板橋城の風格漂う「長命寺」

前回ご紹介した石神井川を下頭橋(げとうばし)で渡り、旧川越街道の「下頭橋通り」から、「下練馬宿」周辺を巡ります。今回のコースはこちらです。
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曲がりくねった下頭橋通りを進むと、国道254号線と環七通りが交差する場所に出ます。その交差点の斜向かいにあるのが「長命寺」です。石垣があり、石段を上った先の高台に本堂があります。
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過去帳から江戸時代初期から創建されていたことが確かめられていますが、北条氏配下の板橋氏の城「板橋城」ではないかと言われています。
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国道に残る「五本けやき」の謎

そのまま、国道245号線を進むと、国道の真ん中の中央分離帯に大きなけやきが5本見えてきます。
戦前、国道を通す際、この場所に屋敷を持っていた当時の村長が、庭にあったこのけやきを残すことを条件に土地の買収に応じたという由来があるようです。
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史跡が賑わう下練馬宿

国道から右に分かれる道があります。下練馬宿があった旧川越街道です。
まだ午前10時頃なので商店街を道行く人の姿は多くありませんが、活気がありそうな昔ながらの商店街が続きます。
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交差点の真ん中に馬頭観音

商店街の路地に入ると、道路の中央に馬頭観音のお堂が建っています。両側には道標が置かれています。地元の皆さんの畏敬の念を感じる光景ですね。
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大山道と交差する川越街道

旧川越街道と大山道が交差する場所があります。そこには、不動明王像の「下練馬の大山道道標」が建てられています。
不動明王像の台座正面には「従是大山道」、左面には、建立された日と「ふじ山道 田なし 三里 府中え 五里」の文字が刻まれています。
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将軍綱吉の鷹狩り御殿もあります

再び旧川越街道から路地に入ります。区立北町小学校角の田柄川緑道に面して「徳川綱吉御殿跡之碑」が建てられています。寛永通宝を型どった石碑なのですぐ目につきます。
この付近一帯は、かつて「御殿」と呼ばれた土地だったそうです。
江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの地を鷹場として「鷹狩御殿」を建てたことに由来しています。
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旧川越街道に戻ります。赤い提灯と「阿波おどり」の垂れ幕が賑やかです。もうすぐ夏祭りですね。
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旧川越街道から路地に入ったところに「阿弥陀堂」があります。ここには農業用水の「千川上水」を造った千川家歴代の墓があります。
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富士山山頂からの眺め

再び、旧川越街道に戻ります。下練馬宿の中程に富士塚のある北町浅間神社があります。
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折角なので、下練馬の富士山登頂を目指します。
江戸時代から築造されていたものだそうで、富士山信仰がブームの頃、行けなかった人たちが登られたのものです。富士山の溶岩で丁寧に作られています。
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富士山山頂に到着しました。標高は37.76m。本物の100分の1というのが売りのようです。
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富士山山頂からの眺めです。高所恐怖症なものですから、結構高いのにびっくり。
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商店街の建物に貼り出されていた江戸時代の下練馬宿の面影。
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多くの石仏が並ぶ北町聖観音堂

東武練馬駅の近くに「北町聖観音堂」があります。観音堂の北町聖観音坐像は台座を含め270センチメートルあり、背面には、1682年(天和2年)制作と刻まれています。
台座には、川越街道沿いの29の地名が刻まれていることから、広く信仰があったことがわかります。
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上は北町聖観音坐像、下は仁王像です。
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塀沿いには、庚申塔などの石造物が建てれています。
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(続く)