「川越街道を歩く」の2日目は、新座駅からのスタートです。今回歩いたコースはこちらです。

新座駅発車メロディーは「鉄腕アトム」

川越城大手門跡まで、あと20キロほどなので、少し、新座駅周辺を散策してから出発することにします。
新座駅の改札を出ると目にするのがあの懐かしい「鉄腕アトム」です。
新座市には「手塚プロ新座スタジオ」があるのです。それがご縁で市はアトムに特別住民票を発行しています。そして、なんと新座駅の発車メロディーは『鉄腕アトム』なんです。羨ましい! 懐かしい!
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川越街道から離れてしまいますが、折角なので「野火止用水」を見にいきます。多摩川の二ヶ領用水や六郷用水の開削の様子をプログで紹介してから、どうも用水が気にかかるようになりました。途中の道端で鈴なりの栗の木を見つけました。
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松平信綱が命じた野火止用水

野火止用水は、承応4年(1655年)に川越藩主松平信綱が生活用水の確保のため開削した用水路です。
今も野火止台地に清らかな流れを潤し続けています。
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「野火止公園」の一角には石碑が建てられています。
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鬼鹿毛(おにかげ)の馬頭観音の伝説

再び、川越街道に戻ります。緩やかな下り坂をしばらく歩くと元禄9年(1696年)に建立の「鬼鹿毛(おにかげ)の馬頭観音」があります。
案内板には「鬼鹿毛の伝説」が書かれていました。
「昔、秩父の小栗という人が江戸に急用があって愛馬「鬼鹿毛」に乗り道を急ぐ途中、この場所で松の大木の根につまづき倒れてしまいました。しかし、直ぐ起きて、主人を目的地まで届けます。所用を終え、馬を止めた場所に行くと、その姿が見えません。やがて、先ほど愛馬が倒れた場所に戻ると、亡きがらとなっていました。鬼鹿毛は主人のため、亡霊となって走り続けたのです」
村人は、名馬「鬼鹿毛」の霊を弔って馬頭観音を建てました。
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大和田宿を出るとすぐに柳瀬川。 かつては土橋が架かっていたと言います。
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国道254号線英インターを越えます。
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跡見学園女子大学のキャンパスがあります。
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しばらく歩くと、けやき並木が見えてきます。これほど街路樹がありがたいと思ったことはありません。すでに気温32度を指しています。
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三芳町に入ります。
川越街道ではこうした庚申塔をいくつも見かけます。
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けやき並木と共に、美しい松並木が続きます。
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いつの間にか、けやき並木や松並木はなくなり、歩道もない道路となっていました。
ここが川越街道への最後の宿場「大井宿」の木戸の跡です。
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川越街道から少し離れたところに、「弁天の森」と昔から呼ばれている場所があります。
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武蔵野台地を潤した大井戸の跡

その近くに、「大井戸跡」の碑が建てられています。武蔵野台地の地下水は厚い関東ローム層の下にあるため、住民は地下水が得られず生活用水に困っていました。
この場所は関東ローム層が削られ、砂礫層となっており、大井戸を設けるのに適した場所でした。
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川越街道に面して「徳性寺」があります。
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徳性寺には、「弘安の板碑(板石塔婆)」があります。この板碑は、北九州に元が侵攻した弘安の役(元寇)が起きた弘安4年(1281年)の銘が記されている完形品です。
鎌倉街道と伝えられる古道から出土し、この徳性寺に移されたと言われています。
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大井宿は、川越街道の六宿場(大井・大和田・膝折・白子・下練馬・上板橋)の一つとして、川越城大手門から二里半の道程にありました。元々はここより東方にあった村を江戸時代に入って宿場をつくるために移住させられた歴史があります。
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本陣跡の近くに「旧大井村役場」があります。国の登録有形文化財になっています。
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川越街道を東に面して建てられた庁舎建築で,現在は小学校の敷地内になっています。
2階建、寄棟造で、棟中央に塔屋を載せ、1階を事務室、2階を会議室等に用いていました。装飾 の少ないシンプルな外観ですが、地域の近代化を物語る建物として大切に保管されています。
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(続く)