今回は、鶴見線大川支線の終点「大川駅」の周辺を散策します。
周辺はというと、工業団地のような場所になっているのですが、鶴見線の線路沿いは緑地のプロムナードとなっています。
大正12年12月 東京火力発電所起工(昭和4年鶴見火力発電所と改称)
昭和 元年12月 1号機 37,500kw発電開始
昭和11年12月 出力4機10缶 178,500kw
昭和29年12月 鶴見第一火力発電所と改称
鶴見第二火力発電所を開設
昭和33年12月 総出力 9機16缶 817,500kw
昭和40年10月 鶴見(第一)1・2号機廃止
昭和59年 6月 廃止
実は、この東京火力発電所の建設工事を巡って、大正14年12月21日に「鶴見騒擾事件」(つるみそうじょうじけん)という大変物騒な事件が起きたのです。
「鶴見騒擾事件」とは、大正14年に東京電力株式会社(現在の東京電力とは違います)が火力発電所を東京湾埋立地の神奈川県橘樹郡田島町(現在の川崎市大川町)に建設することになり、その工事請負に関する勢力争いが原因で、土木請負業者がその配下の人夫、土工、博徒等を動員して一大争闘を展開した事件です。発生現場は、鶴見区潮田一帯。
「間組、下請三谷秀組」600人 vs 「清水組、下請青山組・助勢松尾組、淡熊会」800人が「義」と「情」で闘った事件でした。
一方、情報を掴んだ警察は、警官1500人、憲兵隊50人を出動させています。
この結果、416人検挙し、押収凶器は日本刀73、短刀20、拳銃9、猟銃17、竹槍53、こん棒28等々でした。双方で死者2人、傷者53人、一般住民8人負傷、住宅42戸被害でという記録が残されています。(「神奈川県警察史」)
詳しくは、サトウマコト著の「鶴見騒擾事件百科」をご覧ください。また、青山光二著「闘いの構図」(朝日文庫)はこの事件を小説にしています。
東京電力火力発電所は、大川駅周辺に建設されましたが、大正14年12月21日に起きた「鶴見騒擾事件」(つるみそうじょうじけん)の舞台は、鶴見区の「潮田地区」を中心にした地域でした。現在の双方の場所はこの辺りです。
当時の地図です。すでに鶴見臨港鉄道として「大川駅」があります。
潮田地区のシンボル「潮田神社」
鶴見騒擾事件の舞台ともなった潮田地区は、当方の「都会のローカル線 JR鶴見線の旅3「鶴見小野駅」③潮田牧場?」で紹介しています。
次回は「浜川崎駅」です。