「むぎとオリーブ」で「鶏SOBA」を食べたあと、オシャな煉瓦造りに魅せられて中を覗いてみることに。この建物は「mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋」という名前の商業施設でした。
このマーチエキュートは、明治の初めに中央線神田駅と御茶ノ水駅の間にあった「万世橋駅」のプラットホームの遺構を蘇らせたものなんです。
まずは、「フクモリ」へ。
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「フクモリ」は、山形や東東京にまつわる作家やプロダクトを中心に器や服、小物を取り揃えているお店です。
奥には山形の食材を活かした"カフェ兼定食屋"さんがあります。
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「旧万世橋駅」はかつて「鉄道博物館(のちに交通博物館)」でした。小学校の社会見学で行った覚えがあります。
入口のガラス面に「1935階段」と記されています。
これは、鉄道博物館を建設した1935年(昭和10年)に造った階段であることを示しています。
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この「1935階段」を上ると、旧万世橋駅ホーム部分をデッキとして蘇った「2013プラットホーム」に立つことができます。
線路階にあるホームはガラス面で囲まれていて、中央線がすぐ両脇を行き交う光景を見ることができます。
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マーチエキュートに入っている商業施設。
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1912年に中央線の昌平橋~万世橋間が開通し、万世橋駅は東京市電の乗換ターミナルとして栄えました。当時は銀座と並ぶほどの賑わいがあったそうです。
1923年9月1日の関東大震災で初代駅舎は焼失し、現存した基礎を元に2代目駅舎を1925年に完成しました。1943年、太平洋戦争の激化の中、乗降客減少に伴い、万世橋駅は休止されます。
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万世橋という橋名にちなんで付けられた「肉の万世」の「万世 秋葉原本店」は1949年創立です。
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万世橋は1873年(明治6年)にアーチ二連の石造りの橋として完成。当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名しましたが、次第に「まんせいばし」という音読みが一般化し、現在に至っています。
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万世橋高架橋の下には神田川が流れています。
司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズの「本所深川散歩、神田界隈」によると、この「神田川」は家康の命で堀削された「神田御茶ノ水掘割」のことで、江戸初期に造ったもの。もともとは湯島と神田山(駿河台)は続いた台地だったのを深い濠を掘って、その谷に神田川の水を通したものなのです。
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蘇った万世橋高架橋の中に入ってみます。
中に入ると150メートルの通路に沿って商業施設が並んでいます。
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とてもモダンな感じがします。
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共用部分にはこんなジオラマが展示されています。
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マーチエキュートのアクセスマップです。
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このあと、「聖橋」を渡り、神田明神に行きます。