11月1日     <特許>
ビジネスモデル特許とか知的所有権とか、その手の話が昨今増えていますが、果たしてこれらの権利を守ることは経済全体にとって有益なことでしょうか?私は逆の効果の方が大きいのではないかと思います。新しい創造をした人の利益を守る、またそうすることによってそのようなアクティビティーを推進すると言っても、私の直感では一番最初に発明した最も創造的な人よりも、権利保全の手続きに長けた人の利益が守られるケースの方が多くなるような気がしますし、そもそも社会にとって最も有益な発明はみんなに共有されるべき、或いは事実として共有されてしまうものではないでしょうか?ライト兄弟の最大の発明は、離陸直後に機体がローリングして墜落してしまうことを避けるために、左右の翼の捻りを自動的に調整して揚力を変化させて機体を元に戻す仕組みだったそうです。しかし、これは特許申請されたにも関わらず、世界中が勝手にその発明を応用してしまい結果的に無視されたそうです。ある特定の人の発明として制限するには、人類にとってあまりにも不利益が大き過ぎたのでしょう。なかなか難しい問題ですね。


11月2日       <Eメール>
アメリカでは今年の末迄に14歳以上のEメール利用者数が約1億人、その年齢層の全人口のほぼ半数弱になるそうです。凄いですね。メールは必要以上にいろいろな人に「念の為」コピーしたり、メーリング・リストもどんどん増えているようですから、ここまで来ると人々の意思決定プロセスも変化してくる可能性があるでしょう。特に世論の形成などには大きな影響があるように思われます。ウイルスなどよりもたちが悪いのは、洗脳などを企む悪い思想の流布です。メールは読むことよりも、適切に削除することの方が大切ですね。


11月6日       <生保>
週末の新聞を読んでいたら生保が予定利率の引き下げを検討しているということが載っていました。より正確に言うと、今の予定利率のままでは逆ざやが厳しく経営が続けにくいので、予定利率が契約途中で引き下げられるように法の改正をしようという議論があるとのことでした。政府も絡んでの話です。逆ざやではどうしようもないので最終的に予定利率に弾力性を持たせることはいいと思うのですが、その前にコスト構造につき開示するのが筋ではないでしょうか?何でもしわ寄せは一般個人利用者にというのでは納得行きませんよね。


11月7日       <李陽>
中国の若き英語教師、李陽(リー・ヤン)を御存知でしょうか?「クレイジー・イングリッシュ」という新しい英語の教え方・学び方を携えて、中国全土の広場から果ては万里の長城の上でまで、何千人、何万人という数の人を相手に一人でパフォーマンスをする人です。最初に教える英語は「アイム・プラウド・オブ・ビーング・チャイニーズ ウイ・キャン・ヘルプ・ザ・ワールド」。英語をあくまでも「道具」として捉え、中国人と中国が世界の中で貢献して行けるようになる為に、必死になって英語を教えています。英語を道具として捉えるか、言語として捉えるかは大きな違いです。日本における英語教育の最大の欠点は、英語を学ぶこと自体が目的になってしまっていて、英語を学んで何に使うかという部分が欠落していることだと思います。


11月8日     <大統領選挙>
米大統領選は歴史的な接戦でまだ正式な結果が出ません。私には共和党と民主党の違いも、ブッシュとゴアの違いもよく分かりません。ただ明らかなことは、大統領選というイベントに多くの国民が参加し、そのイベント一回によって国の方向を決める強力な力を持った最高権力者を選出出来るということです。違う言い方をすると、一回のイベントによって国民が政権を変えることが出来ると言う意味で、定期的に、しかも短いインターバル(4年毎)で政権を浄化できる仕組みがある訳です。いろいろな仕組みの硬直化が激しく、それが多くの問題を生んでいる日本においても、このような仕組みを国政レベルにも導入できないものでしょうか。(地方自治体では可能です。知事選がいい例ですね。)


11月9日     <占い>
「ウェブ・オブ・ザ・イヤー 2000」にマネックスのサイトがノミネートされました。マネックスのHPからも投票画面に行けますので、宜しかったら見て下さい。かく言う私は今覗いてみたのですが、「話題賞」の所に「回転寿司占い」がノミネートされていました。あれは面白いですよね。世界的に見て日本はそれほど信仰心が強い国には思えませんが、おみくじとか占いとかは大変ポピュラーです。朝7時前のテレビ、殆ど全ての民放局で「あなたの今日の運勢」なんてやっている国は恐らく日本だけではないでしょうか。変わった文化と言えば変わっていますが、これは個性の確立が弱いからでしょうか?


11月10日   <大統領選挙 再び>
アメリカの大統領選挙は未だに決着が付きません。恐らくアメリカでは大騒ぎをしていることでしょう。一昨日にもつぶやきましたが、しかしこの騒ぎはうらやましい気がします。民主主義の大根幹である投票権が再確認されている訳ですから。もしかしたらこの騒ぎは今世紀末に栄華を誇るアメリカから、日本も含めた世界に対する大きなプレゼントかも知れません。民主的なプロセスとは何か?主権はどこにあるのか?そういったことを分かりやすく考えさせてくれる事件です。


11月13日    <街頭キャンペーン>
この土日は秋葉原の街頭でときメモ・ファンドの説明会をしました。朝から晩までずっと外に立っているとさすがに冷えます。特に日曜日は午前中は雨が降りそうな天気だったので足下から耳まで随分冷えました。一旦冷えると、逆に暖かい部屋に入ると耳や顔が火照ります。皮膚が寒いのに慣れてしまって、それに対抗するために熱を出すようになるからでしょうか。お酒を飲むと皮膚が熱を持ってしまう程でした。人の体はこのように新しい環境や条件に対して反応して、バランスを保とうとする力がありますが、どうして飲み食いだけはすればするほど単に太ってしまうのでしょうか?


11月14日     <埼玉県民の日>
今日11月14日は埼玉県民の日です。何故知っているかというと、私は出身が浦和で埼玉県の小学校は県民の日は休みだったからです。小学校3年の時の県民の日に私は一人で京浜東北線に乗って上野まで行き、当時初物で大人気だったパンダを見に行きました。一人で電車に乗ってはいけないことになっていたので、学校の先生には兄と一緒に行ったことにしておきました。4年生の授業で「電車に一人で乗ったことぐらいある奴はいないのか。」と同じ先生に訊かれて手を挙げ、3年の県民の日のことを話すと、「お前はあの時はそうは言ってなかった。一人で行っていないのに一人で行ったと言うとは、お前は嘘つきだ。」と言われて泣きそうな気持ちになったこと(泣いたかも知れません)を良く覚えています。どこか理不尽なことに対する悔しさだったのでしょうか。


11月15日    <満期>
昔、米国国債のトレーディングもしていた私としては、11月15日というのはちょっと特別な日です。米国債の10年債、30年債の満期・利払い日は2、5、9、11月の15日と決まっていました。2000年11月15日というと、私がちょうど現役の米国債トレーディングをしていた時に発行された10年債の満期日になります。もう10年かと思うとビックリします。米国債はクーポンと満期で呼ぶのですが、11月のことはノベンバーと言わずに「ノビー」と言います。勿論「15日」の部分は省略します。トレーディングは忙しい仕事なので冗長な言い回しを避けたのでしょう。日本でも証券会社では「もしもし」を「もしも」と言ったりします。何処も一緒ですね。


11月16日       <浦和>
自分の出身地のことで恐縮ですが、私は浦和で生まれて育ちました。浦和という町は、小さい時から朝も昼も夕方もとにかくサッカーしかしない所で、野球をする子供もほんのちょっとはいましたが異端児扱いされてしまうような、そんな町でした。回りには高校サッカーなどの金メダリストがごろごろいて、とにかくことサッカーに関しては特別な感情を持っている町でした。清水市もやはり同じような所だと理解していますが、浦和っ子にしてみると、浦和(と清水)以上に町ぐるみで日常生活にサッカーが入り込んでいる町はあり得ないと思えてしまうのです。「赤き血のイレブン」、浦和レッズがJ2に降格して1年。今晩レッズが勝って、トリニータが負けると浦和はJ1に復帰します。頑張れ、レッズ!


11月17日      <個人投資家の声>
私は東証の業務委員をさせて頂いております。本日は夜間取引市場を東証が創設するかしないかについて理事長に対する答申を決する重要な会議が開かれました。委員長、副委員長、そして私だけが賛成でした。業務委員会の大勢は時期尚早という判断であり、委員長は「これは業界の意見であり、全体の意見の半分である。もう半分の意見は投資家の意見である。」とまとめました。まさにその通りです。日本の資本市場を健全に育てるためにはより多くの一般投資家の参加が不可欠です。そして健全な資本市場の発達なしに、我が国の金融、強いては経済の諸問題は解決されないでしょう。個人投資家の参加を易くするには、単位株制度の改善による投資単位の引き下げと取引時間の延長などによる利便性の向上が必要だと思います。一般個人投資家の意見を声を東証に伝えて下さい。


11月20日      <タイム・トリップ>
泣けました。日曜日にレッズの今季最終試合を見に、生まれ育った町に行きました。駒場のサッカー場はかつてたまに忍び込んで遊んでいた場所です。2万2千人が球場を赤く染めて一丸となって応援し、心配し、そして歓喜し感慨に耽ったのも格別でしたが、試合のあとに駅まで帰る道のりは更に感慨深いものでした。かつて暗くなるまで毎日自転車に乗って遊んでいた街並み。幼なじみの家、自転車から転げ落ちて怪我をした場所、そしてかつて住んでいた家。全てが殆ど昔のままでした。空気の感触も、夕方の柔らかい陽射しの色も、町の音も、道路の色も、全てが一緒でした。たった1つのことを除いて。おかしなことに街並みが全てミニチュアのように見えたのです。8分の5ぐらいでしょうか。生まれてからずっと同じ場所に育ち、大学生になってその場所を離れそれっきりになってしまった私には、街並みに関する記憶は小学生の頃に見たスケール感がそのまま固定されてしまっていたのでしょうか。タイムスリップして昔に旅をしたような、そんな不思議な感覚に包まれた午後でした。


11月21日   <名前>
友人から昨日「空想科学読本」という本を教わりました。ウルトラセブンが巨大化するには最低でも9時間半必要だとか、ウルトラマンがレッドキングを背負い投げするのに必要なエネルギー量は150億ジュールになり、それは全国の発電量の4.4%にあたり、投げつけたときに発生する衝撃波でウルトラマンは必ず気絶する筈だとか、アニメやSFの世界の現象を科学分析しているとても面白い本です。著者は(本名で)柳田理科雄さんといい、とにかく自分は「科学の子」でこれらのことを分析せずにはいられなかったというのです。ここでフト思ったのですが、「名前」ってその人の性格とか志向に大きく影響するのではないでしょうか。少なくとも生まれた日や星座よりも、毎日呼ばれて育つ名前の方が何かしら情操に対する働きがあるように思うのですが、如何でしょう?


11月22日      <国民投票>
先日の内閣不信任案絡みの件はつぶやく気にもなれませんが、日本も首相公選制をもっと真剣に検討した方がいいのではないでしょうか。アメリカは大統領選で国民がみんな参加しています。ヨーロッパでもユーロ問題の時に各国で国民投票がなされました。先進国で大掛かりな国民投票を近年していないのは日本ぐらいではないでしょうか?首相公選制は全体の制度との関係で問題があるのかも知れませんが、最高裁判事の罷免みたいに、特定の国会議員に対する罷免国民投票ぐらいなら出来ないでしょうか。


11月24日     <商法改正 再び>
今朝の日経新聞の1面トップ記事は、通産省が法務省に対して未公開ベンチャー企業の資金調達を容易にするために特定議決権株式というものを認めるように求めるという記事でした。私はちょっと?マークです。未公開企業であれば商法改正をしなくても特定の株主間契約を結べば目的は達成できる筈です。それに未公開企業の資金調達云々を議論する前に株式の新規公開・上場に関する環境整備が議論されるべきですし、更に言えばそれ以上に、まず流通市場の整備が議論されるべきではないでしょうか。未公開ベンチャーが資金調達し易くなることは素晴らしいことです。しかしそれよりもまず国民が気軽にNTTやトヨタといった大企業の株を買えるようにすべきではないでしょうか?アメリカと日本における株式の平均最低投資単位は、かたや2000円程度、一方80万円程度です。この400倍の差は大きいです。CD1枚買うか、車1台買うかの違いがあります。物事には順序があります。まず単位株制度の改善にとにかく手を付けて頂きたいと、切に願います。


11月27日    <単位株制度>
投資単位を引き下げることが如何に重要かはこのつぶやきでも何度も書いてきました。では具体的にどうしたらいいかについて私見を述べたいと思います。単位株制度を抜本的に改革したり制度自体を撤廃しようということがよく論ぜられます。その結果、整合性をもって法律の構造を変えることは大変な労力が掛かることなので時期が遅れたり、或いは変更の仕方如何によっては特定の株式の売買が数日間停止する可能性などが指摘されます。私は法律、特に商法の類は経済活動をサポートするという目的のために存在するものですから、見栄が悪くても実利を取るべきだと考えています。株式の分割についても、単位株のくくり替えについても、商法或いはその附則の中で1株もしくは1単位あたりの純資産額が分割・くくり替え時に5万円を超えてなければいけないという決まりがあり、その為に投資単位が大きくなってしまっています。私が思うに、これはこの「5万円」を単純に「1000円」とかに換えてしまえばいいと思うのです。そうすれば法の整合性が崩れることもないでしょうし、制度を変える必要もなく、売買停止もありません。各企業が各社の判断で、投資単位を引き下げたい会社がくくり替えをするだけです。確かに屋上屋のような手当の仕方ですが、見た目を気にするよりも、実利を取ってこの国の資本市場を手っ取り早く改善することの方がより良い英断だと思うのですが。


11月28日     <個人投資家の声 その2>
本日の日経新聞朝刊に東証の土田理事長のインタビュー記事が載っています。昨日もつぶやいた投資単位の引き下げについて、5万円の規定を見直すように当局に働きかけていくと述べられています。夜間取引についても、個人投資家の声を尊重しようとする姿勢が見られ、夜間取引を希望する投資家からの電子メールが東証に寄せられていると述べられています。東証は聞いています。私自身に個人的な思い入れもあるので偏っているかも知れませんが、東証のこのような態度は大変喜ばしいことだと思います。東証はもっともっと個人投資家の声を待っていると思います。


11月29日    <類は友を呼ぶ?>
本日、日経新聞社主催のコンフェランスで講演を致しました。講演終了時に御二方だけ名刺交換にいらっしゃったのですが、東京三菱銀行の方とベネッセコーポレーションの方でした。何とも奇遇な話です。実はマネックスのあのロゴをデザインされたのは松永真さんという大変著名なグラフィックデザイナーの方なのですが、東京三菱銀行のあのえも言われぬ微妙なマークも、ベネッセコーポレーションのマチスのような動感のあるロゴも、どちらも松永真さんの作品なのです。離れ離れになった子供達が目に見えない力によって引き寄せられ、久しぶりに私の名刺入れの中で再会を楽しんでいる、そんな感じでした。無論偶然かも知れませんが、ロゴにもやはり生命があるのでしょうか。


11月30日     <右側通行と左側通行>
国によって道のどちら側を歩くかが違います。何故でしょう?昔まだ武器を携行していた時代に、すれ違い際に決闘するのに、或いは逆にすれ違い際に急に切られたり撃たれたりしないように考えて決めたのでしょうか?刀だと抜いてそのまま右側に向かって切るのが早そうですし、銃だと抜きながら左側を撃つのが早そうです。しかし何故イギリスだけ他の欧米諸国と違って日本と同じ側を走るのでしょうか?使用される国別に車のハンドルの位置を変えるのは甚だ非効率に見えますから、それを強いるほどの強い文化的な、或いは歴史的な事情があったのでしょうが、果たして本当の理由は何なのでしょう?