時間的にも厳しくなってきたので、大山ケーブル駅からケーブルカーで阿夫利神社駅まで行くことにしました。駅間の標高差は300mありますが、乗車時間はなんと6分です。見てお分かりの通り新品の車両です。昨年の10月に小田急電鉄が50年振りに新しく造ったケーブルカーです。大阪の工場で組み立てたケーブルカーは麓の秦野からヘリコプターで釣り上げました。車両にはできるだけ大型ガラスを採用して眺望に力を入れたそうです。そのことが認められたのか、車内に2016年度グッドデザイン賞のプレートが貼られていました。
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座席はほとんど麓に向けられています。行ったのは10月末でしたので、まだまだ紅葉には早いようです。
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標高700mの阿夫利神社駅に到着です。
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ここにも出るんだなと思いながら足早に神社へ向かいます。
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参道の階段も綺麗に整備されています。
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大山阿夫利神社からの眺望は、2015年6月にミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで☆☆だったそうです。標高700mともなると少々紅葉してきます。麓に広がっているのは、湘南の海岸線です。江の島も見えています。その向こうが三浦半島です。
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大山阿夫利神社下社のベンチで遅めの昼食です。駅前のコンビニで買った鮭と梅のお握りを美味しくいただきました。
大山は、別名「あふり山」。「雨を降らす山」の意味で、阿夫利神社は江戸時代より庶民の雨降り信仰を集めてきました。
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社殿の横の紅葉が色づき始めていました。
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1252mの頂上に大山阿夫利神社本社があります。下社からの高低差は約500mです。ルート標準タイムは急坂の男坂で90分、少し緩やかな女坂で100分です。既に時刻は午後2時30分なので、少しでも短縮できる男坂を登ることにします。今日は、軽登山靴とストックと缶ビールを装備しています。いきなりの急階段に心臓はバクバクです。
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ここからはスマホで撮りました。樹齢500年から600年とされています。夫婦杉と呼ばれている縁起の良い大木です。
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石や岩を足がかりにして登ります。上に行くほど斜面はきつくなります。
30年ほど前にも登っていますが、その時はそれほど苦にした覚えはありませんでした。ところが、今回は結構しんどいです。
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この石碑は「16丁目追分の碑」とよばれているものです。1716年に建てられたもので、高さは3メートル68センチあります。この石は、麓から強力たちが担ぎあげたそうです。江戸期の大山信仰の深さを示していますね。
時刻は4時近くになり、標高でいうと1000メートルほどのところまで来ましたが、日も陰ってきたので、今回は残念ながら途中棄権することにしました。
また、機会をみて頂上にある大山阿夫利神社本社にお詣りすることにします。
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すでに膝は笑い始めています。下社に出る急階段は手すりを頼りに降りてきました。
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ここは、社殿の地下です。納め太刀が奉納されています。起源は、源頼朝が「武運長久」を祈願して真剣を納めていたことからだそうです。それが、江戸時代に庶民に広まり、木太刀を奉納しては、翌年に持ち帰ることを繰り返していました。
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社殿の横に男の子と女の子の銅像が建っています。プレートには、「輝け杉の子 川崎市学童疎開40周年記念像 川崎市長 伊藤三郎」と書かれていました。
説明書きを読むと、終戦間際に空襲のひどかった川崎市南部の小学生が、伊勢原や大山に集団疎開していたことから、その縁で記念像が建てられたようです。文末を読むと、「最後に、当地で爆死した米須清博君の霊の安からんことを切に祈る」と結んでいました。尊い命が安全と思って疎開した先で亡くなっていたのですね。
川崎市南部の学校には、私が卒業した学校も入っていました。
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また、改めて山頂を目指すことにして、とりあえず「大山街道を歩く」は終わります。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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