或る雑誌の記事によると、日本人の名字は15万種類あるそうで、これは例外的に多いのだそうです。韓国では285種類、人口が10倍いる中国でも3500種類程度しかないとのこと。日本人のは”名字"で、中国文化圏のは”姓”。姓は一族の先祖を示すものであるのに対して、名字は他人と区別するために考えられたもので、そもそも根本から違うのだそうです。韓国では結婚しても先祖は変わらないから、夫婦とも姓は変えないとのこと。日本では「夫婦別姓」などが議論されていますが、国によってはそもそも意味をなさないのでしょう。

 日本は名字の漢字でも、微妙に違う色々なバージョンが存在します。先日も「奥」と云う字の付く名字の方に会ったのですが、名刺に印刷されているその字が、本当に微妙に通常の「奥」とは違って、それは生まれて初めて見た字であり、かつそれが印刷されていると云うのに、妙な感慨を憶えました。「姓名」の「名」に至っては、どんな読み方をすることも許されている訳で、これは例えば英語圏では当然考えられないことですし、恐らく中国や韓国でもそう云ったことはないのではないでしょうか(あくまでも憶測ですが)?他国に較べると、実に夥しい種類の名前があることになります。

 加えて一人称や二人称も、英語なら「I」と「You」しかありませんが、日本語ではこれも夥しい種類の一人称・二人称があります。日本人はIPv6みたいに、全員に別のラベルが貼ってあるようです。確かあれは安吾だったと思うのですが(いや、違うかも知れません、しかし思い出せません)、日本語には「コトバ」が多過ぎて、逆に行間の意味が少ない、味気ないと書いていました。一般に日本は多様性をあまり認めない国だと云われますが、もしかしたら名前自体に強烈な多様性を認めているので、それで満足してしまって、本来の多様性の受容に無頓着になってしまったのでしょうか。いずれにしろ名前は親が付けるもので、自身のアイデンティティとは本来関係ない気もします。

 つらつらと書いてしまいましたが、結論はありません。日本は変わった国です。でも私は好きですけどね!