私が初めて自分がHSPであるというのを認めざるを得なかったのには理由があって、
自分は人とは違うんじゃないか?と強く思ったこと
その「違い」によってもうこれ以上誰かを傷つけたくなかったこと
そんな思いで、以前からチラチラと気になっていた皆川公美子さんのブログをノートに夢中になって書き写したのが2020年1月末のことでした。
2月にはセミナーに参加し、自分がHSPで在ることを確信したのですが、
この時既に自分が「洞察系HSPであること」を分かっていたのは本当に幸運だったなと思う。
HSPにまつわる書籍をたくさん読んだわけではないけれど、最近よく「私もHSPです~」とメッセージを頂く事が多く、
それだけ世間的にも広まってきた事を嬉しく思いつつ、
「洞察系HSPです」という風におっしゃるかたはまだまだ少ないんですよね。
私・・・もし最初に自分が『HSPである』ということだけしか知らなかったら?と思うと、恐怖なんです・笑
なんでかっていうと、HSPにもこれだけ敏感さの方向が違う事を知らなかったら、
また「私だけ違う!なんで違うんだ!」ってやっちゃうと思うから。
最初に出会ったブログが、皆川公美子さんのブログであったことが私にとっては幸運で、救いの神でもあったわけです。
すぐ自分は洞察系HSPであることを知れた。
こんなにも深く深く本質を求めてしまうのは、自分の気質ゆえだったということを最初に知れて良かった。
人はそこまで求めて居ないという事も、
自分はどこまでも深く深く追い求めて行きたいという事も、
私にとってはどちらも必要な情報だったから。
私は昔っからそうなのだけど、何か一つだけでなかなか納得できないところがあります。
これも恐らく、洞察系HSP故の行動パターンなのかもしれません。
だから色んな事を学んで、色んな方向から検証して、自分が納得する情報を得るということをしてきました。
それはとても遠回りで、誰かに評価されたくてやっているわけではなく、本当に自分自身のため。
どうしても心の奥底で自分が求めてしまうから、それに従っているだけなんです。
人と違う事をやっていくというのは、それだけで理解されにくいし、アウェイだし、どうしようもない孤独感に苛まれることもある。
周りが羨ましく思えてキラキラした世界に飛び込んでは撃沈して・・・なんてことは未だにあります・笑
その度に、また自分の素材に気付いて、それがダメだと否定するのではなく、受け入れて認めて、赦していく。
だからもし、今、HSPであるということを知って安心した半面、どうしても腑に落ちない部分がある方は
公美子さんのブログを読んでみて欲しい。
ザックリとした「HSP」という大きな枠だけでは計れない自分の気質や特性について知れるかもしれない。
そして私たちは何か一つの診断をしたところで、バシッと答えが出るほど簡単な生き物ではないよ、ということも覚えて居て欲しいんです。
ここじゃないどこかに答えがあるわけではなく、
自分の内側にしか答えはないんだけど、
しっくりと来る「何か」を追求していくことは悪いことではないと思います。