前回の鶴見線「国道駅」から再び鶴見線に乗り、3駅目の「鶴見小野駅」に到着しました。鶴見小野駅は、昭和11年「鶴見臨港鉄道線」の「工業学校前停留場」として開業しましたが、昭和18年に国有化され、「鶴見小野駅」と改称されています。ホームの木造の屋根のあたりにも当時の面影が残されていますね。
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「鶴見小野駅」名の由来は、昭和18年、江戸時代からの大地主小野重行氏の埋立功労により命名されたことによります。ここも、無人駅です。
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鶴見小野駅前の商店街を進んで行くと鳥居が見えてきます。
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小野弁財天神社です。戦国時代の武将、甲斐武田一族の小野氏が武田滅亡後にこの地に移り住みます。しかし、鶴見川河口だったことから潮害が多い土地でした。小野氏は堤防の築造に掛かりますが、難工事のため幾度と失敗を繰り返します。そのためご加護を得るため奉鎮されたのが神社の起源とされています。
以来、潮害を被ることもなく、安全に家業に励むことができるようになったと言われています。
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境内には、お稲荷様と手洗い鉢があります。
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手洗い鉢はブリキの板で塞がれ、重石が置かれていました。そこには天保11年(1840年)に奉納されたと記されています。
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横には、文字が刻まれています。
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謂れは次のように記されていました。
「昔、この地が鶴見川の河口付近の浅瀬であった頃、防潮堤の松林の中に、弁財天とお稲荷様が祀られていました。ある日、積荷を満載にした船が満潮時にあわせ河口に着いたが、折しもみぞれ混じりの風雨の中、闇夜と重なり一寸先も見えず、水路を見失い難渋していたところ、不思議や誰も灯を付けたものがいないのに、一条の光が水面を照らし、船は無事に船着場に入ることができました。
これは、「御生成り」様の霊験であると大いに喜び、感謝の誠心を捧げると共に、お礼にこの手洗い鉢を奉納されたものであると伝えられる」と書かれています。
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境内には、小野重行氏の石碑が建てられています。小野重行氏は、大正11年に町内有志の協力を得て、この地に社殿を建立し、これを奉納し、社名を「小野弁財天神社」と称え奉りました。
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小野弁財天神社の社殿
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サトウマコト著「鶴見線物語」(出版は「230クラブ」)には、鶴見線沿線の歴史がよく書かれています。この本は少し前に出されたものですが、興味のある方は、一度読んでみてください。
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裏表紙
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「鶴見小野駅」の場所はここです。
「鶴見小野駅」の近くに「リトル沖縄」と言われている場所があります。次回はその辺りにスポットを当ててご紹介します。続く