ここ数年で、最も悩みが昇華された言葉の
お話を少ししてみたいと思います。
『受け入れなくても、親切にはできる。』
この言葉を知るまでの私は、
『受け入れられないから、親切にできない』状態でした。
これまでは、母との関係でモヤモヤがたまると
時々オンラインカウンセラーに
あれこれ話を聞いてもらっていました。
「沢山の共感の言葉」と、
「話が噛み合わないなら離れましょう」
その瞬間のしんどさからはいつも助けて頂いていたものの、
根本的な解決には至っておらず。
また母に会うとすぐに逆戻り…
私が母と接してきて、
・コミュニケーションが困難と感じる
(対外的には理解しようと努めるが、
身内にはその努力を放棄するため
他人と身内の印象が異なる)
・好きなものへのこだわりが強い
(何かをプレゼントしたり勧めても
基本は興味を持たず、自分が見たものや
信じたひとの話のみ疑いなく
強く信じとことん没頭する)
・相談事をしても上の空で、よくわからないと言われる
(相手の立場に立つことが苦手なため
なぜそう思うのか、どういう話し合いがしたいのか
想像ができない。)
・テレビの話を何回もする
(身近な人からのアドバイスは右から左だが、
テレビからの情報はそのまま信じてしまいがち。
相手が聞いていようがいなかろうが、
話したい気持ちが優先されて何度も同じことを話す)
こんな感じで、なぜ伝わらない、なぜ親子なのに話し合えない、
ずっともどかしくて、悲しくて、苛立たしくて。
一方で、いつも明るくポジティブな雰囲気があり、
好きなことを突き詰めたり、根っから優しい人柄であることも
知っている。
そんなちぐはぐな母への理解が、より自分を苦しめていて
いっその事、毒親認定して離れたほうが
楽なんじゃないか?
そんな風に思うこともしばしばありました。
ところが、ついにこの30数年苦しめられてきた
ちぐはぐな感情から解放される日がやっと来ることに
なるのです・・
つづく。