銀閣寺から哲学の道を歩き、南禅寺に向かいます。約2キロのこの哲学の道ぞいには、見所がいくつかあります。今回は、狛ねずみで有名な大豊神社と永観堂の名で知られる禅林寺をお詣りしました。
哲学の道の途中にある「おうとよばし」を渡って登っていった所に大豊神社があります。
枝垂れ紅梅や椿、紫陽花など、四季折々で見どころがありますが、特に椿の名所として知られています。
大豊神社は平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を願って藤原淑子が創建したと伝えられています。創建された頃は背後の椿ヶ峰という山の中にあって椿峰山天神(ちんぽうざんてんじん)と呼ばれていましたが、寛仁年間に今の所へ移されたと伝えられています。椿ヶ峯といわれるだけあって今も椿がきれいです。
ここで祀られているのは大国主命(オオクニヌシノミコト)ですが、ねずみも古事記に出てくる有名なねずみさんです。大国主命が素戔嗚尊(スサノオノミコト)の所へ行った際、大国主命が試練を受ける場面がいくつかあります。
その中の一つで、スサノオが野原の中に矢を打ち込み、オオクニヌシはその矢を取ってくるように言われました。取りにに向かったところ、スサノオは野原に火をつけて焼いたのですが、そこで困っていたオオクニヌシを助けたのがこのねずみさんです。
地面に穴を掘って助けて窮地を救ってくれたんです。
オオクニヌシはそのおかげで無事矢を持ち帰ることが出来たと伝えられています。
哲学の道に沿って流れているのは、川ではなく琵琶湖疎水という用水路なんですね。知りませんでした。この琵琶湖疏水については、次回の南禅寺の記事で触れたいと思います。
哲学の道の南端、若王子神社に差し掛かったところで「新島襄・八重、徳富蘇峰の墓」の案内板を見ました。以前、徳富蘇峰の「蘇峰公園・山王草堂記念館」に行き、記事にしていたので、不思議に感じたのですが、蘇峰の墓地は多磨霊園の他に、この京都若王子と熊本の実家、そして御殿場に分骨されていることを改めて知りました。墓地は山頂にあって、イノシシがよく出るということでしたので今回は断念しました。
モミジの永観堂として有名な禅林寺は、平安時代の初期に弘法大師の弟子真紹僧都によって創建されました。最初は真言密教の寺院でしたが、その後、浄土宗の寺院となりました。
山の中腹にあり、境内の最も高いところにある多宝塔とその前に広がる放生池はさぞかし紅葉の時は美しいのでしょうね。