当初、目的地と決めていた池上本門寺を出た後、さらに続く池上道(平間街道)を進むことにしました。
門前通りで目についたのは「萬屋酒店」。アド街ック天国でも「池上本門寺 ベスト30」で9位に選ばれていたお店です。明示8年(1875年)に建てられた古い木造平屋建築で国の有形登録文化財となっています。

池上通りに出ると、東急池上線「池上駅」が見えます。駅前の整備された道路はかつて「六郷用水」でした。国道一号線を渡る辺りから池上道も細くなってきます。
少し住宅街に入ると、道もくねくねしていて、用水沿いに道ができたことが分かります。

この三叉路の場所は、「南北引き分け跡」と言われていた場所で、多摩郡和泉村(現狛江市元和泉)で取水され、約11キロを流れた六郷用水本流は、この地で池上・新井宿方面への北堀と、蒲田・六郷方面への南堀とに分流されていました。

環八通りの交差点を渡ると、1851年(嘉永4年)建立の光明寺があります。鎌倉時代の板碑が千枚以上出土したという全国的にも珍しいお寺です。


再び、環八通りの交差点まで戻って渡り、細い坂道を登ります。坂はぬめり坂と言います。六郷用水は並行して下を流れていました。藤森稲荷を越えると、二手に道が分かれます。
中央には庚申塔と道標があります。庚申塔には、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が添え描かれています。庚申信仰では猿が庚申の使いとされていたことに因んでいます。

ここで、左の道を進みます。池上道(平間街道)は、鎌倉街道でもありました。

しばらく進むと、白山神社があります。境内の左奥に少し見えていますが、樹齢600年の見事なタブノキがあります。

坂を下り、再び、池上道は環八通りに合流します。交差点を渡り、大田区立大田図書館の方向に進みます。この辺りの住所は田園調布です。
途中で東海道新幹線の高架橋があります。正面に見えるのは、超高層マンションが集積する武蔵小杉駅辺りです。この高架橋を左に折れ、坂を下ります。

坂を下り切ると、六郷用水の碑があります。側には六郷用水をイメージした親水の水路があります。

水路沿いに進んでいくと、密蔵院があります。

密蔵院には、大田区で最古の庚申塔があります。

六郷用水跡に沿って進んでいきます。

「六郷用水の跡」という石碑が建っています。

六郷用水跡の石碑の場所には、東光院というお寺があります。用水路には水車が置かれています。
慶長2年(1597年)から慶長16年(1611年)にかけて、代官小泉治太夫の指揮監督で開削された農業用水としての六郷用水は、新井宿村や蒲田新宿村などの村々に注がれ、稲作の生産性が格段に向上しました。
川崎側にも小泉治太夫は二ヶ領用水という農業用水を開削しています。いずれも、多摩川上流から取水した水は、生活用水や農業用水として人々に潤いをもたらしました。

石碑の場所から多摩川方向に進みます。河川敷は、広々としています。スポーツを楽しむ人、木陰で読書をする人、タープを張って麻雀に興する人たちがいます。
多摩川の向こう岸には、ゴジラが壊したはずの川崎の武蔵小杉の超高層マンション郡が見えます。

この場所に、かつて「丸子の渡し」がありました。沼部(現田園調布本町)と上丸子(川崎市中原区)とを結ぶ多摩川の渡しです。

案内板によりますと、すでに鎌倉時代の文書に「丸子荘」と記載されたり、また文明18年(1486年)から19年にかけて、京都から東国方面へ旅行した際の記録「廻国雑記(かいこくざっき)」にも記載されており、中世以来、渡し場であったことが推定されています。
江戸時代になると「中原街道」が整備され物資の搬入等にも利用されました。
昭和9年(1934年)丸子橋が完成するまで利用され、江戸東京の玄関口として大きな役割を果たしてきました。

丸子の渡しが江戸東京側の玄関口だったということは、東海道や中原街道が整備される江戸時代以前、池上道(平間街道)は、東西を結ぶ街道の要衝だったことになります。

6回にわたり池上道(平間街道)の史跡を訪ねました。大井町駅から沼部駅までの総距離はおよそ28キロになりました。最後までご覧いただきありがとうございました。(完)
大井町駅から沼部駅までの史跡マップ