こにゃにゃちわ
よしこです
今回の記事は少し長いです
インナーチャイルド
という言葉も知らなかった10年前
突然
どこからともなく湧き出た叫び声が
私を襲いました
幼い娘と息子を連れて
いつものように実家に遊びに行きました
母は本当に孫のことを大事にしてくれて
感謝していました
ところが
優しく孫に接している母を見て
謝れ!謝れ!
私にはしてくれなかったくせに!
という言葉が突然、心に湧いてきて
憎しみ、怒り、というような
ドロドロした感情が体中を充満し
いったい自分に何が起こったのかわからず
気分が悪くなりました
でも
母に打ち明けても訳が分からないだろうから
気持ちを抑えて、その日は帰ることにしました
しかし
一度、箱から飛び出した感情は元には戻りません
母に対する
悶々とした感情は益々募り
子供の時に母に言われた言葉を思い出すと
グサッ、グサッと突き刺さり
1人で泣いていました
この気持ちを母に伝えて
わかってもらえたら
気持ちもすっきりするだろう
と、心を落ち着かせて
子供のころに抱いていた気持ちを母に打ち明けると
母は
私もしんどかったねん
その言葉に
さらに傷ついてしまいました
理解を示してくれると思ってたからです
認めてほしかったんです
謝ってほしかったんです
旦那さんに
泣きながらそのことを話すと
お義母さんが謝る時は
死ぬ時やで
だって、今認めたら
自分がやってきたことは正しいって思って生きてきたのに
間違いやった、て認めることになるやろ
死ぬまで待てるか!
旦那さんのその言葉に
母を認めさせることは諦めましたが
母の言葉一つ一つに
イライラすることが続きました
月日は流れ
卵巣嚢腫で手術をし
療養中に心も病み
仕事を辞め
スピリチュアルなことに惹かれて
学んでいくうちに
インナーチャイルドというものを知り
瞑想したり
ヒーリングしたり
絵をかいたりして
自分なりには
傷ついた過去の自分は癒した
と思っていました
ところが
昨年の12月
キネシオロジーというものを体験した時に
5歳の頃の感情や体験が湧き出てきて
アマノジャクな人格形成をしたのは、この頃なのね
と再認識したのと同時に
自分を癒せていないことに
再び、どんよりとした重たい感情が頭をもたげましたが
まあ、キネシオロジーで気の流れが良くなるから
大丈夫でしょ
と何もしませんでした
年が明け
予定もしていなかった
夢解きの講座を受けることにし
初夢の夢解きをしていく中で
先生から
今は浄化が必要なのかも
泣ける映画を見て泣くのもいいかもしれませんよ
とアドバイスを頂いたものの
泣ける映画なんて知らんなあ、と
調べもせず
でも、悶々としていました
最近
映画にはまっている旦那さんが
ある映画を観ていて
珍しく感動していました
たまたま録画していたようで
私も
みんなが寝静まってから観ることにしました
途中で寝てもいいやと、気軽な気持ちで
観た映画は
という63年前の映画です
内容は割愛しますが
寝てしまうどころか
映画に夢中になってしまい
ラストシーンでは
主人公の女性が亡くなり、盛大な葬儀が行われています
そこへ、家を飛び出した娘が現れ
棺にすがりながら
「本当は家に帰りたかった」
と泣きながら本音を吐露する場面で
私も号泣
映画を観てるんですが
自分の母の葬儀を体験しているようで
(母はまだ生きています)
わんわん泣いています
その時出てきた言葉が
ママのことが好き
長い間
しこりのように心の奥に詰まっていたものが
スーッと消えていくようでした
えー---母親のこと好きやったん⁉
というのが第一印象です
そして
そうなんや、好きやったんや
と腑に落ちた感じもしました
だって
ずっと恨んでましたし
なぜ
母のことが好き
という感情を閉ざして生きてこなければなかったのか
それは
祖父母に預けられていた
6歳まで
母に会えない寂しさ
母に甘えたい
母のことが大好きという感情を出してしまうと
辛くて仕方なかったんだと思います
感情を押し殺さないと
アマノジャクでないと
生きていけなかったんだとわかりました
幼いよしこちゃんは
良く辛抱したと思います
この人生の
数ある修行の一つを終えた気がしました
よく頑張ったね
それからというもの
母の言葉が心に刺さらなくなりました
不思議ですね
もちろん
謝ってほしいという気持ちも無くなりました
母が生きているうちに
母への本当の気持ちがわかって良かったです
自分が受け取る覚悟やタイミングでないと
出てこないものですね