先日久し振りに朝焼けを見ました。東から南の空に架けて、紫色の雲と云うか空と云うか、”もやもや”が、広がっていました。

 私は夕焼けが大好きで、夕焼けを見るといつも郷愁に似た感覚が胸を衝きます。しかし何故か朝焼けを見ても、大して何も感じません。どうしてでしょう?

 ひとつ考えられるのは、小さい頃に朝焼けを見た記憶があまりないと云う理由です。夕焼け時はいつも外で遊んでいましたが、朝焼け時は未だ寝ていたか、家の中で朝御飯を食べていたのでしょう。呼び戻す記憶がないので、感傷もないと云うことです。

 しかし理屈で考えると、夕焼けも朝焼けも殆ど同じ科学現象であり、誤認によって朝焼けを見ても夕焼けと同じような心の作用を惹起することが、少なくとも偶には、あってもいい気がするのですが、そう云ったことは決してありません。不思議です。

 そこでもうひとつ、ちょっと無理がありますが理由を考えました。近付く音源と遠ざかる音源では音程が違います。これはドップラー効果として知られています。朝焼け・夕焼けにもドップラー効果的効果があるのではないか?これから明るくなる朝焼けは、同じ焼け方であっても夕焼けとは変化の向きが違う。その焼け具合ドップラー効果が、朝焼けを夕焼けとは全く違うものに見せるのではないか?

 特に秋は「Diminishing」、何事も「減って」いくことが本質なので、これから明るくなってくる朝焼けは趣きに欠ける。どうせなら春の朝焼けならば、興趣と云ったものもあるかも知れない。むぅ。。。屁理屈ですね。

 しかし何事も、気持ちの持ちようで全く違って見えると云うことだけは明らかなようです。一度朝焼けを真剣に見つめてみたいと思います。