京都二日目もどんよりした天気。西本願寺から七条大橋を通り、京都国立博物館、三十三間堂まで巡りました。
西本願寺は、正式には龍谷山本願寺といいます。浄土真宗本願寺派の本山で、世界遺産に認定されていて、華麗な桃山建築を見ることができます。西本願寺というと、幕末に新撰組の屯所となっていた場所ですね。
御影堂から阿弥陀堂を撮りました。
御影堂門
西本願寺から東本願寺まで歩きました。ほとんど隣接しています。東本願寺は正しくは真宗本廟で、浄土真宗大谷派の本山です。
この建物は御影堂です。
高廊下から御影堂を撮りました。
七条大橋を渡ります。
京都国立博物館を見学しました。この建物は、明治古都館といいます。明治28年に竣工されました。特別展覧会の折に使用されています。
こちらは、平成知新館です。設計は、ニューヨーク近代美術館や東京国立博物館などを手がけた世界的建築家の谷口吉生です。
平成知新館の玄関口に半透明の案内板があります。それによると発掘調査の際に、かつての方広寺の石垣の遺構が発見された場所と記されていました。
京都国立博物館の見学の後、道路を隔てて正面にある蓮華王院三十三間堂に参りました。三十三間堂は久寿2年(1155年)、後白河天皇が院政を行なっていた御所に建てられたものです。
三十三間堂には、国宝の千手観音坐像と重文の千体の千手観音立像があります。これらは、鎌倉期に再建した折に大仏師湛慶(たんけい)とその弟子により完成されたもので、まさに圧巻でした。
後白河天皇や平清盛の栄華にあやかろうと豊臣秀吉は、権勢を天下に誇示するため三十三間堂を取り囲む土塀(太閤塀)と南大門をつくります。その遺構は、重要文化財に指定されています。
重要文化財の南大門の下は一般の生活道路になっていて、車がひっきりなしに通っていました。壊したら大変なことになるのでは。
三十三間堂の向かいにある法住寺は、平安時代中期に藤原為光によって創設され、後白河上皇の時代には宮廷が営まれていました。後白河上皇が崩御すると、後白河上皇の御陵を守る寺として江戸末期まで存続していたそうです。明治期に入り、御陵と寺が分離され今日に至っています。
法住寺の隣に位置する養源院は、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室の淀君が父の浅井長政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建したものです。

この建物は、御影堂です。



この門は御影堂門です。









また、千体千手観音像の前に安置された観音二十八部衆と風神・雷神はとても迫力がありました。これらは、以前、歴博で見たことがあったように記憶していますが現地で見たのは初めてです。




このお寺は、サザエさんの作者、長谷川町子さんの菩提寺(分骨)ともなっているそうです。

元和2年(1616年)徳川二代将軍秀忠の正室の崇源院(江・淀殿妹)によって、開祖である淀殿と豊臣秀頼の菩提が弔われました。

本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされ、左右と正面の廊下の天井は血天井として知られています。
血天井の謂れとしては、関ヶ原の戦いの前哨戦とも言われる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、今も生々しい血の痕があちこちに残っています。

続く