もう随分昔につぶやきに書いたことがありますが、私はタイムマシンは未来まで永遠に造られることはないと考えています。何故なら、もし未来にタイムマシンが出来ていれば、今の問題を未来に先送りし或る意味で未来の世代から搾取している今の世代は、きっとタイムマシンで現代にやって来た未来警察に懲らしめられている筈だと思うのです。しかしそんなことは起きていない。ということは数学的帰納法で考えると、タイムマシンは決して造られないのだと思います。これは、技術的に出来ない場合と、人類自体が何かしらの理由で滅亡してしまう場合が考えられます。

 タイムマシンと云えば、この週末に時空を超えた出会いがありました。日曜の朝は神戸にいたのですが、アメリカ人の知人がちょうど京都を訪れているので、お茶でもしようということになり、午後に、東京に帰る途中で京都に立ち寄りました。お茶をする場所は、当日の朝に京都の知人にいいところないか相談し、その案内された場所に生まれて初めて行きました。そこは或る旅館なのですが、そこの広間でお庭を見ながらお茶を飲ませていただくという趣向でした。

 果たして現地に着くと、外国からの知人は先に着いており、そこで私の京都の知人が、その旅館の人に紹介してくれました。名刺を交換すると、何やら見覚えのある名前が。「え?!誰々?俺だよ松本大だよ!」「え?!大ちゃん?!」と、なんとかつての同僚と、28年ぶりの再会を偶然したのでした。28年間、全く隔離された時間のトンネルに入っていたような、そんな出会いでした。奇遇とはあるものです。ま、でもそれはタイムマシンではありませんね。

 タイムマシンが出来ても恥ずかしくない人生を歩みたいものです。