今回は、埼玉県ふじみ野市から川越市内までご案内します。コースはこちらです。
国道から分かれ、旧街道を進んでいくと「角(かど)の常夜灯」があります。
大山道と川越街道が交差していました
神奈川県丹沢山地の霊峰大山の阿夫利(あぶり)神社への参詣のため、江戸時代後期の享和2(1802)年に建てられたものです。
左側面には「大山 武蔵野地蔵(むさしのじぞう) ところさわ 街道」と刻まれ、道標を兼ねていたのがわかります。

ふじみ野市亀久保にある地蔵院は、武蔵野地蔵尊とも呼ばれ、鎌倉末期に再興された祈願寺です。
江戸時代には、参勤交代の折に休憩所として使用されていました。
この地蔵院には有名な「しだれ桜」があります。

復活した地蔵院のしだれ桜
地蔵院境内のしだれ桜は、春の彼岸に花を咲かせる江戸彼岸桜(えどひがんざくら)の変種で、その樹齢は350年前後と推定されています。樹齢の割に、樹木の緑に勢いを感じました。

通常のしだれ桜の樹齢は300年程度といわれ、このしだれ桜も一時樹勢に衰えが見られたそうなんですが、下の写真でお分かりの通り、樹勢回復の措置がとられました。やや白い木肌の部分です。(この写真はお借りしました)

すると、このように勢いのある江戸彼岸桜が復活したのです。
春にもぜひ再訪したいと思いました。(この写真はお借りしたものです)

しばらく歩くと,「開明地蔵大菩薩」があります。
近くに刑場があったので、通称「首切り地蔵」と呼ばれています。

しばらく緩やかな坂を上がります。坂の名前は「鳥頭坂(うとうざか)」と言います。階段を上がると熊野神社があります。
川越に荷物を運ぶために通らざるを得ない難所とされていました。文明18年(1486年)ころ書かれた「廻国雑記」に「うとふ坂こえて苦しき行末をやすかたとなく鳥の音もかな」と歌われています。
現在では、それほど勾配のある坂ではありませんが、当時は急坂だったのでしょう。

鳥頭坂を登り切ると旧道は高架になった国道254号線と合流します。いよいよ川越市内に入ります。高架の下にはJR川越線、東武東上線が通っています。

古墳の宝庫だった川越
川越街道から少し離れた場所に、6世紀中頃につくられた浅間古墳があります。古墳の上には、「仙波浅間神社」があります。

浅間神社の階段の下に「占肩乃鹿見塚(うらかたのししみづか)」という古墳の石碑があります。この古墳自体は東武東上線の開通に伴う工事で壊されたため、石碑をこの場所に移設しています。
古代の歌集「万葉集」巻十四に「武蔵野に占へ肩灼きまでにも告らぬ君が名うらに出にけり」という歌があります。古代の人は何かあると鹿の肩の骨を焼いて吉凶を占ったそうですが、万葉集の歌はその時の様子を読んだ歌であり、その場所がこの占肩の鹿見塚だと言われています。

アスリートが参拝するパワースポットの川越八幡宮
しばらく、川越街道を進むと「川越八幡宮」があります。
この神社は、縁結び、子宝、安産のパワースポットとして有名なのですが、境内には、「民部稲荷神社」があり、腰痛平癒と健脚祈願のパワースポットでもあるのです。

境内には大きなイチョウの木があります。御神木として植えられ、もともとは2つの木であったのですが、徐々に寄り添い1つの木になったという不思議な木なのです。
そのため、そのイチョウの木は「縁むすびの木」として崇められるようになり、以後縁結びを願う人が絶えず訪れる場所となったそうです。
それだけでなく、やがて木と木の間から乳(木根)という命が誕生したのです!その乳に触れると子宝、安産に恵まれると言われています。

民部稲荷神社は、特に足腰の健康にご利益がある神様です。
早速、念入りにお詣りしました。「熱中症にならないで、街道歩きができますように!」と。

健脚祈願にご利益があることから、多くの陸上競技選手がお詣りにきています。
社務所の壁には何枚もの色紙が貼られていました。
2010年に箱根駅伝で優勝した東洋大学駅伝チームや、下の写真にあるように100メートルの桐生選手も参拝に来ています。

私も足腰健康の御守をいただきました。
