伊勢原駅の改札を出ると、「祝・大山詣りが日本遺産に認定!」の横断幕が目に飛び込んできます。今年(平成28年)の5月から大山街道を歩き始め、今回で4日目。少し間隔があいてしまいましたが、最終日は、いよいよ大山詣りです。

伊勢原駅には朝9時30分に到着。久しぶりの秋晴れです。すでに、丹沢大山行きのバス停には長蛇の列ができています。

大山街道を歩くのが目的なので、バス停を横目に、丹沢大山の登山口に向け、一歩一歩、歩いて行きます。

国道246号線を渡り、しばらくすると、大山阿夫利神社参道二の大鳥居が見えてきます。大鳥居の先に見えるのが大山です。まだ、随分遠くに見えます。

大山街道を少し外れ、太田道灌公墓地をお詣りします。このお寺は、洞昌院です。
道灌が上杉憲実の弟、道悦和尚のために建てたと伝えられています。

洞昌院の本堂です。

この辺りは、太田道灌にまつわる史跡が点在している場所です。案内地図を参考に辺りを歩きます。

洞昌院の隣に史跡太田道灌公の墓があります。前回行った太田道灌の菩提寺大慈寺のほとりに流れる渋田川沿いにも太田道灌の墓があり、首塚と呼ばれていました。
上粕屋にあるこちらの墓は胴塚と呼ばれているもので、暗殺された後、この場所で荼毘に付されたと伝えられています。


太田道灌公の墓の近くに「七人塚」があります。道灌が糟屋の上杉館で暗殺されたとき、付き添っていた家臣たちも不意打ちをくらい討ち死にします。その家臣たちの供養塔が「七人塚」です。

家臣9人のうち、7人はその場で果てますが、残る2人は道灌暗殺を伝えるため生き残ります。その家臣、山口家はその地で代々墓守をしてきたといわれています。現在も末裔にあたる山口氏は塚の世話をされています。

七人塚の前には、「上粕屋神社」があります。大同弘仁(9世紀初頭)近江国日吉神を移し勧請したと伝えられています。社号を山王宮と唱え、明治以後、日枝神社と改め、後、近隣の社を合祀し、社名を上粕屋神社と改められたといわれています。

上粕屋神社の社殿です。

境内にはケヤキの大木が左右に並んでいます。いずれも樹齢600年以上とされていて社殿の歴史を物語っているようです。

上粕屋神社から10分ほど歩くと産業能率大学(写真の建物)に着きます。道灌が暗殺されたとされる上粕屋の上杉館は、このあたりと推定されていますが、確認はできていません。現在、この辺りは、新東名高速道路の建設工事が行われています。

産業能率大学の敷地の周りを歩いていたその時です。下の写真にある看板を目にしました。「遺跡の発掘調査をしています」とあるではありませんか。新東名高速道路の建設工事中に発見されたと思われます。

現在、進められている埋蔵文化財発掘調査の現場です。これが上粕屋の上杉館だとすれば、この場所で道灌が暗殺されたということになります。正式には、発掘調査が終了される来年の10月以降に学会等で発表されると思われます。楽しみですね。

さて、随分とこの場所で時間をかけてしまいました。次回は、大山詣りに戻ります。
洞昌院の辺りはこちらです。