11月6日の週、11月13日の週と、私は製品Vの他のメンバーと同じく毎日のように朝の8時半から夜の21時半までの時間外業務が設定されていた。

 

 

 

 

設計室の各メンバーの時間外は、その時の担当製品の状況によってT室長が計画を作成し、基本的にはその計画に沿って業務を行うような形をとっている。製品Vについては、長期間にわたって時間外勤務の上限に近い計画を立てられていた。

 

私は、その時間の中で製品Vの残務、そして退職準備を並行して行なっていった。

 

 

 

退職が決まってからは、その長時間勤務も苦ではなかった。

 

なぜなら、そこには11月22日という明確な終わりがあったのだから。それまではいつまで続くか分からない長時間勤務に心身ともに疲弊しているような状態だった。

 

 

 

 

 

私の最終出社日が設定されている11月22日。

その前の日曜日(19日)には、休日出勤も設定されていた。12月中旬に製品Vの試作機用の出図があるので、それに向けて少しでも遅れを挽回させようとT室長の方で休日出勤の設定をしていたのだ。

 

 

始めはその対象者に私も入っていた。

 

最終出社日の3日前に休日出勤をするのか・・・。

こころのどこかではそれにうんざりするような思いもあったのだけど、それでも少なくとも11月22日までは製品Vの残務を精一杯こなすと自分の中で決めていたので私も休日出勤をするつもりではいた。

 

 

ただ、11月16日に19日の休日出勤対象者の確認をする段階で、T室長の

「もう◯◯君(私)はいいんじゃないか」

の一言で、その休日出勤の対象者から外れることになった。

 

 

 

私だけが休日出勤の対象から外れることについて、「申し訳ない」と思うことはなかった。

 

そのような労働環境が嫌で嫌でたまらなかったからこそ、企業B、そして会社という枠組みから離れるのだから。

 

 

それは私の中での偽らざる思いだった。