9月1日     <せんべい>
食べ物と言うといつもお寿司のことばかり書いていますが、もちろん他にも好きな食べ物はあります。蕎麦、天麩羅、そしてお煎餅です。誰でも好きな物に関しては味覚が発達して、微妙な味の違いが分かるようになります。次に舌触りまで気になるようになります。そしてしまいに見るだけで味覚と舌触りを想像できるようになります。煎餅に関しては、(少なくとも私にとって)おいしい煎餅を、コンビニなどで並んでいるパッケージの上から見分ける自信があります。餅の味と塗られている醤油や油、塩の味。舌触りと噛んだ時の割れ方。そう言った一連の流れが鮮明に予想されるのです。これは特技だと思っているのですが、実は誰でも分かるものでしょうか。他に好きな物にアイス・キャンディーがあるのですが、これは食べてみないと分かりません。


9月4日      <媒体>
土曜日の東京は猛暑でしたが、地球の暖かさ(の殆ど)は地下のマグマから来ている訳ではなく太陽光線から来ています。ところがより太陽に近い上空の方が、地表よりも温度は低くなります。不思議と言えば不思議ですよね。もっと言えば大気圏の外側では基本的に温度は絶対零度に近い筈です。これは太陽光線が熱エネルギーを持ちながら突き進んでくる訳ですが、空気という粒子とか、地面という物に当たらなければ「熱」という現象に換わらないからでしょう。このようにある媒体を介さないとそのものの実体が現れてこないということはママあります。いや、もしかすると何事も媒体によって違う見え方がするのかも知れません。マーケットも恐らく同じでしょう。いろいろな媒体を活用してマーケットを多角的に分析できるようになるとトレーダーとしては一人前でしょうか。


9月5日     <特殊相対性理論>
週末のニュースによると、特殊相対性理論が間違っているかも知れないという疑義を日本の学者が正式に提起したそうです。何やら難しい話で良く分からなかったのですが、確か100億光年ほど遠い所から地球に届くある宇宙線のエネルギーがとても強く、これは宇宙線の背景反射という現象の中をこれだけの距離を進んで来ると、特殊相対論的には地球に着くまでにエネルギーがもっと弱まる、或いは到達できない筈であるということだったと思います。昨日は媒体の話を書きましたが、媒体の中である物質や運動がどうなるかとか、媒体との干渉というテーマは奥が深そうですね。そもそも人類という、宇宙の中ではあまりにも小さく、また時間的にも短い存在が、何を計測でき、分析できるのかという疑問もあります。それはあくまでもヒトから見た解釈であって違うものさしではまた違って見えるのではないでしょうか?相対性理論も量子論もちゃんと勉強したことはないのですが、物理というよりも殆ど哲学のようですね。


9月6日      <郵便局に替わる その2>
オンライン証券が郵便局に替わる国民的金融インフラになり得るという私の考え(と言うか夢でしょうか)の説明の第2弾を今日は書きます。(第1弾は店舗数の議論でした。)郵便局は今までとても有利な金融商品を提供してきました。国のリスク、いわばノー・リスクでありながら、他の金利商品と較べてもそれなりに良いリターン(利率)を生む郵便貯金という商品です。これは「リターンがあればそれに見合ったリスクがある」という金融の原理から見ると「良すぎる」商品です。一方、郵便貯金事業は99年度に単年度で1兆8750億円の赤字を計上しました。この2つを直接結びつけるには無理があるかも知れません。しかし財政投融資という仕組みが制度的に多くの問題を抱えて来ていることは周知のことと思います。無闇にバランス・シートを大きくしたツケは、いつか誰かが払わなければ行けません。マクロ的に見て、いつまでも郵便局が巨大にかつ有利な商品を提供できるとは私には考えられません。これがいずれ郵便局が相対的にその地位を他の民間金融機関に譲って行くと考えるもう1つの理由です。


9月7日      <癖>
またやってしまいました。昨晩は午前2時頃までPCと睨めっこして或る仕事をしていたのですが、ちょっと一息と思ってテレビをつけたら何やら見覚えのある映像が・・。Random Harvest(心の旅路)という、大学時代に名画座で見た古いモノクロ映画です。早速新聞を開けて見ると2時から4時10分の予定です。さすがにこれはいけないと考えて見ないことにしました。ところが各場面を鮮明に憶えているので、「あそこまで見てみよう」と思ってちょっとずつ見ているうちにとうとう3時を超え、そのあたりから覚悟を決めて結局最後まで見てしまいました。F1も映画も一旦見始めると途中でやめられません。学生の頃から、どんなにやらなければいけないことがあっても、次の日の朝早く起きなければいけなくても、もう駄目なのです。海外出張中で疲れ果てて寝なければいけない時でも見始めるとやめられません。困ったもんです。肝心の映画の方はそれはもう素晴らしいものでした。ある意味で単純なストーリーですが、はっきり言ってそういうのに弱いです。


9月8日     <マッカーサー>
本日、とあるきっかけによりマッカーサー元帥の執務室にほんの少しだけ立ち寄りました。とても保存状態が良くて感心したのですが、一番良かったなと思ったのは、実は何気なく手にして持って帰ってきた展示室の簡単なしおりでした。中にはマッカーサー元帥が座右の銘として日々愛誦したという“YOUTH”という詩が載っていました。「“YOUTH”とは人生のある時期を言うのではなく、心の状態を言うのだ。」で始まる、とても分かりやすい、サミュエル・ウルマンという人の英文の詩です。全文を御紹介できないのが残念ですが、マッカーサーの意志や雰囲気がとてもリアルに迫ってきました(もちろん私なりの解釈ですが)。どんなものよりも完璧に或る世界を保存し伝達できる「言葉」って、やはり凄い道具ですね。


9月11日      <朋あり遠方より来たる>
と言うか、友人に会いに遠方まで行って来ました。小さい頃から親しかった友人は、暫く会わなくてもそのブランクを感じさせません。逆に会わない間に却ってより親しくなっているように感じることもあります。このいわば熟成感は、しかし相手によって違うのでしょう。相手によっては「去る者は日々に疎し」になる場合もありますし、一方郷ひろみの唄には「会えない時間が、愛育てるのさ・・」と言うのもあります。人の気持ちというのはかくもテキトーなものですね。


9月12日      <夜間取引>
本日マネックスは来年1月を目処に夜間取引を開始する予定を発表致しました。詳細はプレス・リリースをそのままHPに掲げておりますので御覧下さい。電話がない時代には、場所と時間を共有しなければ商行為が出来ませんでした。電話の発明により、時間さえ共有すれば取引が可能になりました。Eメールの利用方法でも分かるように、インターネットの出現により場所だけでなく時間をも共有しなくとも商取引が出来るようになりました。しかし株式市場は特定の時間帯しか開いていません。インターネットの恩恵を最大限に利用し、株の取引を含めて様々な金融取引が時間の束縛から解放される日も近いことでしょう。


9月13日      <楽器>
私は音楽は好きなのですが聞くばっかりで、演奏する方はどうもからっきし駄目です。駄目というかそもそも一つも習ったこともないので、どうにもならないのです。サックスとかギターとか、ちょっと手を出しかけたことはありますが長続きしませんでした。耳はいいと信じていてただ単に練習をしなかったからだと思っているのですが、大きな勘違いかも知れません。いつの日か一つぐらいはマスターしたいと今でも思っています(口笛だったら上手なんですけど)。デジハリ(デジタル・ハリウッド。ウェブ・マスターなどになるための学校です。)の杉山校長が「三宅島近海地震義援金チャリティ」を催すというので、かつて欲しくて欲しくてたまらなくてやっと手に入れたテナー・サックスをチャリティ・オークションに出品しました。いつか時間ができたら、同品或いはソプラノ・サックスを買い戻してまた吹いてみたいと思います。思い出の品を人手に渡すのは、中々心が痛むものです。(御興味のある方は下記アドレスまでどうぞ)
http://www.bidders.co.jp/servlets/NOR2?exhibit_id=1232117


9月14日       <イクラ>
ようやくイクラのおいしい季節になりました。今から2,3週間が一番おいしい時です。初夏からいろいろと新鮮な寿司ネタが出て来て、イクラで私の夏は終わるといった感じです。大抵のお寿司屋さんではイクラは年中勧められるネタですが、本当は季節ものなのですから、もっと季節感を大切にして貰いたいと思います。ところで先日テレビで見かけたのですが、ヤマメと桜鱒という魚は同一の魚で、同じ種でありながら川の上流に残るものと、川を下って海まで出て、また産卵・受精のために川を戻って来るものとがいるそうです。見た目は大きく違い、桜鱒は海と川下り・上りに鍛えられて断然大きく、色鮮やかで、ごつごつしています。魚はかなり原始的な動物ですが、原始的なだけに不思議なものですね。


9月18日     <十分な情報>
今朝の日経新聞5面、「ニュース遠景近景」は中々読み応えがありました。クレアモント事件に関する、8段使い切った大作です。読まれていない方は是非読んでみることをお勧めします。大体のことは知っているつもりでしたが、これだけ網羅的に情報を提供されるとやはり知らなかったこともありますし、全体像がくっきりと浮かび上がってきます。記事は事実の紹介が主体で、解釈よりも、バランスの取れた情報が如何に重要であるかが良く分かります。このことは或る特定の事件を理解することだけでなく、政治や市場、会社を理解する上にも、如何に情報開示が重要かを教えてくれます。我が国における情報開示が、あらゆるレベルで進むことを切に願います。


9月19日      <産業振興>
これはある大先輩からの受け売りなのですが、日本における典型的な産業振興の方法に付いて一言。例えば高速ネット網を普及させる手段として、施設業者側に達成目標を課したり、或いは業者に補助金を出すような施策がママ採られます。お金の使い方としては、逆に利用者側に補助金を出すという方法もあります。例えば同じ1万円を出すとすると、利用者側に1万円を出すと様々な施設業者がその1万円を目当てに参入して来ます。すぐに「うちは8千円で出来る」という業者も出て来るでしょう。そうして自然と競争原理が働く訳です。その結果補助金の額も1万円から8千円に引き下げられるようになるかも知れません。利権であるとか、いろいろと複雑な問題もあろうかとは思いますが、競争原理を導入することは一番効率的な方法ですし、結果的な経済負担を下げ得る方法としてもっと議論して欲しいですね。


9月20日     <オリンピック>
時差の少ない国でのオリンピックは、案外見ることが出来ません。このつぶやきを書いている今もサッカーのブラジル-日本戦が進行していますが見ることが出来ません。そんな訳で今回のオリンピックは、競技については今のところ普段よりも印象が強くありません。しかし企画としてはいろいろと意義深いことをしていると思います。スポーツを振興するために50メートル・プールで泳いだことのないアフリカの選手を100メートル自由形に参加させたり。オーストラリアの先住民族を大きくフィーチャーしたり。何と言っても圧巻は北朝鮮と韓国の選手団を開会式で一緒に入場させ、韓国からの観客が北朝鮮の選手を応援し、それにその選手が感謝の意を持って応えたり。IOCのサマランチ会長には御不幸があったそうで大変残念ですが、最近のオリンピックがかなり商業的な方向に振られて来た中で、久しぶりの南半球でのオリンピックはなかなかいい大会になりそうですね。


9月21日      <系>
光速より速いものはない、と言うのは常識ですが、考えようによってはそれはあくまでも我々が住んでいる宇宙の中での話とも言えます。この宇宙以外の宇宙があるかないかなどと言う議論は、そもそもナンセンスだとも思いますが、もし他の宇宙があればそこでは光の速さは違うかも知れないし、そもそも宇宙の仕組みがまるで違って相対性理論も通用しないと考える方が自然でしょう。「系」が違えばルールも変わる。このことを理解することは簡単ですが、系が違うか否か、どう違うのか、を知ることはなかなか難しいものです。


9月22日    <海王星の日>
秋分の日は昼と夜の長さが丁度同じ日で、年によって変わります。今年は明日の23日がその日に当たりますが、毎年9月23日は「海王星の日」でもあるそうです。これは1781年の天王星の発見後、その軌道がニュートンの天文力学に合わないために更にその外側に惑星があるからだと考えた学者達が海王星の位置を計算し、まさにその場所に海王星が発見されたのが1846年の9月23日だったからだと言うことです。ケプラーが惑星の楕円軌道の法則を解明したのが1600年頃であったということは以前に書きましたが、さすがにそのケプラーには及びませんが昔の天文学者達は大変優秀だったのですね。


9月25日    <NYのカジノ>
今朝の日経新聞の企業2・グローバル面に、あのドナルド・トランプ(一旦は破産したNYの不動産王)がNYにカジノを作る計画の記事が載っています。あれだけ大きく失敗した人が、これだけ再起できるというのもアメリカ的で面白いのですが、もっと面白いのはNY州でカジノを作る仕組みです。NY州法はカジノ営業を禁止していますが、連邦法は特別な保護策として先住民にカジノ営業を各地で許しています。記事によると、「先住民のパートナーを見つけることは困難ではない」とトランプ氏が言っているようですが、実体を御存知ですか?これは何年だか前に連邦法の規定に気付いた或る弁護士が、NY州の隣のコネチカット州にカジノを作ろうと考え、インディアンの血を引いている人達を捜してカジノで働かせ、また形式上の経営を任せたのがきっかけです。血を引いていると言っても、インディアンの血が64分の1とかそういう人達で、どこから見ても普通の白人だそうです。面白い国ですよね。


9月26日    <テレビ映像>
工藤栄一監督が亡くなられました。必殺シリーズを撮られていた方です。藤田まこと演ずる中村主水を中心とした脚本も中々味のあるものでしたが、やはり一番印象的だったのはあの映像です。最後の「必殺」シーンは黒を基調として、その中に顔だけ照らし出されたり、或いは影絵で動きを表現したりして、毎週放映されるテレビドラマにも拘わらずその映像はかなり凝った美しいものでした。最近のテレビ映像技術はあの頃に比べて格段に進歩したはずですが、その構成や味わいはどちらかというと落ちている気がします。音楽は如何に忠実に再現するかが重要と思われますが、映画とかは構成して創って見せるものですから、必ずしも技術が後押しはしないのでしょうか。(蛇足ですが西崎みどりの歌っていたあのエンディング・テーマも味がありましたね。題名は思い出せませんが。)


9月27日    <ライヴ>
音楽のライヴはいつ聴いてもいいものです。勿論現役の一流プレーヤーが気合いを入れて演奏したり唄ってくれるのが一番ですが、そうでない場合でもそれなりに楽しめます。でもやっぱり一所懸命演ってくれないとピンと来ませんし、何よりもプレイしている本人達が楽しんでいてくれないとこちらも楽しめません。一番残念な思いが残り後味も良くないのは、かつての超一流プレーヤーが、(私は技術的な問題を云々言っているのではありません)、気分的に自らの演奏を楽しめず、演奏を大切にしないで、聴衆を感動させられると自らが信じていないような場合です。独り善がりになってもいけないのでしょうが、まず本人が感動するというのはエンタテイメントや芸術の大切な要素なのでしょうか。


9月28日    <国の情報公開>
我が国における、行政の真の情報公開はいつ始まるのでしょうか。金融行政にしても、ペイオフがいきなり延期されたり、公的資金の枠に急に特別危機管理勘定とか言うものが設定されたり、救済される金融機関と見放されるケースがあったりとか、とにかく不透明でその理由が明らかにされない場合が多くあります。税金は政府のお金ではなくて国民のお金です。その使途などについて国民に審らかにされないというのは理屈に合いません。全てをすぐに公開して、かつ行為や判断について責任を取る必要はないと思います。例えば3年経ったら公開し、かつその行為について完全に免責するという決まりでいいと思います。それでも儒教の影響も強く、人や歴史の目を気にする日本文化から考えると、モラル・ハザードは強く効くでしょう。情報公開法の施行は来春からですが、どのような運用になるのか大変気になります。


9月29日       <スタートレック>
深夜のケーブル・テレビなどで、スタートレックを見ることができます。アメリカの子供に人気のSFテレビ・ドラマですが、これが馬鹿にできません。宇宙船ボイジャーの中で地球人や他の星の宇宙人達が一緒に暮らして働いています。ボイジャーの中でも、或いはボイジャーと外部との間で、地球人を含めたいろいろな宇宙人間の衝突や誤解が起こり、そこから理解と秩序を模索する物語です。“違う”人達がいて、“違う”ということを認めなければいけないこと。しかし“違う”ということだけで何でも許される訳ではなく、普遍のルールがあること。誤っている“違う人”に対して、その自主性を一時的・部分的に否定してでも、正しいことを理解させ認めさせるべき時と場合があり得ること。そのようなことを伝えるエピソードばかりです。その思想に関しては、勿論議論の余地はありますが、日本のテレビ・ドラマよりはずっといいなぁと思います。