2月1日      <間合い>
剣術などでよく「間合い」が大切だと聞きます。剣道を習った訳ではないのですが、時代劇や剣術劇画などで「斬る斬られるは剣の鋭さではないッ。間合いをどう取るかなのだ。」なんてことを剣聖が目をつぶりながら言ったりします。剣を全く振る前に間合いを取りながら向き合うだけで、「参りました」などと叫んで土下座するといった場面もたまにあります。この人と人の間合いは、斬る時だけでなく、人に近しくなる時にも肝要であるということを最近知りました。どういうきっかけで人との間柄を更に深めるか。これはコミュニケーションを考える上で重要なテーマですが、当社の若い社員H君の話を聞いて感心しました。合コンとかで複数の女の子と一緒に居る時に、彼は喋り上手という訳でもないらしいのですが、気に入った女の子が居るとスッと彼女に物理的に近付くのだそうです。言葉ではなくて間合いによって気持ちを表して、受け容れられないとまたスッと遠ざかる。言わば間合いだけでコミュニケーションを取る彼は、合コンキングだそうです。いやはや、中々の達人と言う他はないでしょう。


2月4日     <パラドックス>
ダボス会議がNYで行なわれています。街中が威信を賭けて治安の維持に努めています。至る所に州内からかき集めたのであろう警官が闊歩しています。会場となっているウォルドルフ・アストリア・ホテル(エディー・マーフィーの「王子様NYへ行く」という映画で王様が泊まっていたホテルです)の周辺は物々しい感じで、バリケードが多く建てられていて人通りも少なくなっています。ホテルのすぐ近くまでデモ隊が来ますが、普段は案外静かで、黙ってプラカードを持って立っている人たちが数十人いる程度です。その人たちと道を挟んで反対側には制服警官が100人ほどまとまって待機して何やら蠢いているので、「警官」という先入観念を除外して見るとどっちがデモ隊が見分けがつきません。世界経済フォーラムの中で議論している人たちの多くがアンチ・グローバリゼーションを熱心に説いていて、会場の外も中も主張に大きな違いは無いように思われます。参加者の中には、会議に招待されていなければ外でデモに参加している人もいるのではないでしょうか。テロの目的が自由経済を停滞させることだとすると、これだけ無駄なことをさせているのは望外の結果かも知れません。一方で無駄こそ経済の活力だという考えもあるでしょう。そんな風にパラドックスに満ちた会議も残す所あと一日です。パラドックスの存在を認識させることが、もしかしたらダボス会議の最大の貢献かも知れません。


2月5日      <マスコミの責任>
アメリカのメディアなどにいろいろと取材されます。一番彼らに目新しく聞こえることは、「日本の国民は変化に対する心の準備がかなりできているよ」ということです。小泉内閣が実際に改革ができるかどうかということを考える時に、いわゆる抵抗勢力だけでなく、国民全般における抵抗感の強弱というのはとても重要だと思われるのですが、日本のメディアはあまりそのことを書きません。何かしらの事件をきっかけに支持率はぶれるでしょう。これも調査する側の聞き方によって数字は10%―20%は簡単に(意識的に)振れさせられると思うのですが、支持率が下がっても変化に対する心構えはさ程変わらないでしょう。その部分がきちんと報道されていません。期待の形成をしっかりと内外に築いて行く責任をもっと自覚してもらいたいと思います。


2月6日     <哲学者は寒い所に多い?>
住む場所の気温と思索活動とは関連があるでしょうか?赤道直下の地域からの哲学者というのはあまり聞いたことがありません。しかし暑いと思考が鈍るのかと思うと、エスキモーで著名な哲学者というのも聞いた覚えがありません。では暑くも寒くも気候が厳しい所は哲学に向かないかと思うと、気候が穏やかなハワイからもあまり哲学は聞こえてきません。さてこれはどういうことでしょうか?ひとつ仮説を立ててみました。「厳しくも楽しくも生きる実感のある場所では哲学は生まれにくく、不自由や感動のない場所では、いろいろと頭で考えることによって敢えて苦しみを探して生きていることを確認する。」もし仮説が正しいとすると、随分無駄なことに人類の知力は使われてきたことになりますね。


2月7日     <ご飯つぶ>
仕事上のディナーで食事を摂りながら議論などをしている時に、話している相手の口元にご飯つぶなんかがくっつくと妙な滑稽さがあります。その人が年配できちんとしていて、話の内容が固いもので、真面目な顔で議論に力が入っていればいるほど、かえって可笑しさは倍増します。そしてどういう訳か「ご飯つぶが付いてますよ」と指摘する人がほとんどいないものです。私なんかも中々言えなくて、わざと頻繁に自分の口元をナプキンで拭いたりして気が付いてくれるように努力したりします。しかし人は何故言い出しかねるのでしょうか?気分を害してはいけないと考えるのでしょうか?明日は我が身という気持ちから言いにくくなるのでしょうか?ただ単に面白いのでもっと見ていたいからでしょうか?これからはそういう場面ではいろいろな指摘の仕方をしてみて、反応を観察してみたいと思います。


2月8日      <再生>
エンロンの事件は、その関係者のモラルの問題など驚かされることが多くありますが、事件が発覚してからいろいろなことが壊れて再生していくまでの時間の速さにはいい意味で驚かされます。エンロンは既に多くの人が会社を離れて第二の人生を歩み始めていますし、またいくつかの部署が既に会社から切り離されて、債務などを清算した上で他の会社に引き取られてオペレーションが始まっています。これらの人や部署は瞬く間に再び経済活動を盛んにし、経済社会に貢献するでしょう。このような再生のプロセスがアメリカではとても速く、日本ではとても遅いと言えるでしょう。日本の経済をここまで停滞させた原因は、ファンダメンタルなリソース不足(人とか、金とか、技術とか)ではなく、リソースの最適配分がされなく、再生のプロセスが欠落している所にあるに違いないと思います。構造改革の主眼は、一点その部分に当てられるべきではないでしょうか。


2月12日      <逆さ>
米アラバマ大の研究チームが、逆回転している銀河を発見したらしい。逆回転というのは、通常銀河は渦が中に巻き込まれていくように回転している訳ですが、逆にあたかも渦を外側に向かって放出するような向きに回転しているというのです。これは驚きモノです。どう考えても自然の摂理に逆らっています。2つの銀河が合体してこの銀河はできたらしく、その影響でこのような現象が起きていると伝えられています。恐らく表面上は吸収されて見えなくなってしまった小さい方の銀河が、実はとても大きな質量を持っていて、その銀河がもともと逆回りに回転しており(これは渦を巻き込む向きには回転しているのですが、右回りか左回りかという違い)、その影響で大きい方の銀河が無理やり逆さ向きに回されてしまっているということでしょうか。いやはや。しかしこのような不自然な存在というものは長続きはしませんし、子孫というか相続する存在もありません。さしずめ我が国の国会などは、逆回転銀座といった趣でしょうか。


2月13日     <選挙制度>
日本が何故中々変わらないのかずっと考えてきました。アメリカの投資家やジャーナリストにも良く聞かれます。ボストン茶会事件以来、「国」の根幹は選挙制度と税制の2つです。いろいろな改革や不良債権処理、制度変更は必要ですが、一番効率的に、しかも将来にわたって恒常的にお金などのリソースの流れを変えられるのは税制です。そして税制の変更を恐らくもっとも抑えているのが利権であり、延いては選挙制度だと思います。現内閣が、或いは将来の内閣が構造改革を断行する時に、選挙制度の改善もぜひ手を付けて頂きたいと、切に願います。いや、これは願うのではなくて、要求しなければいけないのでしょう。


2月14日     <空の上での仕事>
NY-東京間の飛行機は12時間も掛かる長旅です。私は長距離ジェットはあまり苦にならない性質(たち)でして、離陸から着陸まで殆ど全部寝ていたこともあります。あまり皆さんされてませんが耳栓はとても効果的で、これはF1レーサーなども皆している300円ぐらいの代物で、これをするとスチュワーデスの方の声や音楽とかはきちんと聞こえますが、「ノイズ」をしっかり吸収してくれるので神経や体の疲れが格段に小さくなります。ずっと起きている時もあり、そんな時はPCで仕事をしたりしますが、いつも悩みのタネは電源です。が、しかし、遂に日本のジェット機も便利になりました。今回乗った飛行機は2階席(ビジネスクラス)の後方に机と電気スタンドと電源があって、思う存分仕事が出来る環境が作られていました。ファックスまでありました。いやー、中々便利なものですね。私はうっかり8時間ぐらい仕事をしてしまいました。便利になると却ってあくせくしてしまうというのも問題ですけどね。


2月15日      <為替>
為替レートというのはつくづく妙なものだと思います。現代世界においては大概の国は他国との間の輸出入は膨大なので、為替レートが動くだけでその国の経済が大きく影響を受けます。例えば今日本の経済は全然ダメだとか言われていますが、仮に1ドルが180円とか200円とかになるとアメリカの車産業とかは大打撃を受けるでしょうし、世の中の風景が一転してしまいます。しかし為替レートはふわふわと、時には一部の投資家、或いは投機家の行動によってズルッと動いてしまう場合もあります。結局それは本来の経済のファンダメンタルズに鞘寄せされるだけだという見解もありますが、為替の位置自体がファンダメンタルズに大きな影響を与えるというのも事実です。政治によって誘導されることもあります。かつて1ドルは360円でしたが、ここまで円高になった背景は経済力の差による結果だったという言い方も出来ますし、経済力の差を為替レートの移動によって補正調整しようという意思だったという言い方も出来ます。ややこしいですね。


2月18日      <為替 その2>
約30年前に円が変動相場制に移って以来、長い円高トレンドの歴史でした。一旦80円をつけてから円安に戻したものの、やはり360円から100円台の下の方という基本的に長い円高傾向には変わりありません。今まで金融商品や経済に対する不安があると、いつでも答えは「やっぱり安心なのは郵便貯金」でした。しかしこの郵貯神話は実は長期円高トレンドと関係があるのではないでしょうか?もしここから円が150円、200円を目指して円安になるとすると、様々な不安から郵貯にお金を移しても、日銀券はいつも預けただけ返ってきますが、かつてヨーロッパに行けたお金でグァムとかにしか行けなくなるかも知れません。円安傾向に入ると、もっとお金は預・貯金から外貨資産や株式などのリスク・アセットに移り始めるのではないでしょうか?我が国における投資パターンの理由が、実は民族性でも何でもなく、単に為替の映しだったという仮定も面白そうですね。


2月19日     <母校と母港>
先日、高校を卒業して20年目にあたる学年全体の集まりがありました。400人中、約200人が午後3時に母校に集まり、80歳以上になられた先生方も含めてそのほとんどが9時頃まで2次会に参加し、その半分が3次会に流れ、深夜前にはねる時でまだ80人が残っていて、25人が2時まで4次会、15人が4時まで5次会をしました。その約半分が更にそのあと寿司かラーメンを食いに行きました(私はラーメンでした)。各段階でハグれた連中も、きっとどこかで飲んでいたことでしょう。4次会では突然みんなで中学の時に習ったサンタルチアを空で原語で「すぅ~マーれるちカァ~」と大声で歌いました。みんなしっかり覚えているというのが不思議です。バカをしても恥ずかしくもなく、背伸びすることもないし、小さく縮まることもない。何も強いないし、何も止めない。まるで母港のようなそんな暖かさがそこにはありました。


2月20日      <公的金融機関>
銀行のリスク・テイク能力が下がってきているので、代わりに公的金融機関の役割が増大するべきだという議論があるようです。私は反対です。そもそも誰よりも雇用の保障が大きい公務員に、リスクに対するセンスが銀行員より多く備わるとは思えません(勿論一般論ですが)。それでも銀行よりも公的金融機関にリスク・テイク能力があると言うならば、それはお金をいくらでも使えて後世にツケを回せる能力があるということではないでしょうか?因みにこのことと、セーフティーネットの議論は全く別です。国として弱者のためにセーフティーネットを張らなければいけないのは当然のことです。しかしそれは公的金融機関を増長させなくても、銀行から借りるお金に国が保証を供給すれば済むことです。


2月21日      <不確定性原理 その2>
日本は世界で2番目の経済大国です。そして日本が今抱えている問題の大きさも巨大です。この2つのことが、このまま何も変わらないでいつまでも継続するとは私には考えられません。それが小泉首相であろうと、誰か新しい人であろうと、外圧であろうと、為替の暴落であろうと、誰によって為されるかは分かりませんし、どういう経路(変化の順番とか内容)を辿るのかも分かりません。しかし数年後に日本は変わっていることは確かだと思っています。何故なら巨大でありつつ巨大な問題を抱え続けることは世界が許容できないからです。不確定性原理のように、経路は分からないがA地点からB地点に到達することは分かっている。近未来の日本の状況はそのような状況であると考えており、マネックスのビジネスモデルを考える時も当然そのことを強く意識しています。


2月22日     <集中と分散>
一般に何事も集中させると効率は良くなりますが同時にリスクも上昇します。逆に分散させるとリスクは下がる傾向にあります。集中と分散が対を為す概念であるように、効率とリスクも大抵の場合相反します。システムの構築においてもこのことは当たりますが、東京と地方の関係も同じような側面があると思います。政体も同様で、アメリカと日本を較べると日本はより中央集権的国家ですが、それはいい時はいいのですが、一旦間違った場合の軌道修正に時間が掛かり、そういった意味でリスクが高いように見えます。メインフレームのコンピュータでトラブルがあると再起動が大変なのと同様です。因みに現代世界の方向性が、一般に分散の方向にあるのはまず間違いのないことだと思います。日本ももっと分散しないといけないですね。

追記:ソースネクスト株式会社株式の上場承認取消しにつきましては、お客様に御迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳ありませんでした。開業当初より、マネックスの代表取締役としてのオフィシャルなコメントは基本的に弊社ホーム・ページ上にて行わさせて頂いております。進展に応じてHP上で御案内致しておりますのでよろしく御了解下さい。


2月25日        <春来ぬ>
アメリカ出張から帰ってきてずっとバタバタと忙しくしていたせいか、或いは急に天候が暖かくなったせいか、どちらかは分かりませんがふと気づくと春は来ていました。昨日朝早くにテレビに出演した後、お昼過ぎからの東証アローズでのオリエンテーション・コミティーに出るまでの間、都心の裏通りをちょっと散策してみました。六本木から溜池に抜ける途中、アメリカ大使館職員宿舎の裏手辺りは、高層ビルに囲まれているにもかかわらず、都心とは思えない穏やかさと風情があります。赤坂氷川神社という八代将軍吉宗が建てさせた神社があるのですが、その境内の作りはどこか郊外の大きな神社にいるような錯覚を起こさせる神々しさがあり、昔ながらの造作もよく保存されています。すぐ近くには忠臣蔵で有名な南部坂もあります。その界隈に、紅梅、白梅、沈丁花、椿がすべてまとめて咲き乱れていました。
「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」
古今集春歌に収められた貫之の歌ですが、沈丁花の匂いはいつも私を同じ場所に引き戻します。


2月26日    <ダイエー支援策>
全くもって不可解です。今朝の日経朝刊のトップ記事によると、主力3行は5200億円を投入してダイエーを救済するようです。私が問題と思うのは、まず、普通株の完全な減資を行わないで優先株を減資させることです。株は英語で「SHARE」とも言うように会社に対する持ち分です。報道によると99%減資するということですが、100%減資しなければ結局は普通株の株主の利益はそのまま守られるということであり、減資しないのとさ程変わりません。資本の構成のルールは、一般債権、劣後債権、優先株、普通株の順番に守られるべきであり、その順番を無視して処理するということは、一見優先株主である銀行がペナルティーを受けるので社会的妥当性があるように思えるかも知れませんが、万国共通の資本のルールを無視することであり、それは日本の資本市場の成長と信頼を損なうものだと思います。次に問題と考えるのは、これだけ超法規的な措置を執り、かつ結果として巨額の銀行の資金、これは即ち公的資金が投入されている資金ですが、が使われていながら、きちんとした説明が一切国民、納税者に対して為されていないということです。春とは言え、みんなでボーッと見過ごしていていいものでしょうか?


2月27日     <春の香り>
今朝の東京はどんよりとした曇り空だったのですが、天気予報に反して昼過ぎから晴れて暖かくなってきました。荷風の日和下駄にも出てくるように、東京の街は案外木々が多いものです。あたかも香を焚くように、木々に咲いた花々の匂いが風に乗って漂ってきます。それは鼻を衝くようなものではなく、あくまでもすがすがしく優しいものです。匂いのある季節は春と夏ですが、「香る」季節は春だけでしょうか。
「梅が香を袖に移してとどめてば春はすぐともかたみならまし」(読み人知らず)
私の好きな古今集には「香る春」と「聴く秋」の歌が圧倒的に多いのですが、それも肯けます。香りを留められるのは、実は袖ではなくて歌だったのでしょう。だから皆競って「香る春」を詠んだのではないでしょうか。


2月28日     <酸素バー>
大阪に酸素バーができるらしい。カフェバーの中に設置されるもので、12分500円で純度90%の酸素が吸えるそうです。二日酔いもすっきりするという触れ込みのようですが、カフェバーに行く時間に今更頭がすっきりするよりも帰って寝た方がいいような気もします。小さい頃によく「空気が吸いた~い」などと叫んで窓を開けたりしていたので、個人的には大変興味があります。カフェバーではなくて朝の駅のそば屋やミルクスタンドの横に酸素バーができると便利な気もしますが、それだと「リゲイン」のCMに出ていた24時間働く企業戦士みたいでやり過ぎでしょうか。いずれにしろどう発展していくか、ちょっと気になります。