こんにちは。

 

 

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鬱々と過ごしていた大学時代、

ちらほらと聞こえてくる末期症状の昔の同級生

皆そんなもんなのかな~って。

 

 

あるとき何気なくSNSを見ていたら、

幼稚園のときの同級生の家族写真が飛び込んできました。

 

 

私とは全然違う人生を歩んでたお友達で、

高校は定時制を中退して、ずっとフリーターをしていると聞いていました。

小学校までは家が近いので、一緒に遊んでもらったりしていたのですが、本当に優しくて良い子で。

 

 

「私はアホやからさ~。tomokaちゃんはお勉強できて賢いもんな~。」

っていつも笑顔で言ってくれる子でした。

 

 

 

共通の友人から定時制に入ったと聞き、

またまた共通の友人からその高校を辞めたと聞いたときは

 

私は高校3年生で勉強も絶好調なときでした。

だから「あの子、終わったんだな。かわいそう」って思ってたんです。正直ね。

 

 

 

それから3年ほどして、SNSで飛び込んできた彼女の家族写真は

真面目そうな旦那さまと可愛すぎる男の子(子ども雑誌の赤ちゃんモデルとかしちゃうぐらいの可愛さ♡)。

そしてもちろん、笑顔満開の彼女

もう何も文章など見なくても幸せなのが一目でわかるお写真でした。

 

 

その写真が当時の私には眩しすぎました

 

 

 

私の同級生や私の方がずっとずっと「頑張って」きた。

死に物狂いで勉強した。

勉強すれば、「人生に選択肢が増え」て、「より幸せになれる」と聞いていた。

 

 

 

でも現実はどうなっている??

 

 

実際は選択肢を与えられているとしても、その自由を使いこなせず

幸せな気持ちは感じられず

私よりももっともっと勉強してきた友人でさえ、

まさに今、命を絶とうともがいて自殺未遂を繰り返している

 

 

 

勉強頑張った順に、幸せ順も並ぶんじゃなかったの??!!!

 

 

と、胸が張り裂けそうでした。

 

 

そこで気づいたんです。

私たち(同級生も含めて)は

「頑張ってきた」んじゃなくて、

「我慢してきた」だけだということに

 

 

親の言うことを聞く我慢。

塾に行って順位順に並べられ、恥をかかされても我慢。

先生に理不尽に怒られても内申点を気にして我慢。

友達と遊びたくてももちろん我慢。

ずっとずっとずっと我慢。

我慢すれば、未来は開けると信じて。

 

 

 

正しく努力すれば報われるし、幸せになれると思います。

でも我慢って意味ないんですよね。

我慢代を払えば未来の保証をしてくれる世の中じゃなかったんです。

特に現代は。

 

 

 

それから私は決めました。

もう絶対おかしな我慢はしない。

我慢じゃなくて、ちゃんと自分の正直な欲望通りの目標を決めて

正しく頑張ろうって

私の21歳の夏の大きな決意。

 

 

 

今まで目標を

「他人目線」「他人の物差し」で決めてきました。

 

 

そうじゃなくて、「自分目線」「自分の願望」で目標は決める。

 

 

その結果が、

①料理は手の込んだものを作って、夫を幸せな気持ちにする

②夫を独立させるため、2億円の資産をつくる

③海外旅行をほぼ無料で行く

④夫の好きな車を買う

 

 

なんです。

もう全部夫関連。

私はもっと崇高な目標(社会のためになるような)を求められてきたけど、

本当は夫と幸せにやっていきたいだけ。

昔は「世界を変える」ような夢ばかりもって、周りをホーッと言わせてきたけれど、

実は本当の本当に素朴な女でしたww

 

 

 

本当は誰よりも夫を幸せにしたい。

小さな夢だと言われてももう良い。

 

 

そうして今に至るんです。

【マイプロフィール・終】