この辺りは、かつて新井宿といい、江戸期に東海道ができる前は宿場として栄えていたそうです。池上道(平間街道)沿いには、「いにしえの東海道」の石碑がいくつか建てられています。
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呑川の前に、「養源寺」があります。
養源寺は、池上本門寺歴代住職の隠居所隣、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には、御膳所となっていたと言われています。
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境内に入ると、本堂裏手の墓地に上がる細い階段沿いに紫陽花の小径があるのが見えました。前をゆく年配のご夫妻も同じ目的のようです。ついて行くことにしました。
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見事な養源寺ブルー!
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こちらは、ガクアジサイです。
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紫陽花の小径から、歩いてきた池上道を眺めます。
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養源寺の隣にある照栄院に来ました。元禄元年(1688)、池上本門寺第22世日玄聖人は、照栄院の地に南谷檀林を開創しました。
檀林とは僧侶の学校の名称です。現在の池上小学校、池上会館から照栄院の地に至る一帯に講堂、方丈、玄頭寮、板頭寮、首座寮、所化寮、玄文両談合場、食堂、総門、妙見堂などを備えていました。現在、妙見堂が残っています。
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現在のお堂は慶応二年(1866)の再建と考えられています。
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照栄院の脇の道に入ると、妙見堂に続く急な長い階段があります。
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妙見堂には、加藤清正の娘で紀州藩祖の徳川頼宣の正室、瑤林院が納めた妙見大菩薩があります。
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池上本門寺の五重塔は、空襲からの焼失をまぬがれた建物の一つです。江戸時代 慶長12年(1607)に秀忠の病気快方を願い建立したものです。
願ったのは秀忠の乳母・正心院日幸尼(岡部局)。国の重要文化財に指定されていて、関東最古の五重塔です。
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「池上道を歩く」のマップです。