今日、久しぶりに5分間ほどデスクの上で転た寝をしました。

 椅子に座ったまま、机の上に顔を横にして、おでこに跡をつけて、ちょっと寝ました。なんと気持ちの良かったことか。高校生の頃は、毎日授業中に同じようにして、常に転た寝をしていました。清志郎の歌のように、目が点になるかと思いながら、来る日も来る日も転た寝をしていました。幸せな時代です。先日書いたPCの移行作業が未だ完全には終わっておらず、細かいシェアウェアをインストールし直したり、その影響でおかしくなってしまったデバイス・ドライバを再インストールしたりと、そんなことを続けて寝不足になってしまい、つい転た寝をしたのですが、昔と同じく、幸せなひとときでした。

 思えば転た寝をできるということ自体が、とても幸せなことです。

 今日は終戦記念日。世間では朝から大きな出来事があり、会社の前も反対派・賛成派の拡声器の音が鳴り響いていましたが、それでも我が国は極めて平和です。私が小さい頃は、しょっちゅう父親に戦争の恐さを聞かされました。父親は下町の人間だったので、空襲を頻繁に受け、幼心に感じた戦争の理不尽さと、子供だからこそ見透かせた、等身大の素直な戦争観を、何度も何度も聞かされました。最近の報道などを聞いていると、戦争の話はまた政治のテーマのひとつになっているようで、そこはかとない不安を感じます。出来ることならば、地球上のどこでもいつでも、転た寝の可能な世界になることを願いたいと思います。

 9・11から1年目の日に、ウディ・アレンがインタビューで「私は祈らない。祈る人間ではない。私は人々の心の機微などを撮る映画監督であり、その仕事をするだけだ。9月11日はいつものように友達と食事をし、自分なりにあの日のことを考えたい。」と答えていたことを思い出します。今晩は私も私なりに、61年前のことを考えたいと思います。