源頼朝が鎌倉に幕府を開いた最大の理由は、一方は海を臨み、三方は山に囲まれて、敵の攻撃を守る自然の軍事的要害があることでした。しかし、人々の生活に必要な物資や人の往来のための最小限の道も必要でした。そのため鎌倉幕府は各地を結ぶために7つの道をつくりました。それを「切通」と言います。
今回は、北鎌倉を起点に史跡を巡り、7口の切通をご紹介いたします。
まずは、紫陽花で有名な「明月院」から参ります。

明月院の創建は、今から850年前の永暦元年(1160年)にはじまります。この地の武将で平治の乱で戦死した山内首藤俊通の菩提供養のため、俊通の子、山内首藤経俊によって創建されました。
その百年後、康元元年(1256年)、鎌倉幕府第5代執権北条時頼公によって「西明寺」として建立されました。時頼は30歳で出家、37歳で亡くなります。
その後、足利三代将軍義満転化の時、明月院として改め、今日に至ります。







この窓が「悟りの窓」と聞いて、私も行列に並ぶことにしました。







明月院はこちら https://goo.gl/maps/PG8VNZdYZ6x