雪・晴れ・また雪 | moneの徒然blog

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障害者が、2人の母の介護&兄の介護でドタバタドタバタ!
毎日笑っていないとやっていられない。
人間笑っていたら福が寄って来るのだ!
そして純烈と純友に出会った!

雪がチラホラと降っています。

細雪って言うのかなぁ?

北海道では「降っている内に入らない」程度。

でも、この晴れたり曇ったりのお天気が私にはしんどい。

 

明日は娘が彼氏と結婚の報告に来る。

出会って3年と少し、同棲して2年。 良いタイミングだと私も思う。

D君のご家族にも良くして頂いている様子。既に親同士のお中元、お歳暮合戦は始まっている(笑)

 

同棲する前にも2人で挨拶に来た。D君がけじめだからと言い出したらしい。

結婚前に同棲することを良しとしない親は多いと思う。

でも、私は子供は作らないという条件で賛成した。

出来ちゃった婚がWおめでた婚とは私には到底思えなかったし、

結婚を前提で生活をしてみるのは悪いこととは思わなかった。

挨拶に来たD君、全くアルコールが飲めないのに、旦那に付き合って、少しがっばってた。

その時に食べさせた「わかさぎの天ぷら」が美味しなったらしくて、又食べたいとのリクエストしてきた。

そう言うの結構嬉しい。

 

あの時のワカサギはお兄ちゃんが釣ってきて、娘に食べさせたいと私に持たせてくれたもの。

倒れてから好きな釣りも出来なくなって、去年の冬にも釣り友達さんがお見舞いに来ると、

「姪っ子がワカサギの天ぷらが好きだから持ってきて」と頼んでくれていた。

でもお兄ちゃん。自分では食べられなくなっちゃったみたい。

秋味(北海道では鮭の事をこういう)もわかさぎも、大好物だったのに、それよりも自分が釣れなくなったことが悲しい。らしい・・・

秋味を釣りに行こうと準備をしている時に倒れたから、尚更かも知れない。

〇〇家 ←実家 のお雑煮はしっかりと塩漬けした秋味を使う。

その漬け方で、お正月のお雑煮の味が変わる。

嫁いだとき我が家にはお雑煮を食べる習慣が無かったので、私が実家のお雑煮を持ち込んだ。

毎年年末にはお兄ちゃんが釣って、加工した雑煮用の新巻鮭を貰いに行くのが習慣だった。

今はそれも出来ない。昨年5月にお兄ちゃんが帰宅して一番始めにしたことが、秋味釣りの竿や仕掛けを釣り仲間に譲ることだった。

ちょっと悲しかった。浜辺に竿を10本立てて、魚が掛かると、秋味の動きに合わせて砂場を走り回る。

多分、もう出来ない。秋味はお兄ちゃんの釣り仲間から確保は出来るけれど、ちょっと悲しい。

でも、わかさぎの道具は手放していない。お兄ちゃん諦めていないんだと思う。

 

娘が結婚の挨拶に来ると話すと、姉が冷凍庫からワカサギを出してきてくれた。

釣り友達からもらったワカサギを今年も娘に食べさせたいと確保していてくれたのだ。ありがたい。

娘にそのことを伝えるとD君大喜び。

お兄ちゃんにとって娘は特別の姪っ子らしい。

私が出産して実家に帰っていた頃、隣に住んでいたお兄ちゃん夫婦が毎日お風呂に入れに来てくれていた。

実母も入れられたのだけれど、お兄ちゃんは職場の就業時間が終わり、帰宅して食事して、娘をお風呂に入れて、

姉さんがミルクを飲ませてくれて、お兄ちゃんはそれから又職場に出かけていた。

私の実家から高校へ通っていた娘は、雨が降った、雪が降ったと言ってはお兄ちゃんに送り迎えをして貰っていた。

高校を卒業して地元を離れてしまった娘だけれど、実家の母と兄夫婦、家のばあちゃんへのお土産は絶対に忘れたことが無い。

そんな娘の晴れ姿お兄ちゃん見たかっただろうな。結婚の報告聞きたかっただろうな。って思うけど、

今のお兄ちゃんにはちょっとしんどい。申し訳ない。

 

と言うわけで、息子君が散らかし放題で、掃除が大の苦手の私の家は今とっても大変な状況。

せめて見えるところだけでも、掃除しなくては。。。と思うのだけれど。

身体が動かない。

 

私は娘に一生掛けて償わなくてはいけないと思うことがある。

自分の体調がおかしいと思いだして、このままでは家庭も仕事もどちらも中地半端。

いっそ辞めてしまおうと思い私は躊躇することなく仕事を辞めた。

その時、娘は中学1年生。息子小学4年生。

仕事を辞めれば回復すると思っていた体調。甘かった。

それから私はどんどん廃人になり、精神病院に入退院することになるのだけれど、

息子への負担が全て娘にまわってしまった。

後で聞かされた話。娘は泣きながら自分と弟を施設に入れてくれと旦那に頼んだらしい。

弟の世話は見切れないと。。。娘の言う事は何でも素直に聞いていた息子だけれど、

娘にはしんどかったんだと思う。

それでも、家に戻った私には嫌な顔1つ見せなかった。

それまで、仕事と家の事をバリバリ(自分で言うのも何だけど)こなしていた、自分の母が急に部屋に閉じこもり、出てこなくなった。

それまで、「お母さんの声うるさすぎ」と言われるほど、大きな声でバレーボールの応援をしていた、母さんの声が聞こえなくなった。

その時、どんなに娘を傷つけてしまったかと思うと、私はそれを背負っていかなければいけないと思っている。

子供達の為と思っての行動が、結果的に娘の中学生活に大きな負担を掛けてしまった。

高校生時代、娘の私への反発は凄いものだった。私育て方を間違えたのかな?って思った。

でも、そんな時でも、私が荷物を持とうとすると黙って手を差し出して持ってくれていた。

娘が高校を卒業し、札幌へ出て少しした頃、娘とそんな話をして謝った。

娘は笑いながら「謝ることは無いよ。あの時はお母さんも大変だったんだから」と・・・・・

私の育て方は間違ってなかったのだと思って、涙が出た。

娘は今保育士をしている。子供が大好きで仕方が無いらしい。

娘には私が結婚するときに母から貰ったダイヤの指輪と、

私が旦那に貰った婚約指輪をお祝い代わりに渡そうと思う。

 

そんな娘の一生で1度の時。万全で迎えてあげたい。

娘とD君の好物(ワカサギだけど(笑))は用意した。

後は・・・・掃除だぁ~

まずは、お風呂とトイレ先にやろう(笑)

やっぱり、もう少ししてから~