2年前の今日Jがこの世を去った。
その知らせは衝撃的な物だった。
14日 JのFacebookに書き込みが・・・
「Jは死にました。安らかな顔をしていました。これで楽になると思います」
私達仲間は悪質な悪戯だと思い、Jの携帯に電話を入れたり、LINEを飛ばしたり・・・
書き込みがしてあった「葬儀会場」と言う場所に仲間の一人が走ったり・・・
しかし、全く状況がつかめないまま、一晩が過ぎました。
15日 「葬儀会場」と言われる場所に電話を入れ、既に葬儀が終わっていること。
喪主の名前がJの奥さんであることを確認しました。
朝からJの携帯に電話を掛け続けるとやっと繋がりました。
「もしもし。モネさんですね。解っちゃったんですね。連絡しなければと思っていました」
その一言でFacebookの書き込みが悪戯では無かったと気が付きました。
12日(多分)Jはドアの取っ手を使い自ら命を絶ちました。
私に生きることを勧めてくれた、同じ病気だったJ。
私はJが辛い思いをしていることを知りませんでした。
「いつでも逢える」 そう思いオフ会を延期したのは主催者の私です。
あの時決断していたら、Jの変化に気が付いていたかも知れない。
私は発作を起こしました。どんなに後悔しても、どんなに自分を責めても、
Jが戻ってくることは無いのだと解ってはいたものの、自分を責めずにはいられませんでした。
私が寂しいとき、私が寝付くまで頭をさすってくれながら寝かしつけてくれたのはJでした。
私が病気になったとき、叱りながら専門病院へ行くことを勧めてくれたのはJでした。
私の病気を仲間内で只一人知っていながら、知らないふりをして接してくれたのがJでした。
私の誕生日には毎年欠かさずメッセージを送ってくれたのはJでした。
Jが初めて自分の病気を打ち明けてくれたのは私でした。
Jが結婚を決めたときに誰よりも早く、男相手を紹介してくれたのも私でした。
私にとってAとJは特別な親友で、頼りになる存在で、弱みを隠さずさらけ出せる存在でした。
Aと私は取り残されました。
仲間達に声を掛け、4ヶ月後Aに連れられてJのお墓参りに行きました。
崩れそうになる身体をAが支えてくれました。
涙が止まりませんでした。「どうしてこんな所にいるの?」と問いかけました。
「モネ死んだらみんな入るんだよ」 Aが囁いてくれました。
解りきっていることだけど、私の問いに答えが無い事を可愛そうに思ってくれたAの優しさでした。
あれから2年の月日が過ぎました。
Jの事を時より思い出します。
でも、私はもう泣いてはいません。
Jの分まで生きます。Jの分まで人生楽しみます。
私から、私達仲間からJを奪った同じ病気と闘い続けて、勝ち続けます。
2年前と同じ日 Jの眠る場所に仲間達と又逢いに行きます
赤いバラと珈琲をもって・・・・
ありがとう J 忘れない