4月2日       <新年度>
お役所も企業も今日から新年度です。学校も新学期は4月と決まっています。でもこれはどうしてでしょうか?陰暦で考えても、さすがに4月は一年の始まりにはなりませんし、そもそも日本では一体いつ頃からこのような制度になったのでしょう?雰囲気としては分からないでもありません。木々の芽がふき始め、花も一斉に咲き始める4月に新しい年度や学期を迎えるというのは、中々よく考えられているなぁと思います。「仕事始め」は時代劇などにも出てきますが、これは正月2日或いは4日のことですから、4月に新年度というのは明治以降のことなのでしょうか?いずれにしろ、春分や秋分という自然の運行を極めて尊重した国民の祝日を持っている国ですから、このような季節感に合わせて制度を決めていても不思議ではありません。この国のこういった部分は大切にして行きたいですね。


4月3日        <定年>
大概の企業には定年制があります。それには理由がある筈です。その理由は単に高齢になると頭の回転が鈍るとか、そういうことではないと思います。何故なら高齢であられても、頭脳益々明晰という方は多勢いらっしゃいますし、当然経験だって高齢の方のほうが多く積まれていることでしょう。恐らくバランスが取れ過ぎてしまうとか、どちらかというと変化を厭ってしまうとか、後続のやる気を摘んでしまうとか、そのような理由から定年制があるのでしょう。戦略を考える際にタイム・ホライズンが短くなってしまうきらいがあるのかも知れません。さて、日本において定年制がもっとも必要と思えるのに導入されていない場所はどこでしょう?永田町ですよね。


4月4日       <草>
植物は知能を持っているのでしょうか?意識はあるのでしょうか?昔どこかで次のような話を聞いたことがあります。部屋に植物を置き、心電図を取るような装置を付け、ある人は部屋に入る度に水を遣り、もう一人の人は部屋に入る度に葉をカッターで切る。そういったことを暫く続けると、いずれドアが開くだけで心電図の装置の針が、二人を認識し分けて違う触れ方をするようになるということでした。本当でしょうか?でもなんとなく分かる気もします。しかしもし本当に植物にも意識があるとすると、生サラダとかフレッシュ・フルーツ・ジュースとか、ちょっと残酷ですね。私はこの話は本当だとは思いませんが、植物をいたわる気持ちはしっかりと持ちたいものですね。

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4月5日     <マネックス2才>
今日はマネックスの誕生日です。2年前の今日、マネックス証券の前身である株式会社マネックスは設立されました。まだ2年しか経っていませんが隔世の感があります。一方、マネックスのホームページの「マネックスとは」に掲げているマネックスの理念は開業当時から一切変わりません。マネックスは本日、上半期の事業計画を発表致しましたが(ホームページに掲載されています)、底流に流れる理念は正に同一です。クレディセゾンと新生銀行との提携により、証券会社の固定概念を破り、「もっと身近な生活口座」を提供して参ります。今後とも末長くマネックスをよろしくお願い申し上げます。
ご参考:「マネックスとは」 http://www.monex.co.jp/free/monex.html
    「上半期事業計画説明会」
http://www.monex.co.jp/static/MONEX/HOM/HOM_VWhats_IR_GFrm.html


4月6日     <天気予報>
この週末は晴れるでしょうか?先週末東京で雪が降った時に、一番残念がったのは花見に行けなかった人達よりもコンビニの経営者の方々ではないでしょうか?昔と違って朝早く起きてお弁当を作って出掛ける人は随分減ったことでしょう。車に乗って出掛けて、途中のコンビニでおにぎりや飲み物を買う人口がかなり大きい筈です。或る大手コンビニ・チェーンのトップの方が、毎朝まず最初にすることが、手当たり次第の天気予報をチェックすることだそうです。天気によって売れ行きが大きく変わるので、生産の調整を木目細かくしていて気になるのでしょう。生産調整の対象は数量だけでなくて、暑くなりそうな日は「うめ」を増やすとか、そういったことまでするのでしょうか?そこまでしているとすると中々の技ですね。


4月9日        <夕暮れ>
私は夕暮れ時の景色が好きです。なんか光が柔らかくて、心なしか音や雰囲気すべてが落ち着いていて優しくて、小さい頃からとても好きでした。朝はどこか緊張感があり、空気も若干重いというか濃い気がします。カラー写真で朝の景色と夕暮れ時の景色を取ると、朝は青み(シアン)がかり、夕方は赤み(マゼンダ)がかりますが、感覚的には逆で、朝の方が力強い太陽の光りに押されて赤っぽい感覚があり、夕方の方が涼しく青っぽい気がします。通っていた小学校の近くに特に好きな夕方の景色のポイントがあって、よくわざわざ見に行ったことを憶えています。今日も東京は、世情の喧騒とは関係なく、静かな夕暮れです。


4月10日      <電子の速さ>
生放送のテレビに出演する時などに控え室で待っていると、隣りのスタジオから聞こえて来る生の声の方が、目の前にあるテレビから出て来る声や画像より早いことに気づきます。音速は秒速340メートル、電子は光と同じで秒速30万キロメートル。不思議ですね。BSなんかですと空高い衛星まで行って帰って来ますからまだ理由付けることも可能な気もしますが、実は同じ現象は結婚式場のような所でも、目の前にいる人がマイクで喋っている時に生の声の方が先に聞こえることがあります。何故でしょう?電気信号を増幅させるために、アンプの中をぐるぐる電子が回り、その距離が実は地球数周分ほどあってこのようなことが起きるのでしょうか?もしかするとギターのエフェクターのディレイのような回路があって遅れてしまうのでしょうか?でもそうだとすると何故そんな回路があるのでしょう?そもそもディレイの回路って、どうやって作ればいいのでしょうか?なんかまた頭の中を思考がぐるぐる回ってしまいますが、電子も私の思考ぐらいにスローダウンする時があるのでしょうかね。


4月11日       <映る>
どこかに何かがあるのが見えても、それは目がそこまで伸びている訳ではなくて、網膜に映った映像を神経が感じています。遠くに見えても、実際に見えているのは目の中です。音楽もそうです。結局全てのものは、「自分」という媒体に映して、初めて認知されます。そう考えると「自分」次第で全てのことが違って感じられ得るということになります。モンテーニュは「幸せはあなたの心の中にある」と書きましたが、万物の霊長としてもっとも優秀な知性を持ったヒトが、動物よりも不幸だったら確かに知性の使い方を間違っているのでしょう。「感じる」というと、あくまでも事実が先にありきで受け身でそれを表しているように聞こえますが、本当は全て能動的に決めているのかも知れません。なんか禅問答のようですが、こんなことをふと考える時もあります。


4月12日     <行間>
行間を読むという表現がありますが、恐らく日本語ほど「行間」の少ない言葉はないのではないでしょうか。これは確か坂口安吾が言っていたことの受け売りですが、日本語には二人称一つとっても数え切れないくらいの言葉があります。おまえ、君、あなた、テメエ、・・。あなた一つとっても更に「あなた」「貴方」「アナタ」では少しニュアンスが違いますし、「あんた」なんていう変形もあります。一方英語では基本的に「YOU」だけです。更に言うと、英語は26文字のアルファベットだけですが、日本語には50音がひらがなとカタカナであり、更に数え切れない数の漢字があります。で、日本語と英語、どちらの方が表現力があるでしょうか?恐らく一緒ですよね。ということは、日本語は文字や言葉で表現し過ぎてしまい、或いは表現していると油断してしまい、「行間」に意味があまりないのでしょう。英語は行間で勝負する。そんな感じでしょうか。そうするとやはり歌唱力や議論する力では、構造的に中々アメリカ人には勝てないでしょうか?


4月13日    <総裁選>
自民党の総裁選が始まります。自民党の作ったルールで自民党から立候補した候補を自民党員が選び、その新総裁が我が国の行政府の最高責任者になります。景気回復案も構造改革案も大切ですが、もっと根本的に我が国の政治の仕組みを変えて行くような提案はないものでしょうか?その時その時の政策ももちろん重要ですが、国民にとって正しい政策が作られ続けられるような、そんな仕組みをまず作らないと、いつも場当たり的な議論になってしまう気がします。選挙制度は民主主義の根幹です。選挙区制の見直し、例えば選挙民の年齢別で全国区の選挙区を作るとか(そうすると世代間の問題点が明らかになるし、しかも選挙民と被選挙民との癒着が決して起きません。10才毎で区切ると毎年10%の選挙民が入れ替わりますから。)、或いは首相の公選制であるとか、そんな提案をたまには聞いてみたいものです。


4月16日      <タネ>
食べ物の中で、中々消化しないものがあります。例えばとうもろこし。焼きとうもろこしなんて私の好物ですが、夜食べるとまた朝にお目にかかることがママあります。深く考えずに「僕のお腹はとうもろこしに弱い」などと思っていたのですが、どうも違うようです。とうもろこしの粒々はタネです。種(シュ)を保存するために、いろいろな環境の中でも生き延びられるように、強い殻で被われているのでしょう。その結果そう簡単には消化されないようです。確かにタネをそのまま食べるものって少ないですから、とうもろこしだけ特別のように思ったみたいです。桃のタネも、梅干しのタネもそのままでは到底食べられません。タネをそのまま食べるものはとうもろこし以外だとイチゴやバナナ。あれじゃ気がつきませんね。


4月17日      <たくあん>
昨日に続いて食べ物の話を一つ。太陽の光りにあたらないと体が弱ったり、カルシウムを吸収する力が衰えたりすると言われます。以前ある総合病院でレントゲン待ちで椅子に座っていたら、目の前の模造紙に、「自分で太陽光にあたらなくても、たくあんなど十分に太陽光にあたった食品を食べると、太陽光にあたるのと同じ効果がある」と書かれていました。本当でしょうか?干し柿などもいいそうです。最近は太陽光線に直接あたることによる弊害、皮膚ガンとか、も言われていますから、却ってたくあんを食べる方がいいかも知れません。そうするといずれ、「最近陽にあたってないからたくあん食べなきゃ」とか、同じ理屈だと「今日は山菜の天ぷらで十分森林浴したね」なんてなるのでしょうか。


4月18日     <車の流れ>
道路が渋滞するメカニズムは中々興味深いものです。高速道路はどんなに広くていい道を作っても、出路のほんのちょっとした造作や、出口の先の信号機との微妙な関係などで、スムースに流れたりいつでも渋滞したりします。見物渋滞という、これまた複雑系のものもあります。これらは全て道路上の流体力学とでも呼べるものですが、意志のない物質に関する流体力学でさえ現代においてもかなり難しいテーマのようですから、まして物質に意志のある場合は尚更でしょう。先日銀座の地下の駐車場で、空いているスペースの天井に緑色のランプが付くようになったのに気づきました。これは大発明です。遠くからでも止めたい場所近辺に空きがあるかどうか分かりますから、見物渋滞的な混雑を回避できるでしょう。何事も知恵ですね。


4月19日       <スケルトン・モデル>
時計などでスケルトン・モデルというのがあります。歯車がどう動いていて、どのような仕組みになっているのかが分かるようになっています。実際の商品となるとスケルトン・モデルは時計ぐらいでしょうが、ディスプレイ用ではいろいろな機械にあります。私は公開企業は、本来スケルトン・モデルのように、その仕組みがちゃんと外部に対して分かるようになっていなくてはいけないと考えています。組織や経営の仕組みだけでなく、収益構造についてもきちんと説明できるのが望ましいと思います。マネックスは昨日2001年3月期の決算発表を行ない決算短信を出しましたが、読んで頂ければマネックスの中身が自明で分かるように努力して記述しているつもりです。また本日決算発表説明会を催し、損益分岐点分析についても公表資料に基づいた計算を試み、その結果についてもHP上に公表しております。証券界の、延いては日本企業のスケルトン・モデルでありたいと、そう考えています。


4月20日      <賞味期限>
賞味期限のある食べ物があります。いやむしろすぐに食べなくても平気で、しばらく保存できる食べ物があるといった方が正確でしょうか。普段あまり気にしないで、いろいろな賞味期限のものを食べていますが、遠い昔はやはり当然口にするものは、押し寿司などを除くと殆ど賞味期限が数日以内だったことでしょう。昔と今と、どちらの方が人々は健康だったかは、薬や医学の発達と分離できないので検証不可能ですが、やはり新鮮でかつ長持ちしないものを多く食べる方がからだにも活力が与えられそうな気がします。加重平均賞味期限なんてものを計算してみると、それぞれの人の食生活によって大きく違いがあり、それが短い人ほど元気なんて関係があるものでしょうか?ちょっと気になります。

今日のカブセン 「株下がる隣の首相は何する人ぞ」 By 馬笑
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4月23日     <お酒 その4>
私がお酒が好きなことは今までにも何度かつぶやきで書いて来ました。最近ちょっと控えめにしているのですが、そうするとかえって「人は何故酒を飲むのか?自分は?」などという下らないことを考えてしまうこともあります。以前に、煙草はストレスそのものであり煙草を喫むことによってストレスに慣れるのに比べて、お酒はストレスを消化するものであるということも書きましたが、人はストレスの解消の為だけにお酒を飲むのでしょうか?私は違う気がします。どこか話し相手というか、そんなところがお酒にはあります。しかし話し相手なら友達でもいい筈です。結局お酒の最大の特徴は、「お酒はいつも変わらない」ということではないでしょうか?違う味がすれば、それは自分のせいである訳で(付け合わせの食べ物のせいの場合もあるでしょうが)、お酒自体は何ら変わっていないのです。そんな風に不変のものを相手にして、始めて自分の変化を正確に観測して、相談できる。なんて言うと、あまりにも呑んべぇを美化してますかね。


4月24日      <拝啓小泉純一郎様>
全国的な地滑り現象により、小泉純一郎氏が自民党総裁選を圧勝しました。首相公選制はまだまだ遠い将来の話でしょうが、今回の動きは長野県や千葉県の知事選と同様に、広く国民が今までの派閥的でヒエラレルキーが強く変化を厭う体制に対して不信感や諦め感を強め、とにかく「改革」を望んでいることの表れのように見えます。とかく日本の政治、特に国政は、あとから振り返ってみると間違いだらけのくせに、「無謬性、無謬性」と言って腰が引けた政策が幅をきかしてしまいます。首相になる前にはいろいろと改革的なことを言っていても、いざ首相になると間違いや批判を畏れて新たな改革へのチャレンジを怠ってしまうならば、多くの人が落胆することでしょう。小泉氏に対する期待は、バランスの取れた政治ではなく、とにかく現体制に対する構造改革を始めることへの期待だと思います。真の構造改革への着手を、一国民として切に願います。

今日のカブセン 「"公選制" 私の一票 届けたい!」 By 首相・・・始めの一~歩!


4月25日    <生保 再び>
金融審議会で生保が予定利率を引き下げることを容認する意見が強まっているという記事を今朝読みました。去年の暮れ頃にも一度話題になった話です。総大会の決議による契約者の同意を条件にということらしいですが、総大会なんて誰が出るのでしょうか?予定利率を引き下げる議論の前に、セールス・コミッションとしていくら支払われているかとか、コストの開示をまず徹底すべきではないでしょうか。何故なら受益者に不利益を強制する前に、まずできることがあるかも知れないからです。「それは総大会で開示している」と言われるかも知れませんが、事実上の公に対する認知に努めなければいけないのではないでしょうか。何より問題に感じるのは、運用の逆鞘ばかり報じられて、「コストの議論」について金融審議会でも論じられていないようですし、マスメディアにおいてもこの論点が全く出て来ないことです。なんか変だと思います。

今日のカブセン 「真夜中に パソでニヤニヤ 怪しまれ」 By マネックスナイター
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4月26日     <仕掛け>
「仕掛け」の重要性をいつも感じます。1つ1つのパフォーマンスで勝つことはできても、常に勝ち続けることはできません。何かを大きく変えて行くためには、仕掛けを作り直すことが大切です。今回の政局は中々興味深いものです。最初の仕掛けの変更は、総裁選における一般党員の都道府県単位の票が1票から3票に変わったことでしょうか。その結果国会議員だけで決められていた総裁選が、地方の一般党員の声を無視できなくなりました。そして派閥を無視した党人事や、派閥の長との折衝の拒否。若手・女性・民間からの登用。「何でもある」というイメージが、活用されていなかったリソースに期待感を持たせ、それがヒエラルキーや既得権益を破壊して行く原動力になるかも知れません。これからどうなるかはまだまだ不明です。しかし可能性は感じます。1票から3票への仕掛けの変更が、もしかしたらとんでもない変化をもたらすかも知れません。


4月27日      <赤い月 その2>
以前に地平線の近くに見える満月は赤くて大きいというつぶやきを書いたことがあります。その時は大きく見える理由について、空気の屈折率の違いではないだろうかと書いたのですが、どうも間違っていたようです。ふとしたきっかけで今日目にしたある本によると、月は地平線の上にあって大きく見えていても、天空高くあって小さく見えていても、実際に見えている大きさは変わらないそうです。つまり単なる錯覚だというのです。地上の遠くの方にある建物の更に向こうに月が見えるので、「月はとても遠くにある」と脳が考え、にも拘らず普段と同じ大きさでしかないので、逆に大きく認識、即ち錯覚させてしまうというのです。分かったような分からないような理由ですが、実際ものさしなどでどのくらいの大きさに見えているかを測定すると、確かに同じ大きさだそうです。「大きい月」を股から逆さまに覗くと、地上の建物が見えにくくなって月はかなり小さくなるそうです。今度試してみます。「錯覚」というものは自然現象にも人の営みにも存在しますが中々奥が深そうですね。