前回ご案内した「おきなわ物産センター」の近くに東漸寺というお寺があります。
寺伝には、醍醐三宝院の勝覚法印が寛治元年(1087年)に開基したと伝えられています。しかし、古文書などを焼失したため沿革については不明となっていますが、江戸時代、当山は村の中央にあり、本堂・鐘楼堂・薬師堂・天満宮・地蔵堂・大門などがそびえていたそうです。


境内には「故大川常吉氏の石碑」があります。
関東大震災の時、朝鮮人暴動のデマが流れ、一般市民が大挙して朝鮮人を殺害するという事件が起きました。鶴見警察署長の大川常吉氏は身を挺して住民の暴挙を押さえ、多くの朝鮮人を救いました。それを記念してつくられたものです。

しばらく歩くと、潮田神社(うしおだじんじゃ)が見えてきます。
潮田神社は、大正初期、京浜工業地帯の発展に伴い、耕地整理・区画整理による街づくりのため、西潮田村の御嶽社と東潮田村の杉山社を合併し、大正9年、潮田神社と改称して潮田地区の中心地点である現在地に鎮座されました。今も、潮田の総鎮守として地域から崇敬されている神社です。

参道両側には大きく凛々しい狛犬があります。


社殿は昭和59年に造営されました。

拝殿の右手前に海翁石と名付けられた手水石が置かれています。

拝殿横にある鳥居の右側の柱には、大正13年9月と書かれています。
そして、左側の柱には、「潮田牧場 小野玄三建立」と書かれています。
このことは、大正13年当時に潮田に牧場があり、その牧場主は、この辺の地主の小野玄三という方が奉納されたということなのでしょうか。少し気に掛かるので、ネットで調べたところ、感動的なエピソードがヒットしました。

長文ですが、原文のまま掲載させてもらいます。
「数えの21で私を生んだ母は、行方しれぬ夫を探しに、千葉県・銚子から神奈川県・鶴見の潮田へ旅たった。一歳に満たない私をおぶってです。窮状を見かねた隣家の乳飲み子の母親が母乳を半分分けてくれた。その乳もやがて私に回ってこなくなった。
ある朝、なぜかわが家の玄関に牛乳瓶が6本置いてあった。翌日も翌々日もそうだった。さすが気が引けた母は、早起きして配達の人に「払うお金がありませんから、配達しないでくださいな」と告げた。
牛乳屋の主人が夕方きて「赤ん坊はまだ乳がないと死んでしまうでしょ」「大きくなったら代金はいただきますから、遠慮なく飲ませてあげて」「足りなければ届けますから」。
母親は涙がでるほど嬉しくて「潮田牧場の主」とだけ確認する。娘はいじめにあい母娘は自殺を考えた。でも、悲運にめげず懸命に頑張った。
読売「時代の証言者」。漫才・内海桂子さん(84)(社団・漫才協会初代会長)の一代記。乳飲み子のときのお話です。
89年(平成1)母娘は懸命に探し見つけた恩人の名は小野玄三さん。だが彼は37年(昭和12)すでに他界されていた。人生は深い悲しみと言えぬ苦労そしてど根性から晩成の芽がのぞく」

鳥居を通り、本殿の裏側に回ると、庚申塔や地蔵尊が並べられた一角があります。

潮田神社の隣には、夜間照明を備えた野球場がある広大な「潮田公園」があります。

再び、JR鶴見線「鶴見小野駅」に戻ります。今回巡った場所はこちらです。