日本の学校への就学を強要された。



解放後、在日朝鮮人による民族学校が多数設立されると、これを警戒した日本政府は1948年1月24日、文部省学校教育局長の名義で通達を出し、「朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は、日本人同様市町村立又は私立の小学校、又は中学校に就学させなければならない」という方針を示し、従わない朝鮮人学校に対しては閉鎖命令を下した。この弾圧に抗議して展開されたのが、有名な「阪神教育闘争」(1948年4月)である。



その後1950年代末から60年代にかけて、日本の地方自治体では、税制上の優遇措置などが認められる「各種学校」として朝鮮学校を認可する動きが広がった。しかし日韓国交正常化(1965年6月)を契機に、日本政府はこうした動きに歯止めをかけようと、1965年12月28日、文部事務次官名義で、「朝鮮人学校」を各種学校として認可すべきでないと地方自治体に通達した。在日朝鮮人児童・生徒は日本の学校で就学させるのが原則なのだから、朝鮮学校に通いやすい条件を整えるべきではないというわけである。このころ自民党のある調査委員会の報告書(1965年5月)は、在日朝鮮人児童・生徒を「積極的にわが国の学校教育の中に入れて」「できるだけ日本人と同様に取り扱うよう考慮し、些細な差別により偏狭な排日的民族教育に走らせないようにする配慮が必要である」と述べている(自民党政調文教調査会「外人教育小委員会中間報告(案)」)。在日朝鮮人の子どもたちを積極的に日本の学校教育の中に入れて同化すべきだと主張しているのである。



最近では、大阪府の補助金問題に関連して、橋下徹前大阪府知事(現大阪市長)が2010年3月、朝鮮学校が北朝鮮とつながっているなら「僕は子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる」(『朝日新聞』2010年3月10日夕刊)、「朝鮮学校に通っている子どもたちの学習権を侵害するつもりはない。府立高校でも私立高校でもきちんと受け入れをする」(『47NWES』2010年3月10日)などと述べたことがある。日本の学校教育のほうが、朝鮮学校より「正常」なのだから、朝鮮学校の「子どもたちを取り戻し」日本の学校で学ばせるという傲慢な暴言であった。



朝鮮学校と日本の学校の教育内容が全く違うにもかかわらず、在日朝鮮人の子どもたちを日本の学校に通わせるというのは、子どもたちの民族教育を受ける権利を奪う行為、言い換えれば橋下前知事の言う「学習権を侵害する」行為にほかならない。朝鮮語の習得や、民族の文化・歴史に関する素養を身につける機会が保障されないまま成人すれば、民族的アイデンティティの形成に困難が生じることは必至であり、日本人化=同化が誘導されることになる。日本国家が在日朝鮮人を日本の学校へ行かせることに固執してきたのは、まさにこのような結果を狙っているからであろう。そして、だからこそ同化を拒む制度としての朝鮮学校を敵視し、差別と排除と抑圧の政策を繰り返してきたのである。これが植民地主義の発想でなくて何であろうか。


モンダンヨンピルcaffe
▲中大阪朝鮮初級学校には、民族教育歴史資料室が開設されている。朝鮮学校アボジたちの手作りだという。




下村発言の本質



さて下村文部科学大臣は、在日朝鮮人の大多数が「それぞれの選択によって」、「普通の日本の学校」すなわち一条校に通っているから、民族差別にはあたらないという。しかし果たして在日朝鮮人の大多数は、本当に「それぞれの選択によって」一条校に通っていると言えるのだろうか。そもそも一条校とはどのような学校なのだろうか。



一条校、とくに初等・中等教育を担う小学校、中学校、高等学校では、法律上、その教育課程は文部科学大臣が定め、また使用する教科書も文部科学大臣の検定を経なければならないことになっている。当然のことだが、大多数の小・中・高等学校における教育は、ほとんどすべてが日本語で行われ、「日本国民」の育成を優先目的に実施されていると言ってよい。



現在、日本には韓国系の民族学校で一条校に指定されている私立学校が3校あり、また大阪など在日朝鮮人の多い地域の公立小・中学校では課外活動として週1回ほど民族学級を運営しているケースもある。いずれも貴重な民族教育の取り組みであることは疑いないが、このような学校は日本全体で見ればごく少数であり、また一条校としての教育を優先しなければならない状況のもとでは、民族教育の実施はおのずから大きな制約を受けることになる。だからこそ朝鮮学校は一条校になることを拒み、民族教育の実践を主眼とする独自の教育課程のもとで、独自の教科書を編纂、使用し、「日本語」以外の教科ではすべて朝鮮語を使用するなどの教育体制を整えているのである。このような点で朝鮮学校の民族教育は、一条校におけるそれとは大きく異なっていることを見落としてはならない。



ただし一条校という制約の中でも、民族教育を受ける機会のある子どもたちは、日本の現状から見れば、相対的には恵まれていると言えるだろう。実際のところ、一条校に通う在日朝鮮人児童・生徒の圧倒的多数は、民族教育の機会を全く与えられていないと見られるからである。



在日朝鮮人の保護者たちが子どもを日本の学校へ送る主な理由は、公立の小・中・高等学校ならば学費を支払う必要がないし、また自宅近くの学校へ通学させられるからである。現在、日本全国の朝鮮初・中・高級学校は70校に満たず、朝鮮学校が1校もない県も東北・九州・四国地方などに多く存在する。これを日本全国に21,166校ある公立小学校(2012年度)と比較すれば、朝鮮学校の児童・生徒たちが通学面でいかに大きな負担を強いられているかは明白である。また経済的負担の面で言えば、たとえば「無償化」制度がはじまる前年の2009年度、大阪市の公立小学校児童一人当たりの公的補助額(公財政支出教育費)は905,251円なのに対し、朝鮮初級学校児童に対する公的補助額(大阪府・市補助金の合計額)は一人当たり約93,300円であった。すなわち朝鮮初級学校児童に対する公的補助は、公立小学校に通った場合に比べて、十分の一ほどに過ぎず、そしてこのように僅かに支給されてきた補助金さえ、2011年度には完全に停止されてしまったのである。



もちろん日本社会への定着が進む中で、民族教育に関心を持たなかったり、むしろ積極的に日本の学校を選択する在日朝鮮人も少なからず存在することだろう。このことについて日本人である筆者が何かを述べる立場にはない。しかし重要なのは、民族教育を受けたいと望む在日朝鮮人に対しては、その機会が十分保障されなければならないということである。上述のように、現在の日本において民族教育を受けるためには「普通の日本の学校」に通うのとは次元の違う大きな困難をともなうのであり、下村文部科学大臣の言うように、在日朝鮮人が「それぞれの選択によって」一条校に通っているなどとは、とうてい言えない。否、先に見たように日本国家は一貫した同化政策のもとで、在日朝鮮人の子どもたちを一条校へ通わせようと画策してきたのである。



このたびの「高校無償化」政策において、日本政府は朝鮮学校だけを不適用とし、他の民族教育機関には適用することで、露骨な分断をはかってきた。「分割して統治せよ」という狡猾な植民地主義者の常套手段を思い起こさずにはいられない。そしてそのうえで下村大臣は、朝鮮学校への「無償化」適用の条件として「第1条校化すれば済む話」などと、同化教育政策への服従を要求している。しかしターゲットは朝鮮学校だけではない。たとえば近年、大阪では一条校に指定されている韓国系民族学校に対して、日章旗を掲揚せよとの圧力が徐々に強まっているという。下村大臣の発言は、日本政府が在日朝鮮人全体に対して民族教育の権利を保障する意志のないことを、改めて表明したと解すべきなのだ。



民族教育を通じた民族的アイデンティティの形成を、他の外国人には認めても、在日朝鮮人に対しては認めない。(台湾系の民族学校は日本と国交がないにも拘わらず「高校無償化」制度が適用されている。)これこそまさに民族差別ではなかろうか。朝鮮学校への差別を正当化する論理は、植民地主義にもとづく在日朝鮮人への差別意識の産物にほかならないのである。


モンダンヨンピルcaffe
▲朝鮮初級学校の教室の壁には生徒の作品などが掲示されている。

プレシアン記事URL
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=60130722170927