今から13年前。仕事と家のことと人間関係のストレスから私の心は壊れました。
感情のコントロールが出来ない。いつも誰かに追われているような恐怖。
黙って座っていることも、寝ていることも出来ず、部屋の中を円を描くようにひたすら歩き続けた。
結婚したときにも、2人の子供を産んだときにも、辞めようと思わなかった仕事を辞めた。
職場の誰にも気が付かれないように、静かにその世界から去った。
24年間の私のキャリアが無くなった。
そしてその行為が更なるストレスを私に与えた。
食べることも、歩くことも、思考回路も、話すことも、答えることも・・・何も出来なくなった。
栄養ドリンクを無理矢理口から胃に流し込み、布団に入り朝がくるのをひたすら待ち続けた。
時計の音だけが耳から離れなかった。
7時になったら朝の薬が飲める。
12時になったらお昼の薬が飲める。
5時になったら夕方の薬が飲める。
9時になったら寝る前の薬が飲める。
そうしたらこの辛い気持ちが楽になる。
毎日、毎日時計の音と共に過ごした。
自分の存在価値が解らなくなった。
消えて無くなりたいと思った。
そして、私は全ての感情を無くし、廃人となった・・・
それから13年。 今も私は薬を飲み続けている。
けれど今は誰も私が病気だとは気か付かない。
隠しているわけでも、強がっているわけでも無い。
今の私は心のままに生きていられる。
安いプライドなどとっくに捨てた。
誰が自分をどう見ようと構わない。
私は私。出来ることしか出来ない。
「どうしても私がやらなければならないこと」・・・頑張る
「私じゃ無くても出来ること」・・・気が付いた人がやれば良い
「誰がやっても良いこと」・・・やろうと思えたときにやる
私が病気になったとき。私が一番の弱者だった。
でも、今は違う。私の手を必要としてくれる家族がいる。
頑張って介護しているわけじゃ無い。
兄ちゃんに、ばあちゃんに、母さんに私は必要とされている。
役に立てるのが嬉しい。必要としてくれるのが嬉しい。
沢山沢山心配掛けて、沢山沢山支えてくれた、今は私が恩返し。
今日私はまた1つ前に進めるチャンスを手に入れた。
13年前 「もう一生飛行機には乗れません」と言われた。
廃人だった頃。当然だと思った。飛行機に乗ってパニックにならない自身も無かった。
でも、今は違う。冒険してでも逢いに行きたい人達がいる。
ドクターストップ。駄目と言われても乗る覚悟は出来ていた。
でも、ドクターが首をかしげたのはホンの一瞬。
「何処に行くの?札幌?」「東京です」「ディズニーランド?」
「純烈に逢いに行きます。先生純烈知ってる?」
「知ってるよ。メンバーの一人残念だったね」
「先生私純烈に逢いに行きたいの。飛行機に乗っても良い?」
「いいよ。安定剤余分に出しておくからそれを飲んで、握りしめて(安定剤を)乗りな。
そうしたら安心でしょう?」「ありがとうございます」
もぅ~涙が出ました~♪
今は純烈だけじゃ無くて、逢いたい純友さん達が待っていてくれる。
13年間のドクターストップがスタートしましたぁ~
でも、その前に明日は実家・明後日はお兄ちゃんの病院の付き添いが待っています。
やることをやらないとね(^_^)v