3月に起きた事件を元に、記事にしたいと思います。訪れた場所は世田谷区にある松蔭神社と豪徳寺です。
安政元年(1854年)3月27日、吉田松陰は、伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して、江戸小伝馬町の牢に捕らえられます。その後、萩に送られ、野山獄に入れられ、翌年に釈放されると実家で謹慎生活を送り、やがて松蔭は松下村塾を主宰するようになります。この事件に関連した伊豆下田の記事はこちらです。
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安政5年、井伊直弼が大老となり、その年の6月に日米通商条約に調印します。そして、それに反対する者達を投獄し、罰していきました。安政の大獄です。吉田松陰も幕府の政策を脅かすものとされ、松下村塾は閉塾され、再び投獄させられます。そして、安政6年(1859年)10月27日伝馬町獄舎で斬首されます。享年30歳でした。
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刑死から4年後、松蔭の弟子の高杉晋作、伊藤博文等によって、世田谷区若林のこの地に改葬されました。この神社一帯は、長州毛利藩藩主の別邸があったところです。
明治15年11月に松蔭門下の人々により社が築かれます。神社は昭和5年につくられています。この石碑は、旧大山街道から松蔭神社に至る道の入口に建てられていた道標です。寄進は乃木希典です。
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この吉田松蔭のブロンズ像は、明治23年に大熊氏廣によって製作された石膏から鋳造されたものです。平成25年に完成。日本近代彫刻の先駆者、大熊氏廣の代表作には、靖国神社の「大村益次郎像」、東京国立博物館の「ライオン像」があります。
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この松下村塾は、山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。
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松蔭墓域の入口に建てられている鳥居は、木戸孝充より寄進されたものです。鳥居には「大政一新乃歳、木戸大江孝充」と刻まれています。
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吉田松陰先生他烈士墓所
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松陰神社の近くに、彦根藩主井伊家菩提寺の大谿山豪徳寺があります。
吉田松陰が処刑された翌年の安政7年(1860年)3月3日、江戸城桜田門外で水戸藩脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老井伊直弼を暗殺しました。桜田門外の変です。
この日は朝から雪が降っていたそうです。
桜田門外の変に関連した記事はこちらです
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豪徳寺の香炉の上に座る獅子
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豪徳寺は、招き猫の発祥の地と言われています。また、彦根城のゆるキャラ「ひこにゃん」のモデルにもなってます。
鷹狩りの帰りに通りかかった彦根藩主井伊直孝に寺の飼猫が手招きしたため直孝はここで一休みすることにしました。その間に雷雨となります。直孝は「ずぶ濡れにならずに済んだことから縁起がいい」と喜んだそうです。(写真はお借りしました)
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豪徳寺本殿
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井伊直弼墓所
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松陰神社と豪徳寺の場所はこちらです。