「中原街道を歩く」の2日目の3幕です。この日も暑かった!マップはこちらです。
野川を越え、横浜の港北ニュータウンがある都筑区に入ると、小高い丘に鎮守する「山田神社」があります。
その鳥居の前には、地蔵尊や供養塔などの石造物が並んでいます。年号を見ると、文化9年(1813年)と刻まれています。江戸後期ですね。
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見晴らしも良さそうなので、お参りすることにします。
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五の鳥居まであって、社殿まで約300メートルほどありました。
山田神社は、860年創建の諏訪神社をはじめ、八幡神社、稲荷神社、妙見社など13社を合祀した神社で、地名である「山田」を社名にしています。
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一の鳥居をくぐり、階段を登ると、港北ニュータウンの街並みが見えます。
この辺りは、かつて茅葺き屋根の農家が点在する純農村地帯でしたが、高度経済成長を背景に港北ニュータウンという名で宅地開発が進み、今では、江戸時代の中原街道を感じさせる面影はなくなってしまいました。
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唯一残されているお宅が、江戸時代から続く「関家住宅」です。昭和36年に行った調査では、関家は関東地方で最古級の住居であることがわかっています。主屋は、17世紀前半の建築で、表門や敷地とともに国の重要文化財に指定されています。
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今も22代当主が住んでいるので、公開はされていません。関家は、将軍の鷹狩りの休憩所として使われていたそうです。
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旧中原街道を歩いていると、道路端にこうした地蔵尊などの石造物が集められ、並んでいるのを目にします。
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中原街道で荷物の受け渡しをする継立場だった「佐江戸」を過ぎたところに「杉山神社」があります。
杉山神社は不思議なことにほとんど横浜にしか存在しない神社なんです。
江戸時代に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』には、都筑郡24社、橘樹郡37社、久良岐郡5社、南多摩郡(現在の東京都町田市や稲城市が含まれる)6社の計72社の杉山神社が記載されています。これらはいずれも鶴見川流域にあるのが特徴です。
かつて「暴れ川」とも呼ばれ、幾多の水害をもたらした鶴見川。その水害除けと豊作を願って、流域各地に杉山神社が祀られるようになったのではないかとも考えられると伝えられていますが、まだよくわかっていないのが現状のようです。
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街道辻にある「地蔵尊」。この場所は、現在も「地蔵尊前」と呼ばれています。
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鶴見川落合橋
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この公園は「長坂公園」と言います。公園の名前の通り、長い坂を登りきったところにあります。暑さと疲労で熱中症の危険があったので、この公園の木陰で一時休憩をとりました。
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長坂公園を過ぎた後も、アップダウンの道が延々と続きます。
史跡や寺社があまりなく、路面だけが続く「街道歩き」は何と言っても辛いんです。
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再び坂を登り切ると、よこはま動物園「ズーラシア」があります。
子どもが小さい時によく連れて来たものです。
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新しい感じの石碑ですが、この場所に都筑郡役所が開設されたのが明治11年のことだったことが分かります。今は、横浜市都筑区ですが、こうした道標や石碑を残すことは後世にとってとても大事なことですね。
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「中原街道を歩く」2日目 2017.7.6   丸子の渡し〜三ツ境駅 
 26キロ (続く)