11月2日の午後、私は人事の居室に赴いた。
すると、人事居室の奥から退職担当のNさんが立ち上がって私の方に寄ってくる。
「○○さん(私)ですよね?」
「はい」
「それでは、こちらへ」
居室の横にある会議室に誘われた。私はNさんの後についてその会議室に入った。
Nさんが退職の手続きについて簡単に説明していく。
退職願を提出してからの流れ。
人事への返却物。
そして、最終出社日の流れ。
「何か質問はありますか?」
「返却物の中に社章があるかと思いますが、もしその社章を無くしてしまった場合は何か書類を提出する必要がありますか?」
返却物の中に社章というものがあった。その前日の夜に自分の居室の机の引き出しを色々と探してみたのだけどどうしても見つからなかったのだ。
私は中途採用でその会社に入社したのだけど、そもそもとしてそのような「社章」をもらった記憶もなかった。ただ、中途だからもらいそびれていたということもないだろうから、おそらく私が失念してしまっていて、そしてその社章を紛失してしまってるのだろう。
「特に書類というほどのものでもないですが、一枚誓約書に記入して提出してもらえば問題ありません」
説明がひと段落すると、Nさんは私に次のような質問を投げかけてきた。
「参考までに、退職後のことを聞かせてもらってもいいですか?」
「はい」
「退職後は転職をなさるのですか?」
私はなんと答えるか少し迷った。
少なくともまだ私は企業Bの会社員という立場だったので、変に、
「アーリーリタイアをするつもりです」
ということも憚れた。人事にそのように話して、人事から周りにそのような話が伝わってしまうのも避けたかった。
「転職ではなく、自営業のような形になります」
「え? ご実家が何か自営業をされていてその後を継ぐということですか?」
「そういうわけではなくて、個人としてやっていくということになります」
「起業のような形ですか?」
「そうですね」
最後はぼかして答えておいた。
「すごいですね」
「・・・」
「今日はありがとうございました。最後に何かご不明な点はありますか?」
「いえ、特にないですね」
私はNさんに小さく会釈をして、そしてその会議室を後にした。