先週、横浜元町に行った帰りに、横浜の桜の名所「掃部山公園」に寄りました。すでに夕方、時より小雨が降る中でしたが、お花見に興じる人たちで大賑わいでした。
掃部山公園は、桜木町駅の近くで、紅葉坂という長い坂を上がった丘の上にあります。
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この土地一帯は、江戸時代まで「不動山」と呼ばれていましたが、明治初期に鉄道敷設に携わった鉄道技師の官舎や、機関車用の水池が設けられたことから、「鉄道山」と呼ばれるようになります。

1884(明治17)年、旧彦根藩の有志がこの土地を購入したことで、井伊家の所有地となり、1909(明治42)年に井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の銅像が建立されたことから、「掃部頭(かもんのかみ)」にちなんで「掃部山」と名付けられるようになったのです。 
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井伊直弼は、安政5年に日米修好通商条約を結び、横浜港を開港しました。この開港をきっかけに横浜は西洋文化が息づく街並みを形成していくことになります。しかし、尊王攘夷を掲げる水戸藩や薩摩藩の浪士らに江戸城の 桜田門近辺で襲撃を受けることにもつながりました。桜田門外の変です。
井伊直弼は、今も掃部山から横浜港を見下ろしています。
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満開のソメイヨシノの中、一際目立っているのが、仙台枝垂れ桜です。この仙台枝垂れ桜は、横浜市西区の区制60周年と、掃部山公園開設90周年を記念して仙台市から贈られた記念樹なんです。
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下の写真が井伊直弼像とツーショットの仙台枝垂れ桜。
この井伊直弼像は、1909年(明治42年)に横浜開港50周年を記念して建てられたのですが、 なんと第二次大戦中の金属回収令で取り払われてしまいます。
現在の銅像は1954年(昭和29年)に開国100周年を記念して横浜市が再建した2代目です。
ちなみにこの像は台座を含めると11メートルというかなり大きいものです。
銅像は一度回収され2代目なのですが、この台座は1909年(明治42年)当時のままです。 
この地が公園として公開されるに至ったのは、1914年(大正3年)、井伊家がこの地を市民の憩いの場として提供し、 横浜市に寄付したことによるもので、整備の後、同年11月に「掃部山公園」として開園されました。
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ちなみに、この台座の製作者は、工学博士の妻木頼黄(つまきよりなか)です。妻木頼黄の代表作には、現在の日本橋や横浜にある神奈川県立歴史博物館(旧・横浜正金銀行本店)、赤レンガ倉庫などがあります。
ご紹介した掃部山公園はこちらです。