2001年1月4日    <頌春>
あけましておめでとうございます。
愈々21世紀です。来るか来るかと思っていたら、本当に来てしまいました。頂いた年賀状の中に、「アトムの空は、今日もやはり同じ空でした。」という句がありました。まさにその通りです。世紀が変わってもやるべきことは何ら変わりません。マネックスは今年も皆様の声を聞きながら理念の実現を目指して焦らず弛まず進んで参ります。
本年も御指導・御応援のほど何卒宜しくお願い申し上げます。


1月5日     <初詣>
マネックスの私の席のすぐ隣りには、オフィスの或る備品を利用した簡単な神棚があり、大きな木札や熊手などが飾ってあります。お札は神田神社で頂くもので、昨日も午後一番に社員の殆ど全員と初詣に行きました。新年の祈祷をしてもらい、お札を頂いて、参道脇の屋台で寒空のもと酒を交わす。まぁ新年の行事です。このような行事というものは、かつては真剣に健康や豊作を祈るというものだったのでしょうが、現代においてはその意味は少しずつ変わって来ているのかも知れません。一種のノスタルジーでしょうか。私の場合は元々トレーダーだったという仕事柄のせいか、お守りは一年中肌身離さず身に付け、毎日二礼二拍一礼を欠かしたことがありません。トレーディング(投資とは微妙に違います)にもっとも重要なことの一つは、常に平常心でいることであり、私にとってこれらの行事・作法は大きな効用があります。或いは大きな効用があると思うことが実は一番重要なのかも知れませんね。


1月9日      <雪>
週末に社員10人程度で一泊二日のスキーに行きました。朝6時の東北新幹線に乗り、盛岡まで行き、雫石スキー場で滑りました。途中盛岡駅で「つぶやき」という名のお酒も見つけて買い込み夜に備えました。雫石はさすがに寒く、はらはらと降って来る雪も綺麗な雪印の結晶になっていて、とても美しい光景でした。ふと思うのですが、雪はなぜ白いのでしょう?あれが緑色だったりピンク色だったら雰囲気重いですね。黄色くてもどうも綺麗でなくていけません。刷り込まれた概念として、「純白=美しい」のか、天の采配で美しい純白に降るのか。本当のところは定かではありません。因みに私のスキーは決して上手なものではなく、かろうじて転ばずに山を落ちるという類いです。


1月10日      <セカンダリー・マーケット>
週末の新聞に、電波の帯域のセカンダリー・マーケットが、オーストラリアでマコーレー銀行によって始められるという報道がありました。つまり政府から与えられた帯域を流通市場の中で他人に転売し、更に第三者間で売買することを可能にするというのです。政府もバックアップしています。電波の帯域などの有限の資源の最適利用は重大なテーマであり、マーケットという仕組みを通じて、より有効に利用できる者がより高い対価を払ってその資源を利用する権利を獲得できるようにし、その結果最適利用を実現しようとするものです。これは中々深くて面白い。マーケットのメカニズムはいろいろな局面で利用できる筈です。およそ「割当て」をしなければいけないものはマーケットに委ねるのが恐らくもっとも有効な方法でしょう。アメリカでは今回の大統領選で投票権をネット上のオークションに出そうとして止められたケースがありましたが、他にも使いようはありそうですね。


1月11日    <夜間取引 再び>
いよいよ今月末からマネックスの夜間取引が始まります。その内容やマネックスの思いは以前にもつぶやきで書きましたがHPに全て掲げてあるので宜しければ御参照下さい。
http://www.monex.co.jp/static/MONEX/HOM/HOM_VWhats_New20000912_GFrm.html
このマーケットの名前をいろいろと考えていたのですが、私の考えではこれは皆さんが創る皆さんのための市場なので、皆さんに決めて頂くのが一番いいのではないかという結論に達しました。そこで名前を公募致します。是非是非いい名前を付けて下さい。宜しくお願いします。
mailto:ans1@monex.co.jp


1月12日    <モンク>
私はジャズが好きですが、とても好きなピアニストの一人にセロニアス・モンクがいます。彼は目が見えなかったそうですが、作曲もして自分で弾きました。とてもメロディアスないい曲ばかりです。通常ジャズの名曲はいろいろな人がそれぞれの解釈で弾き、それぞれの味があっていいものですが、不思議なことに彼の曲だけは彼が弾かないとどうもピンと来ません。楽譜に落ちない微妙なニュアンスがあるせいかも知れませんが、そんなものは彼の演奏から読み取ればいい訳ですから理由にならないでしょう。明らかに彼だけの「世界」がそこにあります。本当の天才というのはこういうものなのでしょうか。


1月15日      <株川柳>
投資をもっと身近なものに。そんな願いから弊社の新規公開株の投資単位も小さくしましたし、ときめもファンドも紹介しました。21世紀の新企画は「株川柳」です。ソネットさんとのタイアップで今日から作品を募集します。
http://www.so-net.ne.jp/carina/monex/
要は五・七・五で株に関する知恵や、楽しみ、悩み、頭に来たこと、何でも詠んでしまおうという企画です。略して「カブセン」(密かにサラセンを抜きたいと思っています)。どんなミーティングのあとにも「ところでカブセンを一つお願いします」と聞いてしまおうと思っています。森首相も株式市場の活性化の為には何でもされる決意ということですから是非詠んで頂きましょう。皆様も是非お楽しみ下さい。


1月16日     <メトロポリタン美術館>
私は(そんな柄じゃないのですが)美術館とか博物館に行くのが好きです。あれはかなり時間が掛かるものなので、最近は簡単には行けませんが、それぞれの場所に想い出があります。もっとも好きな美術館の一つはNYのメトロポリタン美術館です。とにかく広いのでいろいろな良さがありますが、一番想い出に残っているのは外資系の会社に勤めていた5年ほど前のことです。当時、いろいろと言葉や文化の違いなども含めて悩んでいました。メット(NYではこう呼びます)に行くといろいろな文化圏からの美術品がありますが、どんなにその絵に詳しかったりどんなに好きでも、その国から来ている人には何か距離感のようなものにおいて勝負にならない、どこかで疎外感を感じてしまうのでした。実際の生活で抱えていた悩みに似た感覚です。しかしエジプト文明のセクションを訪れるとその疎外感がふっと消えました。誰もが等しく驚嘆し、誰もが等しい距離をその展示品に対して持ち、結果として誰もが同列の親戚のような位置にあるように感じられ、私は極めて居心地が良いのでした。目標をなるべく本質に、遠くに持つことは、結果的に精神的に一番楽だと確信するようになったのはこの頃からでしょうか。


1月17日     <お酒 その3>
お酒の話ばかりしているととんでもない飲ンベェのようですが、実際酒飲みではあります。今まででもっとも想い出に残る「飲み」というと、やはり以前にも書いた祖父絡みです。祖父が亡くなった時に、北陸の家でお午から法事がありました。祖父の家は浄土真宗の為料理は全て精進料理。殺生だからと飲めど飲めど動物性蛋白質は出て来ません。肉と思えば豆腐。折角の海の幸も一切ナシです。そんな中で親戚一同を相手に飲み続けました。お午の法事に来た人達。午後に遅れて来た人達。夕方、夜、とそれぞれの事情でぱらぱらと遅れて人が来ます。私はずっと仏間の畳の上で礼服を着たまま陣取り、そんなみんなを相手に飲み続けました。深夜になってようやくイカの黒作りか何かをこっそり出してくれました。従兄弟の旦那さんが帰ったのが恐らく午前1時か2時でしょう。最後は覚えていません。ふと気付くと午前5時。仏間で祖父を頭のすぐ上にして、一人で礼服を着たまま仰向けに畳の上に寝ていました。祖父が昔飲んだという二升には達しなかったでしょうが、それに近い量は飲みました。祖父も成仏したことでしょう。


1月18日    <遺伝子>
先日或る会社の役員の方々とお話をしていたら遺伝子の話になりました。何でも人間の遺伝子は、その情報量で言うと他の動物とさ程変わらない、動物によっては人間よりも複雑な脳の構造や、より多くの情報を抱えられる遺伝子を持っているそうです。では何故人間だけこれほど進化したのでしょう?厳密には生き物は基本的に「進化」するのではなく、突然変異で生まれた優位なものが他を淘汰するようですから、ネアンデルタール人ではない「人類」は、発生した時から今のような文化・文明を持つべきして存在していたことになります。と言うことは遺伝子にどこか決定的な違いがあるのでしょう。それは全体としての差ではなくて、一つの、或いは数個の遺伝子情報の差かも知れません。私は個人的にそれは環境に抗う遺伝子ではないかと思います。殆どの生き物は環境に順応しようとしますが、人類だけは違う(部分もある)。それが動物にはない文化・文明を構築して来た力だったのではないでしょうか。

今日のカブセン 「昼ご飯 のんびり食べて 売り損ね」 By ミッチー


1月19日     <生中継>
本日、東証アローズで第3四半期業績に関する会社説明会を行ない、それをネット上で生中継しました。これは実は凄いことです。何故なら生中継はとても贅沢な情報発信手段で今までは極めて限られたケースでしか手にすることができなかったからです。マスに対する情報の発信は、まず第一にマス・メディアに取材されなければなりません。しかし殆ど総べてのケースにおいてその内容は編集されます。生中継は唯一、他者による編集なしで情報を発信できる手段です。情報の価値が極めて高いこの時代に、企業が手軽にこの「贅沢な情報発信手段」を利用できることは正に情報革命と言えるでしょう。「生」は他者だけでなく、自らも編集できないという意味でその価値は更にあります。但しそれを採用するかしないかは企業の判断ですが。


1月22日    <ナイター>
和製英語にもいろいろありますが、ナイターというのはもっとも秀逸なものでしょう。夜のゲームのことですが、本当はナイト・ゲームと言います。宵っ張りのオールナイターや、ワン・ナイター等は本当の英語ですが、何故かナイターだけはありません。日本人による完全な造語です。しかしこればっかりはかえってナイターの方が動感があっていいと思っています。そんな訳でマネックスの夜間取引も「マネックスナイター」と名付けました。沢山の方からいろいろな名前を御応募頂いたのですが、その中から選ばせて頂きました。お茶の間のテレビでナイターを見て楽しむように、気軽に御利用頂ければと思います。今日明日中には詳しいルールや手数料、実際の画面の様子等をHP上で発表する予定です。

今日のカブセン 「高値買い 亭主まじめで ホッとする」 By 夢子


1月23日    <株価対策提案 その1>
政府は金庫株とかいろいろな株価対策を考えているようですが、そんな小手先の対応よりも構造的な対処をすべきだと思います。私の一押しは単位株制度の改善です。株式分割、或いは単位の括り替えの際の一株・一単位当り最低純資産額50000円の制限を500円とかに書き直すだけです。個人金融資産に占める株の割合は日本で10%弱、アメリカで40%弱ですが、この差の一番大きな原因は日本では一株買うのに何十万円もするのに、アメリカでは数千円から買えることにあると考えています。日本でも数千、数万円から株が買えれば、競馬や宝くじに行っているお金も含めてもっと多くの個人のお金が株式市場に向かうことでしょう。日本とアメリカでは30%も違う訳ですが、仮に10%だけでも個人のお金が預貯金から株に移るとそれは140兆円の純粋な資本の流入になります。東証上場企業の時価総額の和は約380兆円。140兆円というとその3分の1を超えます。これだけの資本が移動すれば単純に計算しても平均株価は20000円に行くでしょう。様々な影響も考慮すると2万数千円にも達するのではないでしょうか。政府は何でしないのでしょう?


1月24日    <株価対策提案 その2>
昨日に続いて株価対策提案を。個人のお金を預貯金から株式市場に移行させるという昨日の提案は、株価対策だけでなく日本が抱えている「バランス・シートの肥大化」という問題の対処にも意義があります。数百兆円単位で赤字を抱えている年金、いまだ公的資金が必要かも知れない銀行、予定利率を下げざるを得ないかも知れない生保。そのような問題を解決する為にも、まずバランス・シート上のお金を移動させて、ある程度ダイエットしてからでないと手術も出来ません。もう一つの提案は税です。企業が自社株を買入償却することは一株あたりのリターンを高めて行く効果がありますが、現状では資本準備金と税引き後の利益を使わないと償却できません。これを税引き前の利益で償却できるようにならないものでしょうか。更には持ち合いを解消する時には、株の売却から出る利益と、買入償却のコストを税金を掛ける前に相殺できないのでしょうか。私は企業財務も税も素人なのでどこか間違ったことを言っているかも知れませんが、税は使いようでただ取ればいいというものではない気がします。

今日のカブセン 「相場観 雪かき 腰痛 冴えを欠き」 By 雪だるま
(雪国の方、御苦労様です)


1月25日    <マネックスナイター開幕>
明日26日に当局より日本初の個人投資家向けの私設取引システム運営業務(PTS)にかかる認可を取得次第(予定)、午後8時より夜間取引を開始する予定です。投資単位を引き下げること。夜間でも取引できるようにすること。この二つが日本においてもっと大勢の人が株に親しむ為の最重要課題だと考えています。私たちが自らのIPOの時に株価を一円増資によって小さくしたのも、今回のマネックスナイターも、発想の根っこは一緒です。個人が主役の資本市場を創って行くこと。マネックスナイターがどのように発展して行くかは今は分かりません。5時から11時59分まで(初日のみ午後8時より)、3000銘柄超。個人投資家だけで形成する市場です。どうぞ覗いてみて下さい。

今日のカブセン 「高く買い 安く売るのが 得意技」 By わかまつ
(評 : これでは必殺技ならぬ自殺技ですね)


1月26日    <ヘリコプター>
ヘリコプターというのはとても原始的な乗り物です。いわば竹とんぼですね。空気をプロペラによって下に押し出して浮く訳ですから、高い所に行って空気が薄くなると当然揚力が落ちる筈です。真空では原理的にヘリコプターは飛ばないのでないでしょうか。空気の薄い山岳地帯や、悪天候の中での救助活動などにヘリコプターはよく使われますが、なんか怖いですね。


1月29日    <スイス>
ダボス会議には青年部会のようなものがあり、そこに呼ばれてスイスに来ています。スイスはとても特徴のある国です。小さな国ですが永世中立を守り、産業らしい産業もそんなに目立ちませんが、金融とか時計とか、ある分野ではとびきりの強さを持っていて、それが国全体を支えているような気がします。住宅地も市街地も整然としており、清潔で、人気はあまりありません。山あいに続く小さな町と言うか村はどれも似たような感じですが、その一見の貧しさと実際の生活や文明の水準の高さにギャップがあります。恐らく国としてとても賢い国策を取っているような気がしてなりません。あの有名な秘匿預金口座も(ゴルゴ13に出て来るアレです)、通常より遥かに低い金利しか払いませんし、恐らく無縁仏のように引き出し要求が永遠にない口座もかなりあるでしょう。この仕組みは国としてサポートしている筈ですが、国全体として極めて安い資本を手に入れているでしょう。ダボス会議も今では国がサポートしている筈ですが、世界中から2500人もの参加者を集め、その随行者なども含めるとかなりの経済効果もあるでしょうし、何よりもスイスという国の特別な存在意義を世界に印象づける作用がある筈です。賢いですね。我が国は国策がないのが国策でしょうか?
(本日は午前中にシステムのパフォーマンスが大きく低下したことをここにお詫び申し上げます。詳細はHPを御覧下さい)


1月30日    <ダボス会議>
ビジネスマン、政治家、学者、NPO。ダボスではあらゆるセクターの人があらゆる地域から集まって来て、みんな真面目に討議しています。警備や施設、プログラムなどは、極めて強力に準備されコントロールされている一方、議論はその場勝負のような所もあり、いわば何年も何年も練習を積み重ねて来たジャズ・プレイヤーが、初めて共演するやはり熟練のプレイヤーと、ステージの上で共に即興で曲を展開して行くような雰囲気もあります(勿論つまらないセッションもありますが)。複雑な構造をした建物の中では、あらゆるところで計画されて、或いは自然発生的に小さなミーティングや議論が行われています。用意されたインフラの中でのカオスのような、そんな空間です。ある意味ではビッド・バレーにもそんな側面がありましたが、日本における議論も、一般論としてもっとこのようなやり方があった方がいいと思います。


1月31日    <ダボスの裏側>
昨日はダボス会議の肯定的な面を観察してみましたが、今日は敢えて否定的な側面について考えてみましょう。ここはやはりアングロ・アメリカンやユダヤ人による、アメリカと西欧を中心とした世界観の中での「世界経営者会議」です。確かに世界中からの人々を受け入れています。誰であっても発言は出来ます。そういった意味で機会は広く与えられています。しかし仮に機会が公平に与えられても、そのことによっては必ずしも結果の平等は担保されないことを銘記すべきでしょう。或る文化における議論の形式の中で、その言語で議論が行われる時に、その文化・言語圏の外側の人には大きな負担があります。そのような負担、ギャップが存在するということの認識がなければ、真のコミュニケーションは達成されず、一方の自己満足で終わってしまう可能性があります。J・F・ケネディー大統領は、この点についての深い理解を示唆する演説を行なっていますが、一見世界のコミュニケーションがたやすくなったと見える今日にこそ、このことに関する再認識が必要ではないでしょうか。