大井町駅から、いにしえの東海道と言われる「池上道」を歩き、目的地の池上本門寺に到着しました。
池上本門寺の玄関口の総門は、元禄年間(17世紀末~18世紀初め)の建立と伝えられています。空襲からもまぬがれました。
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この石段は、加藤清正の寄進によるものと伝えられています。
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大堂正面に建つ旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失してしまいました。この仁王門は、1977年(昭和52年)に再建されたものです。
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池上本門寺の縁起をご紹介しますと、
日蓮聖人は、弘安5年(1282年)9月8日、9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かいます、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなります。
その後、池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれるようになりました。
下の日蓮像は、1983年(昭和58年)、日蓮の700回忌に建立されたアルミニウム製の像です。
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大堂です。祖師の日蓮を祀ることから「祖師堂」とも言われています。
旧大堂は、1606年(慶長11年)、加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立されましたが、その後、焼失。1723年(享保8年)には、8代将軍徳川吉宗の用材寄進により再建されましたが、空襲により焼失。
現在の大堂は、1964年(昭和39年)に再建されたものです。
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池上本門寺の経蔵(きょうぞう)は大田区文化財に指定されています。
空襲による焼失をまぬがれた建物の1つ。1784年(天明4年)建立。
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池上本門寺の梵鐘は、正保4年(1647年)、加藤清正の息女で後に紀伊徳川頼宣室(夫人)となった瑤林院(ようりんいん)(1601~1666)が寄進した梵鐘です。
この梵鐘は、空襲で被害を受け、今は二代目が活躍しています。
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本殿は、1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したものです。戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高いものです。
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本殿裏には、御廟所があります。中央が日蓮聖人、左側に日朗聖人、右側に日輪聖人。
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日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建てられた「池上本門寺多宝塔」は、1828年(文政11年)、日蓮の550回忌の記念に建立されたものです。重要文化財に指定されています。
漆や彩色によって華やかな装飾が施されています。
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加藤清正の供養塔です。この供養塔は、加藤清正の息女で紀伊徳川頼宣の室(夫人)の瑤林院(ようりんいん)が父清正の38年目の忌日に当たる1649年(慶安2年)に供養のため建立されたものです。
清正は安土桃山時代の武将として有名ですが、熱心な日蓮宗信者でもありました。
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力道山の墓所があります。その関係からでしょうか、毎年節分の折には、プロレス関係者がゲストとして招聘されているようです。
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本殿の裏側にある「松涛園」という池上本門寺のお庭です。小堀遠州の作庭。
幕末には、江戸総攻撃を仕掛けようとしていた西郷隆盛が本門寺に本陣を置き、その攻撃を回避させるための話し合いに勝海舟が訪れ、江戸城明け渡しの会見をした場所です。
この写真は、朗報会館から窓越しにスマホで撮影したものです。
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池上本門寺の境内案内はこちらです。参考にしてください。