新田義興を祀った「新田神社」

新型コロナウイルス退散を祈願して、昔の写真から、破魔矢発祥の「新田神社」を取り上げてみようと思います。
 
大田区矢口にある新田神社は、鎌倉幕府を倒した新田義貞の次男で、戦乱が続く室町時代に後醍醐天皇に使え、手柄をたてた新田義興を祀った神社です。
 
随分前に「鎌倉」をテーマにブログを書いていた時に義興の父「新田義貞」について書いているので、そちらもご覧ください。
 
新田神社は、大田区矢口にあります。多摩川の「矢口の渡」から付けられた地名で、最寄りの駅は、東急多摩川線り武蔵新田駅です。ですから、読み方は「むさししんでん駅」ではなく、「むさしにった駅」です。
 
新田神社は、多摩川の矢口の渡に所縁があるのですが、現在の場所は、多摩川から少し距離があります。暴れ川の異名を持つ多摩川の蛇行のせいでしょうか、室町時代の頃とは、この辺りの地形が随分と変わっているようです。
 
境内に入ると、正面に樹齢700年という御神木の「大ケヤキ」があります。この御神木に触れると「病気平癒」「若返り」のご利益があるという事なので、しっかりと触れてきました。
 
その先に立派な社殿があります。とても明るくすっきりしている印象です。
 
社殿の横側はこのような造になっています。
 
由緒ですが、パンフレットには次のようなことが書かれています。少し、端折っています。
「新田義貞の次男として生まれた義興は、天皇のために戦い、大勢の敵が襲ってきても義興公は負けたことがありませんでした。敵の武士たちは、いくさでは勝てないので、卑怯な作戦をたてました。敵の竹沢と江戸という武士が味方の振りをして義興公に鎌倉で戦うことを進め、それを信じた義興公は鎌倉に行くために多摩川の「矢口の渡」から船に乗りました。そこに敵が襲ったのです。
 
義興公が敵に沈められ死んでしまった矢口では、不思議な現象が起こり始めました。怪しい光が現れたり、雷が度々落ちるようになり、義興公を裏切った人は怨霊に悩まされ、狂死してしまうということが起こったのです。
 
それを見た村人たちは、義興公の祟りを鎮めるために義興公の墳墓の前に神社を作ることにしました。こうして、村人たちは、新田神社を作り、義興公を「新田大明神」とあがめ、やがて、義興公は、村人や旅人の「運を開き守り、幸せに導く神様」として広く崇敬されるようになりました。」
 
社殿の裏には、新田義興公の墳墓があります。
 
義興公の物語は江戸時代に平賀源内によって歌舞伎・浄瑠璃「神霊矢口渡」というお芝居にもなり、今も語り継がれています。
 
そして、この神社をもう一つ有名にしているのが「破魔矢の元祖」と伝えられていることです。
 
義興公の墳墓の裏手に「旗竹」という昔から神域を決して越えることがない不思議な篠竹が生えていて、雷がなるとこの竹がピチピチと割れたという言い伝えがあり、「エレキテル」を発明した江戸時代の蘭学者平賀源内がこの竹で厄除招福・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作ったというのです。(パンフレットによる)
 
矢守は、毎年正月初詣の人々に社頭で授与されているようです。(お借りした写真です)
 
確かに、義興公の墳墓の裏手に竹林がありました。
 
実は最近、家内が五十肩を痛がっていて、痛くて夜中に起きてしまうというので、「病気平癒・若返り」にご利益があると伝えられている御神木の御守りをいただくことにしました。カミさん孝行です。
 
新田神社(東京都大田区矢口1-21-23)の詳細は、次のホームページをご覧ください。
http://www.nittajinja.org/
 
新田神社に関する史跡を後日アップします。