喜多院を後にして、「川越氷川神社」にお参りしました。今回のコースはこちらです。

川越氷川神社の鳥居をくぐると境内に「風鈴回廊」がつくられていて、願い事が書かれた短冊を結び付けた色とりどりの風鈴が多数飾られています。
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川越氷川神社は、縁結びのご利益が有名なので若い女性の参拝者の姿が目立ちます。
境内に入ると記載台が設けられています。それぞれ自由に願い事を書いてお預けすると、後日、精霊流しにしてくださるそうなのです。もちろん、私もお願いしました。
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手水舎で身を清め、本殿へ。
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境内のいたる所に江戸風鈴に願いが書かれた短冊を結わう「縁結び風鈴」が飾られていて賑わいを誘います。
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最近では韓国の人気番組「私たち結婚しました」のロケ地となり、「縁結びの神様」と紹介されて以来、外国人参拝者が増えているそうですよ。
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こちらも川越氷川神社で有名な鯛のおみくじです。
ミニサイズの竹竿でおみくじの入った鯛を釣り上げるのです。もちろん可愛らしい鯛はお持ち帰りできますよ。
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「一年安鯛」。洒落てますね。
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縁結びの御守りをいただく若い女性でいっぱいです。
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川越まつりは、毎年10月に行われる川越氷川神社の祭礼です。
写真にある「川越氷川神社の山車行事」は平成17年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年12月にはユネスコ無形文化遺産に登録されています。(写真はお借りしました)
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川越氷川神社から直近くに「川越城本丸御殿」があります。ようやく目的地の川越城に着きました。ここで、歴史のお勉強です。
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457年)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城したものです。
やがて川越城は、天文6年(1537年)後北条氏の占拠され、それ以後、後北条氏の支配が続きます。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東攻略により、川越城は前田利家に攻められて落城します。江戸時代に入ると、河越城を中心に城下町が形成され、参勤交代や物流の拠点として重要な役割を持つことになります。
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    川越城に関しては、桶狭間、厳島両合戦と並び日本三大奇襲戦の一つに数えられる川越夜戦の舞台でもあります。
    太田道灌が川越城を築いた長禄元年(1457年)から80年後の天文6年(1537年)、北条家二代当主の氏綱は川越近郊で太田道灌の主君扇谷上杉家との合戦に勝利し、川越城を奪います。
    その後、天文14年(1545年)9月、扇谷上杉朝定と関東管領の山内上杉憲政、古河公方の足利晴氏他の連合軍8万人が川越城を包囲します。
    北条氏綱は翌年4月、5千の軍で川越城に向け出陣し、川越城籠城の3千と併せ8千の軍で8万人の連合軍を挟み撃ちし、打ち破ります。
    その結果、扇谷家は滅亡し、同時に公方管領制の室町幕府の関東統治体制は瓦解します。北条氏はほぼ武蔵一国を領有し、有数の戦国大名に成長していくことになります。
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    本丸御殿の前には、三芳野神社があります。下の城内配置図の八幡曲輪のあたりです。この三芳野神社は、童謡「通りゃんせ」の発祥元とされる天神さんです。

    川越城本丸御殿の近くに川越市博物館があります。あいにく月曜日閉館のため見学は叶いませんでした。
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    川越博物館に面した通りを川越駅方向にしばらく歩くと、「川越城中ノ門堀跡」があります。
    寛永16年(1639年)に藩主となった松平信綱は城の大改修を行い、その際に造られたのがこのお堀です。
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    堀の両側には、土塁が取り付き、土塁の上には狭間(さま)を備えた土塀が巡っていました。
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    この度の川越街道のゴール地点となる「川越城大手門跡」です!!
    大手門跡に立つ銅像は、川越城を築造した太田道灌です。背後の建物は川越市役所です。
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    次回は、小江戸川越をご紹介します。(続く)